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初めての出会いー友人の自殺、自死遺族ー

忘れもしない。
成人式まで残り4ヶ月。青空広がる9月上旬の出来事。

中学校時代、バレーボール部で一緒だった同級生が亡くなった。
車内で練炭自殺。彼はまだ19歳だった。

優秀で、性格も良く、スポーツが好き。
大学進むよりは…と、高校の推薦枠で地元の電力会社に就職。給料も安泰。就職した部署、高校までの同級生、それ以外の友人、親戚。全員が「まさか」と思った。

9月の青空を見てふと思う。
“青天の霹靂って、まさしくこんな感じか…”

葬式前、彼のお家に伺った。
疲れきった家族。話を聞く。
真夏の車内での自殺。見つかったのは死後数日経ってから。
変わり果てた姿のため、警察署や葬式会社の方に「お顔、見るのは止めた方が良い」そう言わたそうだ。
顔を見る事が出来ない……。なんて、なんて悲しいんだろう。ご両親の必死に理解しようとしている姿を見ると、言葉が見つからなかった。

そして、話を聞く。
父親は、警察署で死ぬ直前の彼が映った防犯カメラを見たという。「悟ったように、堂々と買い物していた。あれは、確実に死ぬ事を決心して買い物をしていた。」

事実、死ぬ勇気(準備)を着実にしてたのだろう。
彼の車内には、好きなお菓子、ビール・泡盛(未成年のくせに、一緒に飲んでみたかったな)、賞状、趣味の道具、卒業アルバム、旅行の写真・お土産、中学校時代のバレーボール。車内をまるで棺桶のようにして、思い出がビッシリ並べていたという。

話が、僕の話題となった。"高専でなんの研究しているの?"
僕の研究は、沖縄の植物の試験管レベルでの抗鬱作用の調査。でもそれを、今、目の前の御遺族に言っていいのか?
思い切って、ざっくりと説明をした。

母親の方は「もしかしたら○○も、うつ病だったかも知れないしね…」と言った。すかさず父が「それはない。俺は職業柄、うつ病の人を見てきた。でも防犯カメラに映った○○は、うつ病の人の顔ではなかった。死ぬ悟りを開いていた。」

気まずい空気が流れた。病気のせいにしたい母。うつ病という甘えで死んだのではないと確信する父。

その後も、話を聞いた。
彼のお家で仕事の資料を見ると、職場がまあまあ大変だったこと。
ちゃんと、貯金も・家事もこなしていたこと。
大学行くか就職するか迷っていたけど、納得して就職したこと。
今まで反抗期も無かった。突然で驚いていること。
彼の車は廃車にせずに、使っていくこと。
携帯電話に遺言のような、メッセージがあったこと。

1時間の短い間、僕は話を聞くことしかできなかった。
言いたい意見もあった。「死んでしまったから、分からないけど、うつ病ではない!と否定するのはどうなの?」

でも、家族を目の前にして、痛みを前にして、言えなかった。
今思うと、あの瞬間の御家族(父)にとっての正義が"うつ病で無い"なら、そのままで良いのだろう。外野が意見を言うべきものではない。

と同時に、医療・薬ではない力が遺族のサポートに必要だな。とも感じた。一緒に話を聞いたりする仲間とかさ。遺族のケアとかさ。

もしかしたら、僕が精神保健福祉士を目指した理由の潜在意識的な1つかも。

思い返すと、あれから、もうすぐ9年近くか。

 ねえ、○○。あの世で元気にやってますか。最後に合ったのは、16歳か。離れてもう13年だ。あと、そっちが亡くなる1年前に会おう!と言ってくれたのに、会えなくてごめん。電話でも行ったけど、県外の研究施設に行く日でさ。というか、僕の方がメンタル弱いから、自殺リスク高いはずなのに、先に逝っちゃって。あと、中学の時のアイスクリーム代、結構奢ってたじゃねーか。大人になったら、お礼にご馳走待ってたのに、全く。成人式で会えるからって、全く電話やメールしてなかったな。それは、僕の○○に対する後悔だ。だけど、それももう、過ぎたことだ。
 あれから、僕も色々あって、大手企業辞めて、精神保健福祉士という資格取っちゃった。少なからず、そっちの影響もあるから、反省してよね(笑)。それと、僕は日本酒派だから、そっちが好きな泡盛はあまり飲めないけど、いつか飲むときがあったら、1杯ぐらい付き合うからさ。もし、あの世に居酒屋あるなら、アイスクリーム代も込めて奢ってよ。そして、その時まで、もうちょっと、待っといてさ。

書いていて思う。今度、沖縄戻ったり、帰省したときに、彼の仏壇に手を合わせること、出来るかな。御遺族からOK貰えたら、ぜひしたいな。




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