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私の中のINFPの『P』が発揮される形――二次創作愛好者として

仄暗いカウンターの底からこんにちは! お世話になっております、あややです。
先日、このような記事を書きました。

巷で噂の『16タイプ性格診断』をやってみたらINFPという結果に納得いったなぁ、具体的に言うとやりたくない仕事の傾向が……という記事です。

前回の記事では主に仕事の面から自分の価値判断について語りました。
今回はその派生。16タイプ診断の結果で当てはまると感じた部分の自己開示です!
着目するのはINFPの4文字目、『P』について。
語るテーマは『人の好き嫌い』『創作傾向』です。

16タイプ診断、MBTIに詳しくないよ、でも興味ある……という方は、一つ前の記事にリンクしてある他のnoterさんの記事を参照するのがお勧め!

この記事にも特にお勧めの方のクリエイターページを貼っておきますね。

それと、今回の記事の論拠とする診断結果を貼っておきます。

偏っているその①
偏っているその②

前回に引き続き、正式な診断を受けたわけではなく、あくまで非公式の無料ネット診断をやってみたら結果に納得できた……という前提となっているのでご了承ください。


自分の中で二極が混在する要素

さて、上に貼ったグラフではT(論理重視)とF(情動重視)が拮抗していました。
一方、結果グラフでは圧倒的に偏っているけど、部分的には逆の極の要素も強いな……と自分では思ったのがJ(計画を練り規律を守る)-P(自由に出たとこ勝負)軸です。
本質的には診断結果通りのPの方だと思います。自由な状態が何より心地良いのと……その他、細かい共感点は後の章でお話します。
しかし、だいぶJな感じがする側面も部分的にはある、と自分では感じます。つまり、決まったことを破りたくないし破りたくもならない、となる局面が一部あるのです。
その状況は二つに大別できます。

①その規則を破ることで罰が発生する可能性がある場合
②その規則(が適用される局面)が私にとってある程度以上どうでもよく、なおかつ規則に従うことが不快ではない場合

この二つはPとかJとか関係なく多くの人がそうなるよ! と思われるかもしれませんが……。
更に言えば『反骨精神というほどのものはない』『規則がある状態を無条件で不快に感じるわけではない』ということです。
ちなみに『規則を破ることで他者に迷惑がかかる場合』というケースも『規則を守らねば回路』が発動しますが、その場合は①罰せられる恐れがあるケースと重なることも多い上、より根幹に近い部分に位置取っているのが罰への恐怖なので①に含めています。
『ここでの写真撮影はご遠慮ください』など、公共の場の明文化されたルールは守りますよ!

罰せられたくないから規則を守る

まず①罰せられないために規則を守るについて。
そうですね、運転時の法定速度についてを例にしましょうか。
速度超過が時速30kmを超えると免停の危険性があるのでそれは超えないようにする
30km未満の範囲で法定速度からはみ出す程度ならまぁいいか。という感じです。

……そもそも、いついかなる時でも法定速度を守る人って柳沢良則教授(山下和美先生『天才柳沢教授の生活』)くらいしか見たことがないので、例えとしては不適切かもしれませんが……。
お仕事(つまり、私の場合はお薬)関係で例えると、私が実行した事実はないとしても洒落と取られにくい構造になるので……ネ!
ここでポイントなのは『罰せられる可能性が高い』ではなく『罰せられる可能性がある』というだけで規則を守らねば回路が起動するということ。
速度違反のネズミ捕り装置、もしくは張っている警察官の方が居なさそうならいい……とは思えないんですよ。怖くて。それをサーチしてまで違反するなんて面倒臭い、という方が本心に近いかな。
つまり『バレなきゃいい』という境地には滅多にならないんですね。幼い頃に危険行為がバレてこっぴどく叱られたために備わった回路かもしれない。
バレなきゃいいと思えないので、この側面を目撃した人は私のことをJ系人間だと思いやすいかもしれない。表面上はね。

どうでもいいからこそ規則を守る

そして②どうでもいいし問題ないので規則に従う場合。
これは……異動先の店舗のお掃除ルーティンを例にしましょうか。
既に決まっていて、それで皆動いていて、店舗の日々が問題なく回っており、従うことに苦痛も何もない場合。
問題点を批判的思考して改革しようとは思わないんですよね。そういう発想すら出ない。
やり方に文句を言って既存メンバーに(余計に)嫌われる方が私にとって遥かに大きいリスクです。
ここも『非合理的ではない』ではなく『不快ではない』となっているのがポイント。この快・不快が判断基準になることがもうP気質なのかな、というのが現段階における理解です。
ここはJ気質とかT気質とか以前にTe(外向的思考)劣勢の現出かもしれない

INFPでない可能性は?

ちなみにこの軸をJとすると私はINFJとなるのですが。
心理機能で見ると、主:Ni(内向的直感)、補助:Fe(外向的感情)代替:Ti(内向的思考)、劣等:Se(外向的感覚)となっています。
上のグラフを見てもらうと、Niが高めなので惜しくはありますが、Feがマイナスなので当てはめにくいかな。
何よりTe(外向的思考)のマイナスがヤバいので、これを無視するのは不自然な気がします。外向的思考……客観性の重視、大切な視点だとは私も思うんですけどね……。
Fi(内向的感情)が主、Te(外向的思考)が劣勢なのはISFPもそうなのですが、この場合補助機能に来るSe(外向的感覚)が私は相当マイナスになっているので、やっぱり妥当なのはINFPかなぁと行きつくんですよね……。

結局は快感と自由だよね!

さて、これまで「各所の診断ではPとはいえ、Jみ(と自分では思うモノ)が出る部分もある」という話でした。
ここからは「それでも私の本質はPである」と判断する根拠です。
これも大別すると二つ。

①人の好き嫌いは私の快不快が全て
②二次創作におけるカオス指向

ですね。

私は私のことを好きな人が好きだ

こちらもまずは①快不快が全て、の説明から。
その前説として漫画の名台詞を復習します。
『チェンソーマン』(藤本タツキ先生)という作品がありますね。
作中、レゼちゃんという女の子と知り合い、交流した主人公・デンジくんは(恐らく知り合ってから数十分単位の時間で)心中にてこう漏らします。

「俺は俺の事を好きな人が好きだ」

『チェンソーマン』5巻131ページより

デンジくんの言葉や情動は、愛着や安心への飢えが土台となっていると思われるあけすけなピュアさが独特な味を醸し出していると感じます。あまり他では(私がこれまで見聞きしてきたエンタメ作品の、特に主人公としては)見かけない無垢さの表現です。
なので読んでいて幾度も彼の心理表現に「おおっ」となったのですが、共感したといえばこの台詞(前後の心理の動き)です。
当然ながら私とデンジくんとは境遇も感性も全く異なるので、本当に彼の心理に共鳴したというよりはもっと表面的な部分に留まる親近感に過ぎないのですが。

つまり。
『私は私のことを好きな人が好きだし、私のことを嫌いな人が嫌い』なのです。
これはちょっと解析度が低い表現なので、もっとくどく言い換えますね。
『私は私のことを好きだと表現してくれる人を嫌いになれないし、私のことが嫌いだと態度に出してきたり危害を加える人が嫌い』
ネガティブな受動的さが増しましたね。

趣味の友達についてならば……という話をします。
私は他人の趣味語りは何でも歓迎して聞きますが、唯一聞きたくないのは『嫌いなコンテンツへの愚痴』です。
一回限りとか、さらっと『それは好きじゃない』という程度なら『そうなんだね』で済ませますが、それを超えて反復的に愚痴るケースです。
そういう、趣味友としては居心地の悪い話をしてくるけど、その人が私個人に対して好意を示してくれているなら……私はその人と縁を切ることは選びません。
私を好きでいてくれる、私と話すことを選んでくれる、私と居て楽しそうにしてくれる。それだけで最大級の加点になるからです。
あ、このアカウントと私の中身を両方知っているリア友さんのことについて言っているのではないので、リア友さんはこれを読んでも自分事だと思わないでくださいね。
そう、私・あややを懐かせるのはとても簡単。好意という餌をやりさえすればいい。

更に言うなら。これは経験がないので『理想論なら何とでも言える』状態でしょうが、相手がいわゆる悪人であっても、私個人と楽しい時間を過ごせる間柄であるならこれも嫌いになれないでしょう。倫理に、法に反する=人として嫌いだから縁を切る……と心から思えはしないと予測します。

そもそも私は滅多に人を嫌いになりません。そこまで行かないけど苦手、怖い……と思ったことならもう少し多くなるけど。
明確に嫌い! となったのは私にパワハラをしてきた人くらいです。それも憎いというよりは怖いというトラウマ(と呼ぶには浅いですが)ですね。
そういう人でも敵対はしたくないので、丸く収まるなら丸い状況でいたいとは思う(実行できるとは限らない、そもそも私のビビりや怖れが丸見えでより嫌われたりする)のですが。
パワハラ野郎だから嫌いなのではなく、私にパワハラをしてきたから嫌い。
あと、嫌いであっても全否定はせず、良い点については正当に評価したいとも思っています。仕事の的確さとか。

その人が正しいか否かより、自分にとってプラスの気持ちを与えてくれるだけで加点される=好きになり、少しでもその加点要素を持つ人を切り捨てられない。
人としてどういう生き方をしているかではなく、私とどう接するかが全ての好き嫌いの基準になるということです。

二次創作において秩序を望むか、混沌を望むか

そして②二次創作のカオス指向について。
趣味メインのブログ(note)としてブチ上げたい視点は実はこっちです。①はどの立場の人でも持ち得る感情なので……多数派かはともかく。
これまで私は、あまり万人に共感されないような二次創作スタイルを推す記事を描いてきました。

これらのスタイルはどちらも『原作の範疇の外から要素を持ってきて組み込む』系です。
全く根拠のない、研究も一切していない思い付きではありますが、二次創作を許容し、なおかつJ気質が強い人はこういう二次創作スタイルを好まないのではないでしょうか。原作という完成した秩序体系から逸脱したものを組み込む行為だからです。

私は、私自身のPな気質が一番発揮されているのは二次創作の場であると感じています。
現実の生活では、他の人への迷惑とか規則とかが介在するので、完全にフリーダムに振舞うことはさすがに問題を招きますよね。
でも脳内妄想は誰にも制限できない治外法権なので思う存分フリーダムできるわけです。
公式ガイドラインを無視した二次創作を推奨するという話ではないですよ。あくまで脳内における発想段階、どんな空想を心地いいと思うかについてです。

私は原作という枠組みが壊される、壊すことを快感と認識する節があります。
とはいえ壊せばいいのではなく、二次創作者の愛(愛の有無を他人が量ることは不可能ですが、少なくとも憎しみや無関心さが発端となってはいないということ、この原作ではなければいけないという代替不能な思い入れがある……と思わせられること)と感性によって、原作が示した世界を前提に新たな発案が為されることに快感を覚えるのです。

原作が受け手の発想、知識、こだわり、美学のフィルターを通すことで、その人を経由しなければ出力されなかった新たなカタチを示す。
これ自体は『逸脱度』が低い二次創作でも共通する尊さだと思います。
それを出力させた形として『遵守度』が高いことに整然とした美しさ、心地良さを見出すのがJ気質。『独自度』が高いことに好奇心が高揚する喜びを見出すのがP気質。
……なのかもしれない、と他の方の16タイプ考察を拝読していて思いました。

それならばやっぱり私はPの人、つまりINFPの人なんだろうなぁと思ったことです。

16タイプ性格診断に限らず、自己分析(笑)記事は楽しいのでまた何かしら書きたいとは思います。
こじんまりと暮らす珍獣の生態観察をしたい方はよろしければまたどうぞ。
今回もお読みいただきありがとうございました!

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