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「情報はタダじゃねェ」の書物論

 小説や漫画や映画やゲームなど、フィクションの中に情報屋という職業のキャラが出てくる。有用なネタ、たとえば敵に関することやこれから行く場所へのヒントになることなどを話してくれる。決まり文句が「情報はタダじゃねェ」であって、彼らはそのネタを教えたことでカネを要求してくる。あたくしなどには憧れの職業であった。中二っぽい夢であるなあ。

 この情報屋、リアルワールドにも実在していて、それがなんなのかというと本の著者なんであった。本、書物の中に情報が詰まっていて、欲しい者はカネを出してその書物を手に入れる。そこに求める情報があるという次第。情報屋とは、ひとつにはものを教える著者のことだったのだ。

 いま情報は無料で手に入る。かなりの部分がそうである。テレビをつければニュースが流れてるし、ネットニュースならYahoo!からスマートニュースまで、腹がへったらクックパッドだし、道に迷えばGoogleマップ、暇だったらまとめサイトでも見てればいい。無料の情報というのはそのようにしてある。

 ただ、それでいいのか、というとよくわからない。一見、無料で済むなら無料でいい。それで足りる場合も多い。ただし無料の情報にはフィルターがかかっていない。有料の情報、たとえば書物の場合は著者の血と肉と汗水のみならず、編集者や校閲のチェックや出版上のマーケティングまでと、そういう何重の段階を経て書店に並んでいるのだ。情報はタダじゃねェ、という顔をして。そうしたものをあたくしなどはほいほい買ってしまうわけだ。情報が欲しいから。

 情報屋ないし著者や出版業界などなど、カネを取るだけあって情報の確度というものはある程度信頼がおけるもんである。現代の書き手も素晴らしい人たちがたくさんいるし、あるいは古典の場合なら歴史を経て読み継がれてきたということも価値の一部となる、ということもよくいわれる。ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスの著書などを読んでみればいい。岩波文庫の青、数百円で極上の知恵が得られるのだ。いや、別に金額がどうこうではなくとも、ああしたものは書店で買ってきて読む以外の方法はない。テレビでローマ皇帝の苦悩などが語られた試しはないんじゃないの。

 そんなこんなで書物によって情報を教える著者たちが情報屋なんではないか、という意見でした。でもいまやYouTubeをはじめとしてネットでの授業も受けられるわけだから、まったく時代というかね、書物だ書物だといっているうちにあたくしなどは取り残されるかもわからんね。カビくさくなってね。

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金井枢鳴 (カナイスウメイ)
チップありがとうございます!助かります。