コロナの神をどう迎えるか
PCR検査から一週間、少し距離を取って考えてみようと思う。
蘇民将来の話、以前書きましたが、自分ごとになったなぁ。
最初は、コロナの神を纏った私を他人がどう迎えたか、というメタファーとして蘇民将来を考えたけど、そもそも、私自身がコロナの神をどう迎えたか、ここだった。
最初、風邪症状が出始めた時、そうコロナの神がやって来た時、正直戸惑った。無かった事にしてやり過ごそうかと思った。遠くに見える、こちらに向かってくる神の姿が見えて、一度は、門を閉ざした。それは、認めます。
すると、熱発。
戸口まで来た神が、扉をノックした。
コンコンっ、「ちょっと、入れてもらえませんか?」みすぼらしいお爺さんがそこに立っている。どうしようか、迎えようか、追い払おうか…。
結果、私は、神を迎え入れた。「どうぞ、お入り下さい」
コロナの神は、遠慮がちに、でも、ちょっと笑顔で入って来た、ような気がする。
それからの現実の顛末はnoteに書いた。
最終的には陰性であったので、その頃には、千と千尋のお腐れ神が実は名のある主で、「ヨキカナ」とか言ってザァーっと出て行くがごとく、コロナの神は居なくなった。
陰性とわかるまでの間、コロナの神を纏った私に対して、家族、職場など他者は様々な反応を示した。
でも、私は、覚悟を決め、コロナの神を歓待していたから、ある意味怖いものは無かった、かもしれない。