見出し画像

沈思黙読会⑨ 皆さんの持参本紹介

2024年7月13日(土曜日)、神保町expressionで行われた沈思黙読会、第9回目に参加された皆さんが持参されたのは、こんな本でした。

斎藤さんの「文字が作り出す世界を味わう3冊」 

 「続明暗」水村美苗(ちくま文庫)
「メリディアン」アリス・ウォーカー(朝日新聞社)
パク・チャムセ「チョンシンモリ」(民音社)


 先月、ここで夏目漱石の「門」を読んだ後に「明暗」を読んだので、それなら未完で終わった「明暗」の続編として水村美苗さんが書かれた「続明暗」も読もうかなと。この本は水村さんが意識して漱石風の文体を使っているんですが、御本人はあとがきで、漱石に似せて書くことが目的ではなくて、ただ面白く読める小説になればいいという目的を持っていた、とはっきり書いているんですね。
「小説を読むということは現実が消え去り、自分も作家も消え去り、その小説がどういう言語でいつの時代に書かれたものかを忘れ、ひたすら目の前の言葉が作り出す世界に生きることである」と。

この沈思黙読会で読書についていろいろ話してきたからこそ、本を読むというのは、この「ひたすら目の前の言葉が作り出す世界に生きる」という1行に集約されるのかなと思ったりしました。ただ目の前の文字を見ているだけなのに、時代も地域も超えてその本の世界に入っていけるのが小説のすごいところで、それだけに本に没入できないと焦りを感じるのかな。だからこそ、いい読書ができたときにはちょっとした幸福感を持てるのかもしれないですね。

アリス・ウォーカーは「カラーパープル」が有名ですが、「メリディアン」の方がよかった、という人が周りに多くて、私もこちらが好きだったので、もう一回読み直しています。

もう一冊は第42回キム・スヒョン文学賞を20代で獲得した韓国の新人詩人による詩集パク・チャムセ「チョンシンモリ」。これは少し面白い仕掛けがしてあって、あるページでは活字を太く印刷しすぎてインクがにじんでいるような印刷がしてあるんです。よく見れば文字だとわかるけど、パッと見たときにはなんだかわからないんですよね。じっくり見れば読めるんですけど、読むのにすごく苦労する。こういう実験的はスタイルは現代美術なんかでは見たことがある気がするけど、本で見たのは初めてで、面白いなと。こういう場所で読んだらまっさらな感じで入り込めるかなと思って読んでみたんですが、意外に入り込めなくて、むしろ電車なんかで読む方が向いているような気がしました。

 Aさんの「満を持しての1冊」

「別れを告げない」ハン・ガン:著/斎藤真理子:訳(白水社)
 
今回、初参加です。家ではなかなか読むきっかけがなく、ここに来られたときにと思って取っておいた「別れを告げない」を読みました。ハン・ガンさんは自分にとって読みやすい作家じゃないので、普段はなかなか読み進められないんですけど、ここではよそ見せず集中できたので、半分ぐらい読めました。

もともと、子どもの頃に本を読む習慣がなくて、読書するようになったのは社会人になってからなんです。ある時期、半年ほどアフリカに住んでいたんですが、向こうには娯楽がないので半ば強制的にというか、それしかないので本を読むようになり、そこではすごく読めたんです。

そこで、帰国したらあれもこれも読もう、と思って当時読んでいた文庫本の最後に載っている既刊紹介リストを全部買い揃えたりしていたんですが、帰ってみたら全然読めなかった。やっぱり他に娯楽があるとよそ見をしちゃうんですね。だから、沈思黙読会のことを知って、ここなら読めるんじゃないかと、いつか絶対行こうと思っていたんです。今回、参加できて貴重な経験になりました。 
 
Bさんの「沖縄戦にまつわる3冊」

「沖縄戦を知る事典」吉浜忍, 林博史, 吉川由紀:編集(吉川弘文館)
「沖縄戦記 鉄の暴風」沖縄タイムス社:編(沖縄タイムス社)
「沖縄鉄血勤皇隊」大田昌秀:編(高文研)
 
最近、ちくま学芸文庫から復刊された「沖縄戦記 鉄の暴風」は、沖縄タイムスの記者たちが体験した沖縄戦の記録集で、終戦から5年後の1950年に出版された本です。
この本は2001年度版で、2008年に沖縄へ旅行したときに買ったんですが、当時、ひめゆりの塔のところにまで読み進めたんですが、そこからつらくなってしまって、ずっと本棚に挿しっぱなしになっていました。今回、これを読むために、残りの2冊は参考書にするつもりで持ってきました。

「沖縄鉄血勤皇隊」は元沖縄県知事の大田さんが、自身が17歳の時に沖縄戦に参加した頃の記録をまとめたもので2017年刊、「沖縄戦を知る事典」は2019年刊で、それぞれ沖縄へ行った時に、資料になるかなと思って買ったものです。地理的な関係性や出来事の背景など、あっちこっちとページをめくりながら読み進めていったので、それこそ今日はきちんと「入って」いけました。
 
Cさんの「ここで読むために買った1冊+チェイサー本」

「百年の孤独」ガブリエル・ガルシア=マルケス:著/鼓直:訳(新潮文庫)
「未来倫理」戸谷洋志:著(集英社新書)
 
ガルシア=マルケスは大好きなんですが、「百年の孤独」は実は未読で、絶対にここで読もう、と思って買ってきたものです。この本の世界に入りこみたいと思っていて、今日はじっくり入っていくことができました。

特に午前中はテンポよくどんどん読めて、この調子だと半分くらい行くかも、と思っていたんですが、やはりちょうど3分の1ぐらいのところで、だんだんこの世界に疲れてきてしまって、一旦ここで置いておきましょうと思い、読み飽きた時のために持ってきたチェイサー本の「未来倫理」に切り替えました。

「百年〜」の方はとにかく名前が複雑なので、それを整理するためにメモを取りつつ読み、「未来倫理」は内容がなかなか入ってこなくて目が滑っていくような感じがしてきたので、きちんと整理するためにメモをとりながら読みました。今回は2冊とも、書くことと読むことがうまく絡み合った感じがします。
 
Dさんの「読書時間をバランスよくデザインできた3冊」

「台湾漫遊鉄道のふたり」:楊 双子著/三浦裕子:訳(中央公論新社)
「三四郎」夏目漱石:著(新潮文庫)
「韓国ドラマを深く面白くする22人の脚本家たち」ハンギョレ21、シネ21:著/岡崎暢子:訳(CUON)
 
4回目の参加です。最初に参加したときは「スマホを切る」というのが自分の中でも主題だったんですが、回を重ねてそれが薄まってきたなと感じます。今日は「そういえばスマホ全然見なくても大丈夫だったな」と後から気づくぐらいの感じで、これまでで一番、最初から自然な流れで読書に入れたように思います。

「台湾漫遊鉄道のふたり」はこの会でも話題になっていたので、読んでみました。事前に少しだけ読み始めておいたのも功を奏したのか、集中して午前中に読み終えられました。お料理が美味しそうでお腹が減る小説だったので、読み終わってちょうどお昼ご飯、という流れがすごくうまくいったなと。前回から、自分が50ページ読むのにどれくらいかかるかを測っているんですが、今回は大体1時間ほどでした。1ページの文字量などが違うので、本によっても色々になると思いますが、読書の記録としては面白いかなと思っています。

午後は前回の続きで「三四郎」を。途中、少し眠くなってしまったんですが、うとうとしながらも読めたというか、自分が漱石の文体を知っているからなのかもしれませんが、ちょっとうとうとしながら、でも文体が中に入ってくる感覚があって、これはこれでいい読書体験だった気がします。

「韓国ドラマを〜」はインタビュー集なので、集中できなかったらこっちをちょっと読んでみようというつもりで持ってきました。今日は22人中3人分読んだんですが、測ってみたら1人のインタビューを15分くらいで読めたので、なかなか本に入り込めないなっていうときに、1人2人分ずつ読むのがいいように思います。
 
 Eさんの「韓国の今を映す2冊 」 

「韓国ドラマを深く面白くする22人の脚本家たち」ハンギョレ21、シネ21:著/岡崎暢子:訳(CUON)
「韓国の今を映す、12人の輝く瞬間」イ・ジンスン:著/伊東順子:訳(CUON)
 
私も同じく「韓国ドラマを深く面白くする22人の脚本家たち」と、「韓国の今を映す、12人の輝く瞬間」を。両方ともチェッコリで買ったばかりなんですが、脚本家の方は手がつけられず、「韓国の今を映す~」の方を読み切ることができました。著者のイ・ジンスンさんはハンギョレ新聞という、韓国では割と革新系の新聞社で長く働いている女性記者さんで、彼女が毎週、いろんな人にインタビューをしていった中から12人を選んでまとめた一冊です。企画自体も素晴らしいし、伊東順子さんの翻訳もまた素晴らしいし、なにより出てくる人たちの人生が、名のある人も、名も無き人も素晴らしくて、心に残る一冊を読めてよかったなと思っています。

前回、前々回とお休みしたんですが、他はほとんど参加させていただいていて、確かに初回はすごく緊張してスマホを切っていたんですが、いまやスマホを切ることにさしたる抵抗感もなく、ここへきたらもうすぐに切っちゃっています。そのせいなのかわかりませんが、今までは本を読む前に周りを整えてからじゃないと入り込めなかったり、反対に喫茶店みたいにガヤガヤしてるとこへ行かないと入り込めなかったんですが、そのハードルが少し低くなった気がします。本への入り込みに時間がかからなくなったというか、ぬるっと入れるようになったというか。これも体が慣れてくるってことなのかなと思って、これがずっと続けばいいなと思っているところです。
 
 Fさんの「初参加に向けて選んだ5冊」

 「ガラスの橋 ロバート・アーサー自選傑作集」ロバート・アーサー:著/小林晋:訳(扶桑社)
「巡査たちに敬礼を」松嶋智左:著(新潮文庫)
「グローバルサウスの逆襲」池上彰、佐藤優:著/竹内理:訳(文藝春秋)
「着眼と考え方 現代文解釈の基礎〔新訂版〕」遠藤嘉基, 渡辺実:著(ちくま学芸文庫)
「あらゆることは今起こる(シリーズ ケアをひらく)」柴崎友香:著(医学書院)
 
50代になってから体力、知力、記憶力、集中力が落ちてきたのか、本がなかなか最後まで読みきれなくて、つまみ食い状態みたいになってしまったり、読んでも読んでも残っていかない感じがしたり。そんなタイミングでこちらの読書会を見つけて、本の読み方を考え直すきっかけになれば、と思って参加させてもらいました。ここでどんな本を読み進められるかわからなかったので、とりあえず読みやすそうな本を5冊ぐらい持ってきたんですけれども、そのうち4冊に手をつけることができたのでよかったなと思っています。

午前中はミステリを2冊、午後は読みかけだった「グローバルサウスの逆襲」を読み終えました。最後の1時間ほどで、「あらゆることは今起こる」を読み始めたんですが、これは柴崎友香さんが自身がADHDだと自覚して、それによって色々と鮮明になってきたことを振り返っているエッセイで、その中で柴崎さんが書かれている困難な場面などが、自分にも共感できるところがあって面白かったです。今日4冊読んだ中で一番自分に引っかかったというか、響くところがありました。

読書に関して自分が最近行き詰まっているのは、「本を読んだ」というのは一体どういうことなんだろう、ということです。ページに書かれている文字を最後まで読めば、それは「読んだ」ことになる。そのことは別に否定しないんですけど、小説にしても人文系の本にしても、自分は読み終えてもしばらくすると内容をすぐ忘れちゃうんですよ。そのために付箋を貼ったり、最近は要約を書いたりもしているんですが、読んだ本がどれくらい自分の中に取り込めているかということは測りようがない。だから本棚は充実していっても、自分はどれだけ充実しているのか。本棚が充実すればするほど、自分自身はカスカスなのかもしれない、などと思ってしまって。だから皆さんは「本を読んだ」っていうことを、どういうふうに感じていらっしゃるのかな、ということをお聞きしたいなと思いました。
 
斎藤さん
確かによくSNSで「#読了」という投稿をしてらっしゃる方がいますが、それはその時の状態であって、一ヶ月後、数年後はどうなっているかわかりませんもんね。読んだことを忘れて同じ本を読んで、3分の2くらい読んだところで「これ読んだことあるな」って思い出したりしますからね。だから私はやっぱり「読み終わり」っていうのはないような気がします。読み始めたらドアを開けたことにはなるんだけど、それは閉まらないんじゃないかな。結局、ドアが開いたことが「読んだ」ということであって、それは閉まらないので、いつでも再開できるような気持ちでいます。」

 
Gさんの「韓国旅行にまつわる2冊と夏の原民喜」 

「大邱の敵産家屋: 地域コミュニティと市民運動」松井理恵:著(共和国)
「日帝時代、わが家は」羅英均:著/小川昌代:訳(みすず書房)
「原民喜詩集」(細川書店)
 
先日、韓国旅行で大邱(テグ)に行きそびれたのが心残りで、そんな時に見つけたのが「大邱の敵産家屋」です。大邱の街にはいまも日本式の住宅が残っていて、それが「敵産家屋」と呼ばれ、何度も修復を経て商店や町工場として保存、活用されている、という話は本当に面白くて、これを旅行前に読んでいたら、絶対大邱に行ってたなと思います。

反対に韓国旅行直前に見つけたのが「日帝時代、わが家は」で、これは旅行前に読む本じゃないなと思って、この会のために取っておいた一冊です。
私はここ数年、梅雨明けから終戦記念日までは原民喜を書き写すという謎の鎮魂活動を習慣にしていて、去年、「夏の花」を写し終えて、「来年からはやりません」と別れを告げたつもりだったんです。
ところが、今日のために持っていく本を探していたら、民喜が「君は今日は神保町に行くんだろう。だったら僕を連れて行け」とざわつき始めて。じゃあ、全ページしっかり読み終えてない詩集が一冊あったから、それがすぐ見つかったら連れてくわ、と探してみたらすぐに見つかって。

で、持ってくるだけで読むつもりはなかったんですが、ふと脳内音読のことを思い出して、詩集だったらいけるかも、と思って。原民喜の声は知らないので、がんばって声を聞くように詩を読んでみた。内容的には、奥さんが病気になって、亡くなって、原爆の詩があって、最後はキリスト者になって、という時々の詩なんですが、その場面場面で聞こえる声が違っていて、とても面白かったです。
 
Hさんの「絶対に読もうと思って持参した1冊」

「雨の島」呉明益:著/及川茜:訳(河出書房新社)
 
今日はこれを絶対に読もうと思って持ってきたんですが、ほんの1ページしかないプロローグを何度も何度もループするように読んでしまいました。そこから、どういう本なんだろう、と思いつつ入っていくと、翻訳もとても読みやすくてスラスラ読めそうなのに、気になる文章があるとついそこを反芻してしまい、6話入っている短編のうち2話までしか読めませんでした。なんというか、物語に入ってはいけるんだけど、次のシーンはどうなるんだろうとグイグイひっぱられるような感じてはなく、その物語の中にずっと滞留して、いろいろなことを感じさせられる、そんな本だなという気がしました。そういう意味では、ここのように、安心してじっくり本に入り込んで読める場所じゃないと読めない本なのかもしれない。だとしたら、このセレクトは正しかったなと思いました。電車の中では多分、読めない。乗り過ごすところじゃなくて、山手線5周ぐらいしてしまうんじゃないかなと思います。
 
 
Iさんの「引き続きパレスチナとイスラエルに関わる2冊」

 「パレスチナ解放闘争史 1916-2024」重信房子:著(作品社)
「NHKこころの時代 宗教・人生 ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」勝田茅生:著(NHK出版)
 
前回、ここで重信房子さんの「パレスチナ解放闘争史」を読んだんですが、その後、家へ帰ってから今日までの間、ページを開けないままでした。日常と切り離した空間がないと、この本に入り込めないような気がして。パレスチナで起きていることは現実で、彼らにとっては日常なのに、自分はそれを日常と切り離した空間でしか読めないという、そういうジレンマみたいなものを感じながら読んでいました。ただ、読み進むにつれ、私はこの人以外の人が書いたパレスチナの本も読んでみないといけないんじゃないかな、と思い始めて。この本を読み終わるかどうかもわからないんですけれども、もっと他のパレスチナについての本も読んでみなければと思いました。

お昼休みにはちょっとヴィクトール・フランクルの本を読んで、この2冊を読み続けるのはちょっとしんどいなと思ったので、午後は向田邦子さんのエッセイを読みました。向田さんの文章は言葉がわかりやすくて、これこそが自分の日常だ、みたいなところなどは読んでいて気持ちもすっきりして大好きなんです。ただ、あるところまではすごく「自分と同じ」と思っているのに、あるところに来ると「この人の人生って、やっぱり私なんかと違って華やかなんだ」などと感じてしまうところもあって、面白いなと思って読んでいます。
  
*         *     *     *     *

今回は、某新聞の齋藤さん特集記事のための撮影が入ったため、会場に斎藤さんの(ほぼ)全著作が並びました。韓国で出版された斎藤さんの詩集など、お宝本も!!

봄날의 책(「春の日の本」という意味)から刊行された斎藤さんの詩集「단 하나의 눈송이(「ただ一ひらの雪片」という意味)のカバー表4(裏表紙より)。

次回の沈思黙読会(第10回)は、8月17日(土)、詳細とお申し込みはこちらです。基本的に月1で、神保町EXPRESSIONで行われます。学割(U30)有。オンライン配信はありません。

※トップの画像は、第十回日本翻訳大賞を「著:サイディヤ・ハートマン/訳:榎本空『母を失うこと 大西洋奴隷航路をたどる旅』(晶文社)」とともに授賞した「著:楊双子/訳:三浦裕子『台湾漫遊鉄道のふたり』(中央公論新社)」のカバーより。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?