沈思黙読会⑨から
2024年7月13日(土曜日)、神保町expressionで行われた沈思黙読会、第9回目に参加された方々のご感想を公開します!(順不同です)
●Aさん
3回目になると、どんな体験かということが少し積み重なったこともあり「分厚い本の読みはじめにいいな」というイメージが持てていてこの機会のために本を選ぶということをしてみました。『百年の孤独』は発売を楽しみにしていて買う前からこの会で読もうと思って、一ページも開かずまっさらの状態でもってきました。ワクワク感も手伝ってすいすい読めてスマホの存在が浮かぶこともなく、やはり体験の重なりで脳がスマホがなかった時のことを思いだしている気がします。時間に追われて本を読むという普段の読書とはちがうことが何よりありがたいです。時間はたっぷりあるのだから…と、頭に入らなければ何度もくりかえして文をなぞってみるとかそういう余裕のある読み方ができるのも、この時間の醍醐味だなと思います。
●Keseraさん
本と一対一となって、没入して読書するという体験を改めて感覚として思い出せる会でした。同時に、自分の中に湧き上がってくる考えや思いに、いつも以上に左右される感覚もありました。読む本や場所にもよるとは思いますがとても刺激的でした。参加者の方の読書体験も大変興味深く共感できることばかりで嬉しく思いました。
●まかさん
ずっと参加しようと思っていたので参加できた!という感じです。初めてなので斎藤さんのものをと思いハンガンさんの「別れを告げない」を読みました。スマホを使えないしどこかに行くとかもないので本を読むことに集中できました。完全に集中ではなくて時おりつかれてねむくなったり逆に没入したりと一定でない感覚でした。内容的に楽しくてページをめくる手が止まらないではなく何度も同じところを読み返したりしながらも進んで行けました。スマホや他のものに気をと取られない環境はたまに必要だと思いました。かつてアフリカに住んでいた時にすることが他にないのもありどんな本もおもしろく読めました。あそこまでの感覚は二度とないと思いますが近いところに行けたなと思います。ソファも良く読みやすい場所でよかったです。また参加します。
●川延富士子さん
この会場に来ないと読めない本がある。日常と切り離さないと読めない本がある。前回の会からひと月余り一度も開かなかった重信房子著「パレスチナ解放闘争史」である。何十年も前から続いている紛争のニュースを聞き流し深く心に止めることも理解する気持ちも持たずにいた。数年前NHKの番組でイスラエル人ジャーナリストの女性がパレスチナの人々が置かれた現状を話すのを聞き衝撃を受けた。問題意識を持ちながら何も行動せずにいたが今回のイスラエルによるガザ侵攻を知ると私がわからないことばかりだった。この本を書店で見た時「これを読んでパレスチナを知りたい」と思った。パレスチナ・中東が抱える問題は植民地支配と関係しているのだと言うこともわかりやすく説明してある。読み進むうちに詳細な内容に驚いていたが同時に他の人が書いたものも読んでみたい。読む必要があるのではないかと感じるようになった。これをきっかけにもっとこの問題を考えてみたいと思っている。
●二見さつきさん
6月をお休みして2ケ月あきましたが、集中して本を読む時間がとても待ち遠しかったです。本に入りこむ、読むことに入って行くための工夫をいくつか得ることができました。昨年11月から参加してきて大きな収穫です。
●Bさん
初参加では来る前は途中で眠ってしまうかも……(PM眠ってしまいました)読書に集中できるかも……などの不安が胸にありましたが、会が始まると思ったよりすんなりと本の中へ入って行くことが出来てとても良い休日になりました。
ランチの時先生と同じテーブルに座らせて頂きました。本の内容より読書の方法と環境についての話題で盛り上がったことが他の参加した読書会と違って非常に面白かったです。特にスマホと読書の関係については皆さんそれぞれが悩んでたり考えたりしていることが印象に残りました。本を読むこと本を読んだことそれぞれに意見をいただけて良かったです。何よりも読書だけに集中できてとても素敵な時間がすごせました。
●Cさん
前回お休みして、ちょっと家で試してみようかと実験して大敗したので、今回は、じっくり時間が取れる喜びをより一層噛み締めてとても楽しい時間を一人で味わえました。
持ってゆく本を吟味するのも過程として楽しめるんですが、岩根さんが選書してくださった本(今回はイレギュラーでしたが)があることで、事前に立てていた読書計画が覆されて、持っていくだけのはずだった本を読めてよかったです。あわいの人のハン・ガンさんに繋いでもらった気分です。
いつも私は脳内音読をしないので、やっぱり詩だとやりやすかったです。午後に読んだ本では、あまりうまくいかなかった。
一字一句読み飛ばすことなく、ギリギリと読む(ように思える)脳内音読だと、字が読めなくても読んで、句読点で書き手の息に一層合わせてゆく気がしました。声になってゆくのも、そうやってちょっと自分を離れるからかなと思ったり。。
参加者の方が「読み終わったってどういうことだろう」と話されていて、ぎゃ!と思いましたが、本当に、一体読み終わったとは、読むとはなんなのか。ふと、前にも確か話に出た、ムハンマドが天使に「よめ!よめ!」と強く言われたことを思い出し、文字を読めないものにも強要されるような「よむ」の片鱗を私たちは文字を通して味わっているのかなあなどと思いました。
あと、私が好んで持ってきてる本たちが、神保町と親和性が高く、やっぱりここで静かにじっくり本と向き合うのは、いい体験なんだなと改めて感じました。
す。。
●富田茜さん
4回目の参加です。回を重ねるにつれ、「スマホを切って読書」ということへの負荷がいい意味で薄れていることに気づきました。この環境に慣れてきたのだと思います。かといって普段も読書する時にスマホを切れるかと言われたら難しいですが……。
最後に斎藤さんが「ドラマや映画だと『のれるかどうか』だが、本だと『入っていけるかどうか』」というお話をされていたのが印象的でした。読書はより積極性が必要な行動だと思います。
今回は、この会で読み終わるようにあらかじめ半分以上読んできた本を持ってきたので、それも『入っていける』ための自分なりの工夫かもしれません。
午後は夏目漱石の「三四郎」を前回に引き続き読みました。お昼を食べたからかちょっと眠かったものの、昔から親しんできた漱石の文体だからか(途中、うとうとしながらも)入っていける感覚がありました。
この会の前に、たまたま喫茶店の狭い1人席に通された時があり、落ち着ける席でもないにも関わらず、何故か読書がいつもより捗ったという体験がありました。日常でも引き続き、入っていける読書環境の研究をしてみます。
いつも素敵なリアクション・ペーパーを書いていただき、ありがとうございます。丁寧に書きたいからと、沈思黙読会は終了後ではなく、後日メールで送ってくださる方もいて、ほんとうにうれしい限りです。
沈思黙読会では、純粋に読書を楽しむということど同時に、読むという行為の奥深さを追求していきたいと思っています。
次回の沈思黙読会(第10回)は、8月17日(土)、詳細とお申し込みはこちらです。
基本的に月1で、神保町EXPRESSIONで行われます。
学割(U30)有。オンライン配信はありません。
※トップの画像は、ガルシア=マルケス 「百年の孤独」(新潮文庫のカバー装画より。単行本時には、スイスの現代美術家、シルヴィア・ベッヒュリのオブストラクトな画像が使われていましたが、文庫版では三宅瑠人によるブエンディア家の年代記をモチーフにした作品を使用。どちらもいいですね。ブックデザインは新潮社装幀室。