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多数派の意見で成り立っている「普通」が少々苦手だ!

普通や常識は大勢を占める空気みたいなもの

「普通ならできるだろう」「普通じゃないぞ」、誰でも一度は言われたことがあるはずだ。あるいは言ったこともあるかもしれない。普通でないことを嫌う閉鎖的な田舎で育ったせいか、「普通」という言葉に少々抵抗を覚える。

普通は「常識」と言ってもいいかもしれない。この「普通=常識」というやつは時代によって変わる。あるいは国や地域によっても異なる。要は普通というのは案外あやふやで危なっかしいものなのだ。

「空気を読め」ということが盛んに言われた時期があった。読めないと「わからないやつ」というレッテルが貼られた。ある意味では、普通や常識は時代の大勢を占める空気みたいなもので、多数派の意見で成り立っている。

普通の人だけが集まる、普通じゃない人が集まる

「普通の人だけが集まった」会社はどんな感じだろうか。社員同士の仲はいいかもしれないが、同じようなような発想しか出てこないような気がする。普通であることを求めるルールも多そうで、窮屈な感じもするなあ。

反面、「普通じゃない人が集まった」という会社はどんな感じだろうか。多様な意見やアイディアが飛び交っている。会議や打ち合わせも喧々諤々だ。 そもそも会議は少なく、何かあるとすぐに膝をつき合わせて話し合う。

人種や国籍、性別、年齢、障がいの有無、宗教、性的指向、価値観などにはこだわらない。キャリアや経験、職歴、働き方の違いも積極的に受け入れる・・そんな会社像は遠い先の話ではなく、すぐ目の前に迫ってきている。

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