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 私は夏に初めて母になった。臨月の夏の日はとても寝苦しくて暑かった。疲れるから暑くても眠れたけれど、母になって迎えた8月はお腹がすっきりした分とても涼しく感じたことを思い出す。 
 その後に生まれた子も皆夏を挟んでいる。八月に生まれた子の時には、予定日より早めに病院に入院することになったのだけど、生まれる兆しのない中、退屈しのぎにテレビを見に行っていた病棟の日当たりの良いデイルームの、冷房の効かな

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 私の人生最後の出産はとても暑い8月だった。夕立になりそうでならない蒸し暑い日。日暮れ時に面会に来た家族を駐車場に送った。夕焼けと夕闇の境目がはっきりし始めた景色を背に車の中から、もうひとりのお姉ちゃんになる娘が窓を開けて叫んだ。
「ねえ、かあさーん、あかちゃん、いつ生まれるのー?
きょう、予定日でしょう」
ゆっくり走り去る車を見送りながら、一人残された私は娘に向かって独り言を言った。
「あなただ

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 母は夏に生まれた。夏に生まれた子なので名前は夏子。生まれた子の順番や花木の名前から名付ける時代だったのだから、世代にも馴染んでいたのだろう。
母の姉たちも、生まれた日をそのまま名付けられたり、仏教にまつわる行事から名付けられているので、季節を名付けられるということも大きく手を抜いている感じもしない。
 母の父、つまり私の祖父が名付けたのだと聞いている。私の名前には祖父と同じ漢字が使われている。そ

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「夏」という言葉から思い出したことを綴っていた。
思い出らしい思い出は殆ど無い。あったのかもしれないけれど、それを思い出と呼ぶにはなんとなく物足りないかな。
 小学生の頃は夏休みがあると必ず絵日記や、夏の思い出を絵に書くという宿題が出されていた。絵の得意でない私にはとても苦痛だったし、友達に話したいような華々しい夏の思い出がなかったから、ある年はほとんどヤケクソの、墓参りをしている絵を書いたことが

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 その日人の気配で目が覚めた。正確には大勢の人が私を持ち上げ、私はベッドに寝かされ、その掛け声で人の気配を感じ、自分が人に囲まれていることに気付いたのだった。
記憶を無くす前、私はストレッチャーがなんとも不安定で身の置き所がないものだということを体感し、その上で私を励まそうとしている若い女の声に虚しさに近い嫌悪を感じていた。激しく回る車輪の音は、静かな渡り廊下に響いていた。曇りガラス越しに目を閉じ

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