私の人生最後の出産はとても暑い8月だった。夕立になりそうでならない蒸し暑い日。日暮れ時に面会に来た家族を駐車場に送った。夕焼けと夕闇の境目がはっきりし始めた景色を背に車の中から、もうひとりのお姉ちゃんになる娘が窓を開けて叫んだ。
「ねえ、かあさーん、あかちゃん、いつ生まれるのー?
きょう、予定日でしょう」
ゆっくり走り去る車を見送りながら、一人残された私は娘に向かって独り言を言った。
「あなただって、二週間も遅れて生まれてきたじゃない」

 予定は未定で、出産予定日はまあ大雑把な目安だと思っていたから、早まることより遅くなる方が安心なのだと理由もなく思っていた。ただこの8月のお産は、予定日前からの入院になってしまったので、遅れれば遅れるほど退屈な入院生活が長くなる。きっと長くなるのだろうから、一度家に帰れるように次の週末前に聞いてみようと思っていた。
 予定日の日の夜の消灯時間が過ぎた頃、私は身体のまさにお産の始まりの変化を感じた。昼間ほど強くはない冷房になっている病棟の廊下は、大きなお腹を抱えた私には蒸し暑かった。とりあえず廊下を歩いてデイルームまで行ってみたけれどやはり横になっていた方がいい気がしてベッドに戻った。
横にならずに腰掛けていても落ち着かない。また廊下に出てうろうろ歩いていたら、夜勤の看護師さんに声をかけられた。私は身体に感じた変化を伝え、歩いている方が気持ちが楽なことも伝えた。
 何度か出産を経験していても、お産の始まりはそれぞれ違っていて、その時も私は自分のお産の兆候に気付けなかった。うろうろ歩いて眠って起きれば、また退屈な入院生活が始まるのだと思っていた。
 その夜に私の身体に起きた変化は、私の入院生活の終わりの始まりだった。
実際の終わりは思っていたより一週間伸びたけれど、その日の翌朝には、滝のように汗をかく生活からは開放された。