【エッセイ】「潜在意識を変えられれば『自らが意図した環境・状況』へ遷移する事ができるのではないか?」の話
昨日寝る間際にふと思いついたのだ、「『無意識・潜在意識が採らせる思考に伴う言動・行動が今の環境・状況を作った』として、潜在意識を変えられれば自らが意図した環境・状況へ遷移する事」ができるのではないか?」と。
当然専門家でもない門外漢の私にはそれが正しいかなどわからないが、これまでに得た知識はどこか的を射た感覚を返してくれるのだ。
正しいかはともかく、備忘録としてここに認めておこうと思う。
「顕在意識で何かを望むのは、今手元にある何かでそれを実現できないから」なのは自明だろう。
また(手元にない)モノを欲しいと思うのは「本能に基づく欲求」であり、動物として生まれた以上「別の何かに生まれ直す」以外にそれをなくすのは不可能だろう。
では潜在意識は何を望み、何を避けるのか? そもそも潜在意識とは何なのか?
一般に潜在意識・無意識とは「人間の行動・思考で用いられる意識全体の95%を支配する領域」であり、言葉にするのが難しい概念の事とされている。
それは個人の特性(経てきたあらゆる経験や価値観など「その個人を構成するあらゆる要素」)から構成され、故に「同じ瞬間のない漸次形を変えているモノ」と思われる。
そして顕在意識からそれを明らかにするのは難しいが、「顕在意識が介在しない選択の場面」を眺める事で、「潜在意識で何を避け何を望んでいるのか」がわかる様になるかもしれない。
また潜在意識を考える前提として「外乱による不可抗力(地震や豪雨の様な自然的災害、戦争や革命の様なその発生に直接関与していない人的災難)」は考慮しない事にする。
「当該個人が採る選択が環境・状況を決定づけている事」を考察する上で、パッと見個人が関係して居なさそうな要素を排除する為だ。
(しかし究極的には「それらもその人の可能性がもたらしたイベント」とも言え、「『この世界の内側という閉鎖系』に生きる我々における決められた事」だったと考える事もできるが、一旦置いておく)
例えば「はじめの方の境遇は良かったけど悪化した人生」は、「恵まれた境遇を失う事への恐怖」がそうさせたのかもしれないし、その境遇を享受できている事への感謝を忘れ背徳を歩んだ結果かもしれない。
逆に「初めの方は境遇が悪かったけど好転した人生」は、「それまで劣悪だったからこそ出会うモノ全てが有難くて感謝を忘れなかった」のかもしれないし、「困窮を知っていたからこそ自分よりも困っている人を助け、それが評価された」のかもしれない、と言った様に。
だが「顕在意識をもって潜在意識へ干渉し変容させるのが簡単ではない事」は広く知られている。
もしそうなら今頃誰もがお金持ちやメジャーリーガーや大発明家に成れているのだ。
では何故できないか?
私は「既存の手段以上に現状潜在意識へのアプロ―チに有効な手段がないから」だと考える。
一般的にそれは「永い時間をかけてゆっくり形を変えていくアプローチ」であり、さながら歯列矯正だ。
だがそれには「継続する為のしなやかで強いモチベーション」がなければならず、私を含めて多くの人はそれを見つけられず道半ばで失敗するのだ。
そして世のノウハウ本で習慣化せよと言われているのはその為で、つまり「習慣化して『顕在意識を動員して矯正する力』を減らそう」と目論んでいる訳なのだ。
掛かる力が減ればそれだけモチベーションが続く時間も長くなり、「燃え尽きるまでに成就する可能性が高くなるという事だ。
ではどうしたらいいだろうか?
結局現状は「習慣化して身に着ける」以外に手段は存在しないのだ。
だがここで一つ、実現できるかは脇に置いておいて、SF話として「記憶や人格に直接手を加える」という手段が考えられる。
(ここでいう人格とは「自分が持っているもの(特性や数々のリソース)をどのように使い、あまねく他者とどの様に関係していくのか等を判断・決定・実行する主観認知」の事であり、「同じ信念・欲望・記憶・目標のベクトルが存在しているか」で同一性を判別できるものの事である。)
まず前提として「人格は脳だけではなく『各種臓器から分泌されるホルモン』も含めたトータルバランスで成っている」とする。
つまり、例えニューロンの発火パターンだけをコピーして別の器に移したとしても、それは「別の肉体のトータルバランスで稼働している別個人格」になる訳である。
そしてそれは「元の肉体の主観意識が残ったまま、瞬間的に同じ人格パラメータを持った全くの別人が存在する事」を意味するのだ。
(しかし個人を定義する上で「人格の同一性」を重視するのであれば、別個人格が入っているとされるその別の肉体もコピー元の存在と同義であると考えられるだろう。
違うのは「『表から見えないところで人格を稼働させている無数のシステム』と『それが入っている器』」だけなのだから。)
その上で「何らかの手段で記憶や人格を操作できる技術・設備」があるものとする。
準備が整って実際に処置を行った時、順当に考えられるのは「脳のある領域に格納されているある物質配置パターンが変更される事」によって情報が書き換えられるという事だろう。
そのメリットはメンインブラックの記憶消去装置だったりプルートゥのゲジヒトの様子に分かりやすいだろう。
だがその結果「その情報のプロパティ」が破綻、つまり「時系列や前後の文脈が合わなくなることによって混乱が生じる事」が懸念され、記憶・人格を操作された個人の中で混濁が生じるリスクが考えられる。
例えば「自分以外の誰もが知らない(あるいは自分だけが知らない)記憶、五感や思考を通した感覚との乖離感」とか「記憶の中では嫌っていたはずのモノが好きになっていたり求めるようになっている矛盾・違和感」が考えられ、何が事実かわからなくなって全方位への不信感に苛まれたり、最悪人格の不可逆的な破綻も考えられるだろう。
(そしてそれを秀逸に表現したのがマトリックスにおけるデジャブだろう。)
その為トータル・リコールみたいに「記憶のパッケージとしてある程度まとまったシナリオを記憶に書き加える方法」が考えられるものの、どれだけ小さなブロックの追加や削除だったとしても「その入力がどんな(指数関数的な)出力をもたらすのかがわからない以上、安易に触るべきではない」と言わざるを得ないだろう。
いずれにしろ「神経工学が未発達な今、『潜在意識を短時間で変容させるのを考える事』は難しい」という訳である。
という訳で、この記事をまとめると以下の様になる。
今の技術力ではいつそこに到達するかはさっぱりわからず、物事の習得には時間のかかる手段しかないが、私はいずれその時代がやってくると、楽しみにしている。