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砂になりたい

ふとした時、無性に寂しくなる時がある。

それは、夫がいようが子どもがいようが関係なく、唐突に起きる。なにか悲しいことがあったわけでもない。家族は皆元気で、不満や多少のトラブルはあるにせよ至って穏やかである。

寂しいという気持ちは不思議で、なんの前触れもなく風が靡くように心をすり抜けていく。


今ふと、過去に下書きしたまま埋もれていた文章を何気なく読んだ。
ちなみに上記は、2021/7/20最終更新のものだったようだ。

この時から約1年半経った今。 
私の心には今も変わらず寂しさの香りが掠める。

寂しさは、独立機関。

充足感や多幸感、自尊心とは全く関係ない。
ほとんど理由など必要としない、曖昧で身勝手でいつ自分の隣にいるのかわからない男のように。たまに新年に送られてくる、30年前の知人からの年賀状のように。
寂しさはどこからか香ってくるのだ。

私たちは寂しさを憎む。これでもかと。
正直悔しい。なぜこれほどまでに恵まれ愛されているのに、寂しいのか。

心理を1枚めくったとしても同じ。
裏には何もない。だってそこにはないから。
だから「無性」なのだ。

寂しさ=孤独。違う
寂しさ=不安。違う
寂しさ=生命としての死 そうかもしれない。

寂しさこそが、死を逃れることができない生物である私たちが抱えるジレンマだとしたら。
これこそが人生と言う試練を与えられた、我々の命の証なのである。

だから私は、時々無性に砂になりたくなるのだ。

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