無駄の集大成〜詩人最強説〜
単純に、無駄なことがいちばん楽しい。
ちなみにここでいう「無駄」とは、別にあっても無くても生活に大した問題を起こさない事・物とする。(あまりにも極論に走ると大概良いことはないので)
実生活で思い出してみると、それは山ほどある。
例えば小学校の時流行った虹色の鉛筆。
大体虹を描く時には色鉛筆7本を使うのがほとんどだし、それが1本に7色まとまっているからと言って綺麗な虹が描けるわけではない。
むしろ途中で色が変化するから使いづらいくらいだ。あれの最適な使い方がいまだにわからない。
ラメ入りや香りつきのペンだってそうだ。
その特徴が必要とされる局面が見当たらないし、なんならそのラメや香りが手に移って煩わしいことすらある。もし区別することが目的ならば、赤ペンだって蛍光ペンだっていいはずである。
もうひとつ身近なもので言うと、柄付きのトイレットペーパー。
これぞ本当の無駄。今すぐ使用して捨てるものに絵柄は必要ないではないでか。肌触りを良くするために紙質を良くするなどはわかるが。
ただもし、今私が言っている「無駄」がなかったらどうだろう。
実生活にはなんら影響のないその無駄を、根こそぎ取り除いてしまったとする。
するとその世界には、単なる7色の色鉛筆と、ラメの入っていないペンと、無地の真っ白なトイレットペーパーが残るわけだ。
そうしたら私は、もしかするとトイレットペーパーに絵を描いてしまうかもしれない。
それもなんとなく、本当に無意識にやってしまう可能性がある。
よく考えてみてほしい。目の前にただの真っ白い紙があったら何か描きたくならないか。(ならないのかもしれない)
もしこの世の全ての無駄を取り除いたら、世界は純白と漆黒になってしまいそうだ。
それは嫌だ。絶対に目に悪そう。
でもそこにまたカラースプレーで落がきする人が出てきて、結局色がついてしまいそうな気もする。
あれ。ということは、無駄って色彩のことだったりもするのか。そうとも言えそうだし、言えなさそうでもある。
何言ってるんだ、自分。
結果、「無駄」について考えていた時間はとても楽しかった。
この何も生み出さない無意味な時間が、私に最大限の安らぎを与えてくれる。
楽しさとは、効率とコスパを完全に排除してこそ成り立つのだ。そりゃ仕事が面白くないのも納得できる。
やっぱり詩人って最強だ。
ムダムダムダ コスパ効率最優先
ムダムダムダ コスパ効率最優先
いいですか
あなたの体は かなりの無駄不足です
今にも干からびてしまいそうですよ
ほら、よぉく見て
ダムダムダムに見えてこないですか
見えたでしょう
先程 詩を3行ほど処方しておきましたからね