【創作】四月は残酷な月 #シロクマ文芸部
酔っ払って、バイト先の雑記帳にこんな文章を書き散らした。その後、下宿に戻り莫迦なことを書いたものだと恥ずかしくなった。明日は朝一で店に行って、あのページを破り取ろうと決めた。
俺がバイトをしている〈カフェ・砂時計〉は、夜には酒も飲める店だ。大学から近いので、もとはサークルの連中とよく利用していたのだが、賄い飯がつくという話に釣られて働き始めた。自分が客の時には、店のオリジナルリキュールが半額で飲めるのもいい。極めてまずい酒だが、ソーダで割ればまあ飲める。もともと安い酒なので、千円で酔いつぶれることができた。
昨夜は、そのまずい酒を散々あおって酔っ払い、挙句情けないことを書いたわけだが……。あの雑記帳は、従業員だけでなく常連客も見るので、あのまま放置すれば、友人知人一同に恥をさらすことになる。
〈砂時計〉は午前十一時半にオープンする。マスターは九時頃から仕込みを始めると聞いていたので、その時間に行ってみた。話好きな爺さんなので、早い時間に俺が現れても気にしないだろう。話をしながら、隙を見て、雑記帳を確保しよう。
店のドアには鍵がかかっていなかった。中に入り、「おはようございます、マスター」と言おうとしたが、マスターではなく、バイト仲間の本宮朱莉がカウンター席にいた。
「おはよ、木崎」
予想外の光景に戸惑う俺に本宮が声をかける。
「おはよう。早いな」
「昨日、終電を逃しちゃって。マスターにLINEしたら、店で寝ていいよって言うから、あそこで寝たの」
手前のボックス席を視線で示す。道理で髪がボサボサだ。本宮は俺と同い年で、けっこう可愛い奴なのに、言動も雰囲気も粗雑なのが惜しい。仕事はできるので、マスターには可愛がられていた。そういえば、閉店作業をたまに任されるとかで、店の鍵を預かっていると聞いた覚えがある。
「マスターは?」
「今日は野菜デーだから、こんなに早く来ないよ」
「ああ、そうだったな」
マスターの友達が房総半島で農家をやっている。そこの野菜や豆類を使ったサラダが本日のランチになる日が、不定期であるのだ。普段とは違い、女性客の比率がはね上がる日でもある。
参ったな。マスターが相手なら、雑記帳を掠め取ることもできるが、本宮は目ざとい奴だ。客がもう一杯飲みたがっているのを察して、さっとメニュー表を持って行くタイプ。本宮がシフトに入ると、売上が増えるとマスターは言っている。
本宮に気取られないように、さり気なく雑記帳を探した。昨夜は確か、カウンターに放り出して帰ったはずだが、見当たらない。
「雑記帳?」
本宮に訊かれた。
「ああ」
隠しても無駄なので、正直に答える。本宮は立ち上がり、カウンター内に入って、レジ下の引き出しを開けた。そこから雑記帳を取り出し、俺に手渡す。
「あれ、読んだ?」
一応、確認する。
「昨日、眠れなくて、雑記帳に絵でも描こうかなって」そう言って、本宮は少し笑った。「酔ってSNSに投稿しちゃ駄目だって言うけど、雑記帳に書くのもやめた方がいいね」
傷口に塩を塗り込む奴だな。一瞬むっとなったが、本宮の言う通りなので、返す言葉もない。
「飯塚さんが辞めただろ」あの文章を読まれたのだから、今更気取っても仕方ない。そう思って打ち明けた。「接客業が向いてないと思ったのかな。客とコミュニケーション取るのが苦手そうだったし、酒運ぶのも……手首とか折れそうで見ていられなかった」
色白で、おとなしくて、無口で。はかなげな、桜の花のような子だったと回想した。
「図々しい奴だと思われたくなくて、連絡先の交換もできなかったよ」そう言ってから思い付いた。「本宮は?」
本宮は、首を横に振る。何か言いたそうな顔になった。雑な奴なのに、ためらうなんて珍しい。告られるのか、俺? 振られてたての男ぐらい落としやすいものはない、なんて歌を聴いた覚えもある。俺は別に振られたわけじゃないが、気分的にはほぼ同じだ。
「すぐに噂になると思うから、ここで教えておくね」本宮はまだためらう口調で言う。「飯塚さん、クビになったの」
「マジか?」
マスターのやつ。いい爺さんぶっといて、これか。飯塚さんは、確かに要領が悪かったが、あんなに真面目に働いていたのに。時給の高い夜のシフトに入りたがったり、代勤に進んで応じたりしていたので、金を稼ぎたかったのだろう。
マスターは、頼めばバイト代を前貸ししてくれるし、金欠の常連にはタダでランチを奢ってくれる。いい奴だと思っていたのに、案外冷酷だ。
「クビにするなら、大野の方が先だろ」
思わず言った。大野は、本宮と同じ女子美の学生だ。本宮とは違い、仕事ができない。アーティスト気質なんだろう。よく遅刻するし、注文間違いや金の数え間違いが多い奴だった。不思議系なので、大野目当ての客もいることはいるが、だからいいって話ではない。
「飯塚さんは、そういうのでクビになったわけじゃないよ」
本宮は事情を語り始めた。飯塚さんは、レジの札を盗んでクビになったのだと。この店のレジは古いアナログ機だ。反応が鈍いので、レシートの要らない客だと、釣りだけ渡して後でレジに打ち込むこともある。飯塚さんは、その金額をごまかして差額を盗んだり、割り勘客の一人分を丸ごと盗んだりしていたらしい。
「赤字上等でやってる店だから、それだけだと気付かれずに済んだかもしれないけど、飯塚さんは、ランチでもズルをやったんだよね。コーヒーとランチセットで頼んだのに、ランチだけ頼んだことにして、コーヒー分のお金を盗ったの。さすがにランチの数をごまかしたらばれるけど、飲み物の数なんて誰も気にしないからね。マスターは、妙にコーヒー頼む客が少ないと思ったんだって。普通はみんな、コーヒー頼んでダラダラ粘るのに。ちょっと調べて、そうなるのは、飯塚さんがいる時だけだとわかったみたい。及川さんいるでしょ」
「あのオヤジがどうかしたのか?」
及川は、早期退職してカフェをやるために、この店でバイトを始めた中年男だ。マスターにカフェ経営を教わるとか言っていた。
「及川さん、実は私立探偵なの。飯塚さんを、それとなく見張って、お金をポケットに入れた現場押さえたんだって。飯塚さんは、一度、この店に飲みに来て、ここならカモれると思ったって白状したみたい。多分常習犯だって及川さんは言ってた」
「ほんとかよ……」
そうは言ったが、腑に落ちる話でもあった。レジ閉め担当の時、忙しさの割に売り上げが少ないなと何度か思ったんだ。大野がポカミスをやらかしたんじゃないかと疑いさえした。
「ひどい女だ」
「マスターも、ショック受けてた。実家が貧しいと聞いたから、多少手際が悪くても雇ったのにって。性善説はやめて、レジも変えるって。現金商売は間違いの元だから、キャッシュレス決済を導入するってよ」
「まあ、それは悪くないよな」
最近はみんな、財布なんて持ち歩かないから、この店は面倒だと常連客もよく言っている。俺たちバイトも、現金を扱うのは緊張する。
「じゃあ、そろそろ行くね」本宮が立ち上がった。「すぐマスターが来ると思うから、それまで店番してよ」
本宮は、ボサボサ髪のまま店を出た。俺は、雑記帳をパラパラとめくった。こうなったら、あの恥さらしの文章は何が何でも破り捨てなければ。泥棒を桜の花にたとえるなんて、不適切にもほどがある。最後のページを見た。俺の文章の後に何か書いてある。本宮の筆跡だ。
誰だか知らないが、いいこと言うじゃないか。ほんと、四月は最も残酷な月だよ。
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シロクマ文芸部に参加しました。
最後の詩はエリオットの詩集『荒地』より。
語り手が思い出す「振られたての男(実際には女)ぐらいおとしやすいものはない」は中島みゆきの「うらみ・ます」の歌詞です。アルバム『生きていてもいいですか』の最初の曲。
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