【茨城県立近代美術館】 中村彝、佐伯祐三、美術品の修復とは
茨城県立近代美術館の常設展が展示替えされたので、早速観に行きました。
近代美術館の説明&秋の展示についてはこの記事を参照して下さい。
常設展その1は「日本の近代美術と茨城の作家たち 冬から春へ」。前回に続いて、横山大観・木村武山・小川芋銭など茨城ゆかりの芸術家の作品やフランス印象派の絵が展示されていました。
この方も若くして亡くなられたのですが、とても印象的な絵でした(語彙が少なくてごめんなさい)。
中原悌二郎も、前回紹介した中村彝や荻原碌山と同じく、新宿・中村屋にゆかりのある芸術家です。中村屋の相馬夫妻は、芸術の目利きだったんですね。これほど才能のある芸術家ばかりが集まるサロンなんて、本場のフランスにもあまりないのでは。彫刻のモデルになったニンツァー氏も中村屋の食客でした。
また、先ほどウィキで中原悌二郎について調べたところ、この彫刻を見た芥川龍之介が「この中原氏のブロンズの若者に惚れる者はないか。この若者はまだ生きているぞ」と発言したそうです。芥川と同じ彫刻を見たと思うと、何だか嬉しいです。
中村彝の絵もありました。
日本的な風景と洋館。去年展覧会で観た佐伯祐三の絵と比べるのも面白そう(下落合と目白は隣町)。
性格が滲み出るような肖像画です。伊原元治は、彝とは伊豆大島で知り合いました。彼も若くして亡くなるのですが、一校時代に学友たちと共同で『生ひ立ちの記』というドイツ人画家の自叙伝を発行したそうです。その本を校閲したのが森鷗外。思えば、去年彝の絵と巡り会ったのは、鷗外がきっかけでした(鷗外の親友の絵を見に行った時に、彝の絵と出会ったのです)。妙に鷗外に縁がある、というか、多忙な人だね、鷗外先生。
晩年の彝を世話した岡崎きいの肖像画です。この後で描いた「老母像」の方は同じ水戸にある徳川ミュージアムが所蔵しているので、いつか観てみたいです。
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常設展その2は「よみがえる美術作品 保存と修復」。美術品の修復といえば、レンブラントやフェルメールの絵の修復を題材にした小説がとても興味深かったです。昔の絵だと、今では廃れてしまった絵の具を使っていたり、過度に修復してしまって原画からかけ離れたりと、苦労が多いようです。その点、近代の美術品は完成してからそんなに経っていないのだから、修復する必要などないのでは? と思ったのですが、そうではないらしい。
特に美術館ではなく個人宅に長く飾ってあった絵は、虫のフンなどで汚れたり、カビたりシミができたりと状態の良くないものが多いようです。
そういえば、話はずれますが、森鷗外の小説のおかげで夫の先祖だとわかった画家の蠣崎波響。彼の代表作である「釈迦涅槃図」(1811年完成)を所有者である寺が修復することになったのですが、1500万かかるとのことでクラウドファンディングで寄付を募っていました(波響は北海道では有名なので、目標額に達しました)。波響の絵はその寺の寺宝なのでお金をかけてもらえますが、美術館には数千点かそれ以上の美術品があるわけですから、修復されずに倉庫に眠っている品も多いのでしょうね。
そんなことを思ったのは、修復美術品として展示されていたのは、中村彝や佐伯祐三といった、絵画に疎い私でもわざわざ美術館に観に行く画家の作品が多かったためです。
この絵は、汚れを洗浄したり、古いワニスを除去して新たなワニスを塗ったりしたそうです。
欠落箇所を充填材で埋め、修復用の絵具で色を入れたそうです。この絵は、去年の佐伯の展覧会にも出展されていました。佐伯の絵の中でも特に好きな作品の一つなので、再会できて嬉しかったです。
中村彝や佐伯の絵は経年により状態が悪化しましたが、それ以外の理由で修復が必要な美術品もあります。
一つは、天災による破損です。2011年の東日本大震災の際、水戸は震度6弱を記録しています。当時水戸に住んでいた友達の話では、街の中心部の建物には外から見てわかるような被害がなかった反面、千波湖の周辺は液状化もあって地面が浮き上がり、半倒壊した建物も多かったとか。美術館の近くにある市役所も被災して建て替えられました。美術館は1988年完成なので、建物に被害はなかったようですが、ロビーや保管庫にあったブロンズ像が倒れて破損しました(ロビーには倒れた像がつけた傷がそのまま保存されています)。それらの像をどのように修復したのか、また、それを教訓にして、地震に強い設置法に変えたことなどの説明もありました。
一般的な「修復」という言葉を越えるような形で修復された美術品もありました。
田中信太郎(1940〜2019)の『ハート・モビール』は個人から寄贈された作品ですが、屋外に展示してあったため、ステンレス部分に錆がありました。そこで、錆を落とすと同時に、お弟子さんの意向を受けて、蛍光灯で光らせていた部分をLEDに換えたそうです。えっ、美術品に手を加えるの? と驚いたのですが、蛍光灯は2027年で生産中止になるので、このままだと作品が光らなくなってしまうという判断なのでしょうか。現代美術というのは、現在進行形なのだなと感じました。
そのことをより強く感じたのが、河口龍夫さんの鉛を使った作品群です。植物などを鉛で覆った作品群は、チェルノブイリ原発の事故を契機に制作されました。原子炉を鉛で覆ったことに拠るものです。鉛によってコーティングされ、守られる植物たち。ところが、鉛のコーティングは予想以上に脆く、コーティングが剥げて、中の植物が現れてしまいました。それを再びコーティングするのではなく、剥がれた形で展示する道を作者は選んだのです。福島の原発事故によって、「鉛で覆ったぐらいでは、放射能を封じ込めることは不可能だ」と考えたためです。河口さんの作品は、修復されただけでなく、作者によって別の意味を持たされ、生まれ変わりました。
これまで前衛的な現代美術が苦手で、美術館でもさっさと通り過ぎていたのですが、河口さんの作品を鑑賞して、現実に対するメタファーとして捉えればいいらしい(全部がそうだとは言いませんが)とわかりました。だからといって、前衛美術の展覧会に行きたいとまでは思いませんが、常設展で見かけた時はゆっくり鑑賞して、作品の持つ意味合いを考えてみたいです。
中村彝だけでなく、佐伯祐三の絵とまで出会えた上に、前衛美術との向き合い方まで学ぶことができました。もうすぐ偕楽園の梅祭りも始まりますので、水戸にいらした際は近代美術館まで足を伸ばしてみて下さい。