はじめの第一歩
今から10数年前、野球部があり、それなりの進学校の高校に、僕は通った。
僕は野球が好きだった。でもセンスが壊滅的になかった。
キャッチボールを見たら人から、下手だと思われるし、
バッティングも本当にひどかった。
フルスイングしてるのに、まるで送りバントのような死んだ打球を転がして、結果的には相手をひるませるような形で、足の速さでどさくさに紛れて出塁していた。
中学時代に顧問から、「バッティングは上手くならなくていい。ありのままのお前でいい。」と、このまま下手であってくれという願いのような謎のアドバイスを受けるくらいの下手さだった。
そもそも球技は不得意だった。
高校時代も野球部に入部し、高校1年の秋に、監督から「アミムラ(僕の本名)、お前はこの先、絶対にレギュラーになれないから、マネージャーになれ。」と言われた。
僕の青春が、早くも終了したと落ち込んでグランドを出たその時、陸上部顧問から声をかけられた。
「一緒にインターハイを目指さないか!?お前には、可能性がある」と。
陸上部顧問は、たまたま体育の時間に、野球部の僕が陸上部部員と張り合って、走っている姿を見て、気になっていたそうだ。
野球部監督から、実質クビ宣告をうけた僕は、すぐに陸上部への入部を決めた。
ターニングポイントがやってきたと直感が働いていた。
このまま野球部に残って、マネージャーとして絶望的な日々を過ごすより、
陸上部で自分の可能性を信じて、始まったばかりの高校生活を過ごしたい。自分の青春をこのまま終わらせたくはない。
僕の中で消えた炎がメラメラと燃え始めた。
野球部の監督からは、一切、ひき止められず、仲間も、一人だけひき止めてくれたが最後は心よく送り出してくれた。でも、監督からは、本当に期待されてなかったのだと感じた。こうして僕は陸上部員になった。
入部して2か月後の11月に、広島県高校駅伝に出場した。初レースだった。
3キロ区間をいきなり任された。
野球部での挫折からの、大切な陸上人生の第一歩は本当に緊張していた。
挫折からの立ち上がった男の、大事なレースである。
震えるのは、しょうがない。
ただ、あのままマネージャーとして野球部にいたら、こんなヒリヒリした気持ちには、なれなかったのは間違いない。
今でも、初レースの、あのたすきをもらって走り始めた瞬間を、胸の鼓動を、映像を、感情を、11月の肌寒さを鮮明に覚えている。
前の区間を走っていた先輩が、僕の中継ポイントから確認できた瞬間、
僕の胸の鼓動はバクバクとスピードを早めた。
先輩は、残り僅かなエネルギーを必死に振り絞って、懸命にラストスパートをかけた。
顔全体のパーツを真ん中に寄せてるのではと思うくらいの、苦悶の表情を浮かばせながら走っている。
僕は先輩の懸命の走りに、胸を打たれながら「先輩ファイトー!」と、何度も何度も必死に叫んでいた。
先輩の姿をみて、これまでの仲間や先輩が必死に繋いできた
走りと想いを
僕も繋いでいこうと心に決めた。
先輩がどんどん大きく見えてきて、だんだん荒い息遣いが聞こえてきた。
先輩の動きがスローモーションに見える。
「やってやる。俺の走りに、今の全てをかける!」
覚悟を決めて意気込み、僕はたすきをもらいやすいように構えた。
先輩は肩に掛けてある、たすきをはぎとり、
片手でもちかえ、
走りながら僕にたすきを渡した。
僕がたすきを受けとると
僕の背中を先輩は平手でバーンとたたき、
最後の力を振り絞り、大きな声で叫んだ!
「いけぇぇぇぇえええ!!アミモトー!」
えっ、アミモト?誰それ?
ウソだろぉぉぉぉおお!
ここで人の名前を間違えるのかよ!大事な場面ぞここ!
僕の大事な初レース。
挫折から立ち上がった男のはじめの第一歩
僕はモヤッとしながら、足を一歩、また一歩、踏み出した。
先輩は、ラストスパートで全てを使い果たし、脳に酸素が届かなかったのだと思う。
結果的には、気が抜けたのかリラックスして走り、転部して2ヶ月での初レースで、区間10位以内に、いきなり入るくらいの走りはできた。
野球部ではゴミのように雑に扱われたが、陸上部では才能が少しはあったのである。
このレースを機会に、毎年高校駅伝を走ることになったが、
そもそも僕の陸上部での専門種目は短距離400mで、これは専門外の話である。
こうして僕の陸上人生はモヤッとしながら始まった。