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わたしの ぶんぶく ✽ 後編 ✽


前回のnoteで、私は長年探し求めていた南部鉄器の鉄瓶に、ようやく めぐりあえたことを綴りました。

売り場でその鉄瓶を見たときに、私はふと、
「まるで、ぶんぶくちゃがまみたい」
と思ったのでした。
そればかりか、「『ぶんぶく』と名付けよう」とまで決めたのです。

けれど、はて。
ぶんぶくちゃがまって、どんな物語だったかしら。

頭に浮かぶのは、ちゃがまに化けたタヌキが 楽しそうに綱渡りをするシーンだけ。それ以外の場面は何も思い出せません。
ストーリーもわからないままに、『ぶんぶく』と名付けるだなんて。そんなことはできないと思った私は、早速、帰宅後に検索をしてみることにしました。


*

はじめはひとつふたつ検索をして、簡単に確認するつもりでした。
けれど、そうはいきませんでした。
だって、見るもの見るもの、みんなストーリーが異なるのです。はじめに思い浮かべた「綱渡り」のシーンさえ、無いものもありました。
きっと昔ばなしというものは、時代や地域、さらには作者により、変化をとげてゆくのでしょう。

それにしても、私の鉄瓶にはどのようなストーリーが似合うのでしょう。バリエーションを知りたくなった私は、いくつかの『ぶんぶくちゃがま』を見たり読んだりすることになったわけです。


今回の「後編」は、その記録です。

物語のタイトル(漢字の使用)は、作品によってさまざまですが、ここでは全てひらがなで『ぶんぶくちゃがま』と記しています。またそれを、ところどころで『ぶんぶく』と略しています。

自分でもびっくりするくらい長文になりました。もしもお読みくださる方は、どうぞお覚悟を......。







わたしのぶんぶくを探して


いちばん古いストーリー

そもそも、ぶんぶくのはじまりは、どのようなものだったのでしょう。

調べてみると、『ぶんぶくちゃがま』は、江戸時代からその存在が確認されているのだとか。最も古いと思われるという『京東山ばけ狐』(1673 〜88 年の出版?)は、私には見つけられなかったのですが、時をへだてず江戸時代中期に出版された『ふんふく茶釜』という赤本は、国立国会図書館デジタルコレクションで見つかりました。こちらは「京東山ばけ狐」の系統とみられるとのことですから、いちばん古いぶんぶくの参考にはなるのでしょう。

抄録をみてみると、東山殿の「ぶん福」という名の茶道坊主らが古狢ふるむじなを捕まえ、それを料理しようとするところから物語ははじまります。逃げ出したむじなを再びとらえ、最後には東山殿に献上してご褒美をもらうという物語です。
途中、狢が踊ったり、ちゃがまに化けるシーンはでてきますけれど、私がイメージしたあたたかなぶんぶくとは、程遠いストーリーでした...。



* * *

「茂林寺」の寺伝

群馬県館林市の「茂林寺」に伝わる寺伝はどうでしょう。
茂林寺は古くから、“分福茶釜の寺”として知られるそうです。現在も、本堂には分福茶釜が安置されているというのですから、覗いてみる必要があるでしょう。

お寺のホームページを見てみると、物語の大まかな流れは、

守鶴しゅかく」という和尚に化けたむじな(またはタヌキ)が、不思議なちゃがまを茂林寺に持ち込む。
ちゃがまは、いくらお湯をくんでも尽きることがない。
→ 守鶴が 狢だと発覚。
→ 茂林寺から守鶴が去る。

というもの。
ぶんぶくの名の由来は、「茶がまが福を分け与えるから分福茶釜」ということでした。

人々に福(功徳)をもたらす魅惑的なちゃがまを用意した守鶴しゅかくですが、物語のさいごは、人々と守鶴のかなしい別れが描かれています。
また、ちゃがまはタヌキではなく、綱渡りの芸などをすることもありません。
こちらも私がイメージしている物語とは、遠いところにあるようです…。



* * *

「ぶんぶくちゃがま」の変遷(物語の移り変わり)

私がストーリーをさぐった目的は、変遷へんせんなどを調べるという大それたことではなく、あくまで ”わたしのぶんぶく” を見つけることにありました。あの鉄瓶にピッタリな、わたしにとっての ぶんぶくです。
たまたま目にした『ぶんぶくちゃがま』の物語の中から、それを見つけることができたなら、それで良いのです。


とはいえ、由来も何も知らずして、 ”わたしのぶんぶく” を探すというのも しっくりきません。
ということで、すこし調べているうちに、次の論文が見つかりました。『「ぶんぶくちゃがま」の変遷』なる論文です。

「ぶんぶくちゃがま」の変遷 ―1895〜1945年までの作品を中心に―
相澤 京子, 佐々木 由美子
https://doi.org/10.24603/tfumhk.10.0_1


その続編

② 絵本・紙芝居における「ぶんぶくちゃがま」の変遷 ―1945年以降の作品を中心に―
佐々木 由美子
https://doi.org/10.24603/tfu.18.0_85



こちらの論文によると、ぶんぶくちゃがまには、もともと三つの類話が存在し、そのうち「京東山ばけ狐伝説」と、「守鶴和尚伝説」の二つは、現代では ほぼ消滅しているとのこと。前出の二つですね。
今も残る一つは、「恩返し」としてタヌキ(またはキツネ)が人間を助ける類であり、それは巌谷 小波の『日本昔噺』(1894-96出版)が起点となっているのだそう。
こちらの研究では、その小波以降の作品を分析されています。①は1895年~1945年までに出版された48冊を、②は1945年以降の64冊と紙芝居6作品を対象としているそうです。すごいなあ。
分析された結果をものすごく端折ってしまうと、物語の構造や 中心場面は時とともに大きく変化しており、その中で静的な場面は無くなっていく一方、綱渡りのようにドラマチックな場面が中心として描かれることが多くなったこと、物語は簡略化してわかりやすくなったこと、人と動物との交流や友情が描かれる傾向が強くなったことなどを明らかにされています。

それにしても、『ぶんぶくちゃがま』のストーリーが気になるだなんて、私はちょっぴり変わり者?と思っていたのですけれど、研究までされている先生がいらっしゃるとは……。
どんなことも、人の関心次第で研究の対象となるのだなあと感嘆すると同時に、膨大な文献から紐解かれている様子に、尊敬の念を抱かずにいられません。


で。
変遷については、こちらの貴重な論文を読ませていただくことで、了としたいと思います。(あっさり。)



* * *

起点となった「日本昔噺」

上記研究のスタート地点となった、巌谷 小波いわや さざなみの『日本にっぽん昔噺むかしばなし』(1894-96出版)は、ぜひ読んでみたいものです。上記論文に限らず、複数の場所で「現在の『ぶんぶくちゃがま』の起点」とされているようですから。
本を探してみると、近隣の図書館の書庫に、校訂版がありました。書架(開架)ではなく、書庫(閉架)というところに、妙にわくわくしてしまう私。


日本昔噺, 巌谷小波著・上田信道校訂, 東洋文庫,2001.8

この図書館の明るさが好き。
『文福茶釜』は第拾弐編。


この『福茶釜』は、茂林寺の寺伝など それ以前から存在した物語をもとに、小波がアイディアを加えてアレンジしているそうです。
物語は、「むかしむかし、上野国かうづけのくに館林と云ふ処に、茂林寺といふお寺が在りました。」から始まります。旧仮名遣が 昔のおはなしらしくて、ほっこり。
流れは次のとおりでした。

茂林寺の和尚さんが、ある日ちゃがまを買ってきた。
→ 和尚さんが寝ている間に、そのちゃがまからタヌキの頭や手足が生えて、小僧さんはびっくり。
→ それを信じなかった和尚さんだが、ある時 ちゃがまを火にかけるとタヌキが尻尾まで出して正体をあらわす。
→ 気味悪がった和尚さんは、ちゃがまをくず屋さんへ売り渡した。
→ その晩、くず屋さんにも正体をあらわしたタヌキは、自らを「福茶釜」と名乗った。
「お寺では尻尾を出したと云って、寄ってたかってなぐられちやア」と、さんざんな目にあったことを明かし、たいせつにあつかってくれるなら芸を披露しましょうと提案する。
→ くず屋さんは見世物小屋を作り、タヌキは綱渡りなどをして人気を博した。
→ くず屋さんは、儲けたお金の半分を茶がまにつけて茂林寺におさめた。
「茶釜は分福茶釜とあがめられて、お寺の宝物になりましたとさ。めでたしめでたし」。


なるほど。芸を披露したことは、ちょっと「交換条件」のようにも思えますけれど、「恩返しの類」だと理解できます。また、一見すると「茂林寺」の印象が強く残りますが、「守鶴和尚」は登場しませんね。タヌキは茶釜に化けるという「東山殿」の要素がブレンドされたりして、それまでの物語のさまざまな要素が加減されながら、広がりを見せているようです。

タヌキには茶目っ気を感じましたし、欲をださないくず屋さんの姿勢も好きです。綱渡りのシーンもあって、物語はイメージに近づいているように思います。

でも、タヌキは和尚さんに気味悪がられちゃったのですよね......。ちょっぴり違和感が残ります。



* * *

図書館の本

では、現在 実際に読まれている本では、どのように語られているのでしょう。
“わたしのぶんぶく”との出会いを求めて、図書館に並ぶ絵本などを読んでみることにしました。

近隣の図書館のレファレンスで『ぶんぶくちゃがま』を探して頂くと、その図書館の書架には、絵本4冊、民話集2冊の計6冊がありました。書庫に保管されていた先ほどの『日本昔噺』をあわせると、蔵書は7冊ということになります。
『日本昔噺』以外の6冊はこちら。


図書館で、きっとヘンな人だと思われた...。


① 群馬県の民話―分福茶がまほか―,日本児童文学者協会編,偕成社,1980.11

② 子どもに聞かせる日本の民話 新訂,大川悦生著,実業之日本車,1998.3

③ ぶんぶくちゃがま―日本昔話より―(日本むかしばなしライブラリー),岡本一郎著,フレーベル館、1995.11

④ ぶんぶくちゃがま(おとぎばなし絵本),那須田稔著,すばる書房,1979

⑤ ぶんぶくちゃがま(日本名作おはなし絵本),富安陽子著,小学館,2010.3

⑥ ぶんぶくちゃがま(日本の民話えほん),香山美子著,教育画劇、1996.2


このうち①は、小波の『日本昔噺』の内容を色濃く残していました。
でもその他はみな、内容がだいぶ異なります。たとえば③の流れは次のとおりでした。

③『ぶんぶくちゃがま―日本昔話より―』

むかし 村のはずれに、貧しいおじいさんとおばあさんが住んでいた。
→ おじいさんは食べ物を求めて町に出かけたが、めざし三匹とお米をほんのひとにぎりを持ち帰り、「わしの持っとるおかねでは、これしか買えんかった」としょんぼり。
すると藪からタヌキがひょいと出てきて、自分をお寺に売ればお金になるよと、立派なちゃがまに化けた。
→ お寺に売られていった ちゃがまは火にかけると熱がり、頭を出し足を出し、大きなタヌキになって山へと逃げて行った。
→ 茶釜は「ブンブク」と煮えたぎったので「ぶんぶく」。


このように、それぞれを見てみると、内容はバラエティーに富んでいます。

全ての物語を記録すると とても長文になってしまいますので、6冊のパターンだけ記してみます。


タヌキは何に化けたのか
・ちゃがまに化けた
・「守鶴」という名の、旅のお坊さんに化けた(茂林寺の寺伝に同じ)
・「つるどん」と呼ばれる小僧に化けた

ちゃがまは、誰が(どのようにして)お寺に持ち込まれたか
・守鶴和尚に化けたタヌキが、持ち込んだ。
・道具屋が、ちゃがまに化けたタヌキを持ち込んだ。
・ ちゃがまに化けたタヌキが、貧しいおじいさん(とおばあさん)のために、自らお寺へ売られていった。
・お供え物のお団子を食べたくてお寺に忍び込んだタヌキが、小僧に見つかりそうになってちゃがまに化け、そのままお寺に住み着いた。
・「つるどん」が、ちゃがまに化けたともだちを持ち込んだ

綱渡りなど見世物の場面はあるか
・ある
・ない

「ぶんぶく」の名の由来
・タヌキの芸で得た利益を、道具屋連中で山分けしたことから、福を分け合う意で分福ぶんぶく
・「ぶんぶくぶくぶく」と音をたててお湯が沸くからぶんぶく。

ものがたりの結び
・ちゃがまに化けたタヌキの芸が大当たりしてハッピーエンド。
・ちゃがまからタヌキの姿に戻り、山へ帰って(または逃げて)行った。
・踊りつかれたタヌキは、お寺で のんびり暮らした。(またはお寺で眠っている。)


といった具合です。
多様な物語をたのしみましたが、なぜでしょう…。どれも “わたしのぶんぶく” ではないような気がします。



* * *

まんが日本昔ばなし

さて。冒頭のとおり、今回、『ぶんぶくちゃがま』のストーリーを確認するにあたって、まずは検索をしてみたわけですが、そこから深みにハマってしまった私でした。

それ以降、これまでに綴った以外にも、職場の図書館の本を読んでみたり、民話好きの知人にたずねてみたり。ぼんやりと、終着の見えない旅でもしているような気分になっていたのですけれど、あるとき思いました。

「まんが日本昔ばなし」を、もう一度調べてみる…?


「まんが日本昔ばなし」といえば、私が子どもの頃に愛してやまなかった番組です。
市原悦子さんと 常田富士男さんのあの語りは、思い出すだけで 心がふんわりと癒されます。お二人のお声は 情景を巧みに描写して、まるで自分がその世界に引き込まれたかのような感覚を与えてくれるものでした。

お二人の語りはそれほどまでに魅力的だったのに、私が最初に検索したのは、データベースにある文字情報だけ。
その情報によって、『ぶんぶくちゃがま』は過去に(少なくとも)三つ放映されており、そのあらすじは三者三様、まったく異なるものだということはわかっていました。


まんが日本昔ばなし ~データベース~ No.0007
ぶんぶく茶釜』(群馬県のおはなし)

まんが日本昔ばなし ~データベース~ No.0174
狐のくれた文福茶釜』(山形県のおはなし)

まんが日本昔ばなし ~データベース~ No.1162
分福茶釜』(群馬県のおはなし)


そして残念なことに、それらは あらすじを読む限りにおいて、私にはとくべつ グッとくるものではありませんでした…。


けれど、けれどです。
遅まきながら放映された番組の動画があるか検索してみると、上記のうち①のぶんぶく茶釜と ③の分福茶釜』には、それがあることがわかったのです。(動画はいずれも番組公式サイトではありませんので、リンクの共有は控えたいと思います。)
それならばぜひ、あのお二人の語りを聴いてみなければと、視聴してみると……
それぞれが、深く心に響くではありませんか!

私ったら、なぜもっと早くに、動画の存在を確認しなかったのでしょう。


もちろん、心に響いたのは、ストーリーそのものだけに よるものではなく、市原さんと常田さんのお声が持つ魔法のような力が大きかったことは明白です。お二人の語りは、物語に深みや あたたかさを加えていたことは間違いないのですから。また、当然ながら「音」があることも胸に響いた理由のひとつでしょう。音楽は情景を彩り、綱渡りのシーンでは楽しげな笛や太鼓の音色が 物語の世界をいっそう豊かにしています。
このように音声のある動画から得られた感覚と、私の乏しい感性で読んだ文字情報を比較してはいけないのかもしれません。

けれど、感動した理由は、語りや音の他にもありました。
たとえば、本と比較すると、番組として製作されたものには、登場人物同士の「会話」が多いという特徴があります。ちゃがまのタヌキのセリフも豊富で、その言葉のやりとりからは、あたたかな感情の交差や、ときには切ない感情の機微までもが伝わってくるのです。
なにより、この二つの物語には、タヌキを含めた登場人物のやさしさがあふれています。相手を慮る慈しみの心です。
それらは、とても短いあらすじには あらわれるものではありませんでした。

もう、”わたしのぶんぶく” は、このどちらかで間違いないでしょう。



わたしのぶんぶく

では、この大きく異なる二つの物語のうち、どちらが私の鉄瓶のイメージなのか、どちらが ”わたしのぶんぶく” なのかと言えば……
とても難しい選択です。

二つの物語には、いずれもタヌキの「恩返し」であるという共通点はあります。①は、貧しい古道具屋さんの家においてもらうお礼として、③は貧しいお寺においてもらうお礼として、「私が芸を披露しましょう」というのです。また、タヌキは、化けくらべをした際にちゃがまに化け、それ以来もとの姿に戻れなくなってしまったのだという、なんともおマヌケながら 切ない身の上も一緒でした。
でも、結末が大きく異なります。
ハッピーエンドの③に対し、①については、最後にタヌキは命尽きてしまうのです…。 「二人で力を合わせて暮らしましょう」と、古道具屋さんのために日々、芸を披露したタヌキでしたが、ちゃがまに化けたままの姿には無理があったようなのです。もとのタヌキの姿に戻れるよう、古道具屋さんが尽力するも、「私は今のままがしあわせなんです」と "ちゃがまタヌキ" のままでいることを望み、人々を楽しませ続けてきたタヌキでした。ラストシーンは、胸がしめつけられます…。


私はここにたどり着くまで、ハッピーエンドしかないと思っていたのですけれど、①の動画を観ているうちに、そうとも限らないと思うようになりました。
最後に命尽きるタヌキの「けなげさ」や「いじらしさ」が、とてもいとおしく思えてきたのです。

一方で.....。
「ぶんぶく」の名の由来については、これまでみてきた中で ③のハッピーエンドのものが いちばん好きです。多くの本で語られていた「”見世物で得た利益を山分けするから” 福を分ける分福」というものとは異なりました。


*


そのようなことをゆるやかに考えながら、どれだけ月日が経ったでしょう。
購入手続きをしてから半年待って手元に届いた鉄瓶を眺め、
それから日々、朝陽のあたるキッチンでお湯をわかしているうちに、
私はやっと、思い至りました。


やっぱり ”わたしのぶんぶく” は、ずっとずっと朗らかに、福を分け与えつづける ぶんぶくであってほしいと。



― 結論 ―
私は念願の鉄瓶にめぐりあい、その鉄瓶にぴったりな物語を見つけました。それは、まんが日本昔ばなしで語られた、ハッピーエンドの「分福茶釜」です。

そして、その物語と鉄瓶とが重なりあい、 ”わたしのぶんぶく”となって、日々の暮らしに ぬくもりを運んでくれる存在になりました。



今日も わたしのぶんぶくは、ブンブクブクブクと音を奏でながら、元気にお湯を沸かします。

あたたかな湯気に、福をのせて。





* * *


まんが日本昔ばなし No.1162 『分福茶釜


むかーし、山奥のある村に、ふるーい貧乏なお寺がありました。人もめったにやって来ない、さみしいお寺でした。
そこには和尚さんと小僧さんがおって、ふたりでお寺を守っておりました。

和尚さんはある日、おいしいお茶でも淹れれば人が来てくれるだろうと、茶がまを求めて町へ出かけることにしました。
古道具屋さんを訪ねると、ちゃがまは思いのほか高く、安いものでも 五両もします。
「わしの予算では手がだせんのう…。」 
和尚さんが困っていると、ひとつだけ、たったの三文でゆずってくれるという ちゃがまがありました。なんでもそれは「化けちゃがま」で、夜になると踊り出すのだといいます。どの家でも気味悪がられるからと、縄でぐるぐると縛ってありました。
三文で買えるならと和尚さんはそれを買い上げて、お寺とへ持ち帰りました。

お寺に着いて、小僧さんに茶がまを洗わせると、「つめた~い」…
和尚さんが火にかけると、「あち~っ」…と声がします。
それでも和尚さんは、「このちゃがまは長いこと使われてなかったんじゃ。それが火にかけられたからびっくりしたんじゃなあ」と、気にもとめず、そのちゃがまのお湯でお茶を淹れました。すると、それまでに飲んだことのないようなおいしいお茶ができたのです。しかも、不思議なことに、何杯淹れてもお湯はなくなりません。

ある夜のこと、小僧さんは気味のわるい物音で目を覚ましました。おなじく目をさました和尚さんといっしょに、音のする部屋へ向かってみると……
なんとまあ、茶がまからタヌキが手足やしっぽを出しているではありませんか。
「あーーー、久しぶりにタヌキの姿にもどれて、気持ちがスッキリしたわーい。」
その姿を和尚さんと小僧さんに見つかってしまい、ちゃがまタヌキは固まってしまいます。
「そうじゃったのか。ちゃがまの正体はタヌキじゃったのか。いーんじゃ、いーんじゃ。心配することはない。」と和尚さん。
タヌキは「おどろかしてすみませんでした…。久しぶりに縄をほどいてもらったので、うれしくてつい、はしゃいでしまったんです。」と申し訳なさそうにあやまります。

タヌキの身の上話を聞いてみると、こうでした。「もうだいぶ前の、月のきれいな夜のこと、キツネと化け比べをしたんです。茶釜にばけたとき、野良犬がいきなりあらわれました。驚いて古道具屋に逃げ込んだのですけど、あんまりにもびっくりして、戻る術をわすれてしまいました。タヌキにもどれなくなってしまって、それ以来、転々と……」
それを聞いた和尚さんはやさしく言いました。「わしは承知の上で買ったんじゃ。このお寺にずーっといるがよい。」
するとタヌキは大よろこび。「えーーーっ、このお寺にずーっといていいんですか? それではお礼に、いろいろな芸で人をたのしませることにいたしましょう。」

こうしてタヌキは、お寺で綱渡りなどの芸を披露するようになりました。そのうわさはたちまち広がり、山奥のさみしいお寺に大勢の人が訪れるようになりました。
人々は、ちゃがまタヌキの芸をみていると、身も心も浮かれ、いやなこともすっかり忘れて大笑い。いつのまにか福々しい気持ちになってくるのでした。
笑う門には福来る。
ちゃがまタヌキは 福々しい笑いをみんなに分け与えてくれるので、「分福ちゃがま」と呼ばれるようになりました。

お寺はいつも笑い声で満ちあふれるようになり、その後もぶんぶくと、和尚さんと、小僧さんは、一緒にたのしく暮らしましたとさ。


動画より・hina意訳




― おしまい ―







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