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宮﨑駿と夏目漱石

 宮﨑さんと漱石。
 この二人について語るファン、研究者は多くない(少なくもないが)。実は結構、宮﨑さんに影響している作家の一人である、漱石は。

 宮﨑駿と宮沢賢治、手塚治虫、サン=テグジュペリ、ゲド戦記、砂の惑星…、堀田善衛、堀田善衛から宮﨑作品を語る人も少ない。

 おそらくきっと、「純文学作品」とされるものと、ファンタジーを作る宮﨑さんを、結びつけるのは難しいのだろう。

 …夏目漱石は、と言えば、書くたびに作風(文体)を変える作家で、中には「幻想文学」のようなものもあるが、基本的には『三四郎』や『こころ』のような作品で知られる作家である。
 では、その「幻想文学」に宮﨑さんは影響されたのか。あるいはその可能性もあるだろうが、いや、一番に影響している作品は、『草枕』である。

 これは、断言できる。

 それが如実にわかるのは、「崖の上のポニョ」である。
 簡単な話、「ポニョと漱石」「ポニョと草枕」と調べれば、これはそれなりに出てくる。ここに関しては、「有名な話」とまでは言わずとも、それなりに知られている。どこかの大学生には、それで卒論を書いたという人もあるかもしれない。

 まず「ポニョ」の制作時、監督が漱石全集を読み耽っていたこと、「宗介」の名前は『門』の「宗助」からきているなど…、関連はたくさんある。
 ただ、あのデフォルメされた世界観は、ミレー の絵画、「オフィーリア」に圧倒され、今までの作風から変えることとなったためであるが、それは、『草枕』に登場する絵画である「オフィーリア」を確認しにイギリスへ旅行したことがきっかけである。

 「ポニョ」は漱石の影響下にあって、それでいて児童文学として成立させた作品であるが、あの作品に話の筋がないのもまた、『草枕』の「筋なんてどうでもいいんです」の影響だろう。

 そしてこの『草枕』が、宮﨑さんの、永遠の愛読書となる。本人も語っているが、この後彼は、「ず〜っと『草枕』を読み続ける」作家となる。
 「風立ちぬ」のときも。
 「君たちはどう生きるか」のときも。
 度々彼は、『草枕』について言及している。
 「僕はやっぱり『草枕』」
 「昨日も寝っ転がりながら読んでた」
 「どこから読んでも良い」などと言いながら。

 「風立ちぬ」には『草枕』の舞台の、当時漱石が住んでいた家が登場する。
 「君たちはどう生きるか」製作中、今はなきジブリの公式Twitterにて、「本は、パッと開いたところを読むのが面白い」というようなことを宮﨑さんが言っていたとツイートされていた。全く同じような文章が、『草枕』には登場する。
 もはや、「ここでも草枕?」と思う。

 ここでも、なのだ。

 宮﨑さんはある時から、自らを「画工」と呼んでいる(幽霊塔のマンガなど)。
 これも『草枕』にて主人公が自らを「画工」と書いてあり、監督本人も「自分もそうだ」ということらしい。

 なぜここまで彼は、『草枕』に惹かれているのか。
 一つは、日本的風景が美しく描かれているからだろう。
 もう一つは、芸術が神経症の対抗策になることが書かれているためだろう。

 漱石は酷い神経衰弱をしていたことは有名である。その自己療養として、『吾輩は猫である』や『草枕』などを書く。
 そのため『草枕』では、「泣いたり、怒ったり」の刺激のある人情を忌避することが書かれる。
 これは、ポニョの企画書にも、似たようなことが書かれている。
 「この作品をもって、神経症と不安の時代に立ち向かおうとする」と、そんなように書かれている。

 この点で、宮﨑さんは漱石と意気投合したのだろう。
 実際宮﨑さんは、半藤一利(漱石の孫の夫)との対談にて「神経衰弱が、かえって『草枕』を名作にしたんだと思う」というような発言をしている。

 そんな半藤さんとの対談では、宮﨑さんは『草枕』の映像化をお願いされている。と言ってもそれは、ほとんど与太話で、宮﨑さんはこの時「君たち」の製作中であったし、お互いが冗談といった様子ではあったが。
 ただ半藤さんがいる手前、宮﨑さんは「草枕の映像化は僕の宿題」と言う。

 しかし実のところ、前述してきたように宮﨑さんはすでに、『草枕』を映像化する必要がないほど、その要素をもらって、作品を作ってきたのである。

 「ポニョ」、「風立ちぬ」、「君たち」を、「草枕三部作」と呼んでもいいかもしれない。

 NHKでは大叔父を高畑勲としていたが、どう考えても自己を投影しているし、また、大叔父を漱石と考えてもいいかもしれない(年代的にも近いはず)。「非人情を募らせてしまった漱石」とも考えられるだろう。
 また、アオサギの話し方が物語中盤から、「江戸っ子」になるのも、個人的には漱石の影響を感じる。
 ただこれは、監督が言及しない限りは、「こじつけ」でしかないが。しかし一方で、あれだけ「草枕、草枕…」と言っているのを見ると、「こじつけ」にしても、乱暴ではないように思う。

 …と、いうように、「宮﨑さんと漱石」で、文章を書いてきた(ほとんど「宮﨑さんと草枕」だったが)。
 現代人の我々には、とても読み難い小説だが、『草枕』を読むと、ここ20年の宮﨑作品、あるいは宮﨑監督に対する理解が、非常に深まることは間違えない。

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