2024.6.18 雑記 白詰草とブランコ
「もっと外に出て身体の動きから生まれる音に注目してみた方がいい」
そう言われた。コンテンポラリーのダンサーと振付をしている演出家から。すごく芸術に向き合って、すごく必死に演出を考えて、コンテンポラリーの世界も勉強しているつもりだったけど、足りていなかったと言われた気がして心が重くなった。そう言われれば、外に実際に出て音を探すことを疎かにしていた気もした。頭の中で想像することはあっても、実際に身体を動かしていたかと言われればそんなことはなかったかのように思えてきて、口惜しかった。私はまだ、何も知らないのだと思った。
そう言われた次の日に一緒に舞台を作っている友達と、手始めに公園へ行ってみた。日差しがすごく強くて、眩しくて、梅雨は一体どこに行ったのかと思うくらい暑い日だった。すっかり夏の香りが漂う中を、暑い暑いと言いながら歩いた。
その公園は、遊具が少なくて、雑草と木と砂利が撒かれた道がほとんどを占めていた。端の方に、追いやられたみたいに滑り台とブランコとシーソーとアスレチックがあった。緑が多くを占める公園内でカラフルなビビットカラーに染まった遊具たちは、何だか少し異質で無機物的に見えた。
草を踏んで、石を蹴って、高いところから飛び降りたり木の幹を揺らしたり、身体の動きと音を考えながら動いてみた。思考がどんどん固まっていくように感じた。身体が動くから音が鳴る、というよりも、音を鳴らしたいから身体を動かしている、ような感覚 でもたぶんそういうことじゃないんだろうなとも思った。 もっと無防備に、ただそこに存在していることによって音が生まれないと意味がないように感じて、暑さも相まって頭を抱えながら公園に滞在していた。
不意に、友人の女の子がしゃがみ込んで地面を見ていることに気づいた。何があったのか近づいてみると、彼女は生い茂った雑草を指差した。
クローバーがあった。四つ葉。いろんな種類の緑が揺れる中に、まるで当たり前みたいに、四つ葉のクローバーが生えていた。
「幸せになれるね」と口に出していた。「摘まないの?」とも。彼女は「次見つける人がいるかもしれないから」と言った。優しい願いだと思った。
友人たちと私は、しばらくその四つ葉を見ていた。途中ミツバチが飛んできて、白詰草の花から順に蜜を吸っていった。蜂を避けてしまうことの方が最近は多い気がしたけど、ただじっと見ていると、何も攻撃せずにただ蜜を吸って飛んで行ってかわいいと思った。自分の感覚が、草花と同化していっているように感じた
他の女の子が、別の場所のクローバーを見に行った。「ここにも四つ葉があった!」と言うので見に行ってみると、やっぱり当たり前みたいに四つ葉がそこに存在していた。四つ葉は根っこで繋がっているから近くに何本か生えている、と聞いたことがあるなと思って、じっとクローバーを眺めていると、ピンと感覚がある一点に注がれた。
そこにやっぱり四つ葉があった。
同時に、小さい頃家の隣にあった草むらで、四つ葉を探しては押し花にしていたことも、思い出した。あの時も確か、吸い寄せられるように四つ葉がある方へと目線が動いたような気がした。まだ自分にその感覚があるのだと、そう思うと何だか嬉しかった
結局私含めて4人がいたため、1人1本四つ葉を見つけて、持って帰ることにした。ティッシュに挟んで、本やノートに挟むと押し花になるという昔の記憶を呼び起こして、手帳に四つ葉を挟んだ。良いことが起こるような気がした。
そのまま遊具の方へと行ってみて、ブランコを漕いでみると、小さい頃は何も感じなかった怖さがあった。身体がこのまま投げ出されてしまうような怖さ 私はあの頃とは身体も心も変わったんだなと思った。小さい頃はすごく大きく見えたアスレチックも滑り台も、なんだか低く見えた。やっぱり自分は大きくなってしまったんだなと思った
まだインターネットも病むことも暗いニュースも知らず、ゲームは1日1時間で暮らしていた、あの頃の自分はこういうのが幸せだったんだよな、と思い出した。思い出せたから、来た意味があったと思った。あの頃は足元の四つ葉と揺れるブランコと、図書館で借りた児童書が私の世界の全てだった 私の世界は、すごく狭かったけど豊かだったんだとようやく気づいた。うれしくなった
白詰草で冠を作り始めた友人の横で、風で揺れる雑草の音を聞いた。風が自己主張をするためには、何かにぶつからなきゃいけないのだとちゃんと思った。そうだ、あの頃も、玄関の前に座って、聞こえる街の音や風の音を聞いているような子供だった。思い出した、これも
あの頃の全てが詰まっている世界に、たまに戻りたいかもしれない、と思った
不便だけど、でも不便じゃなかった。豊かだった。白詰草がいちばん可愛くて、ブランコにずっと乗れて、他の小学校にあるシーソーが羨ましくて、虫を追いかけたり自転車でどこまでも行けたあの頃を、ちゃんと覚えていようと思った
身体の動きが、私の世界を作っていたのだとその時初めて私は知った