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公共劇場で芝居を観る(2024年6月の観劇記録)

6月に観た3本の芝居は、全て公共劇場で上演されている作品だった。
しかも、いずれもチケット代が3,000円台で、昨今の相場からすると、かなりリーズナブルに良質なお芝居を観ることができた。
(※うち1作はU29チケットの価格) 

↑これまでの観劇記録はこちら↑


デンギョー!


小松台東という劇団の舞台を初観劇。
「デンギョー」は何度も繰り返し上演されている作品で、今回が再々演らしい。

物語の舞台は、宮崎のとある電気工事店の詰所。
私は、電気工事の業界のことや職人のことは知らないものの、「あー、実際こういう感じなのかな」と感じされてくれるリアリティがあるお芝居だった。
タイムカードやWEB打刻などのシステムが整備されておらず、勤務開始と勤務終了が極めて曖昧で、プライベートが筒抜けな感じなど、田舎の小さな電気会社の雰囲気がよく伝わっててきた。

この物語は、電気会社の創始者である社長が入院をしたところから始まる。
社長の入院をきっかけに、経営面など会社の先行きが不安視されるのだが、最終的には「みんなで頑張っていこう」というようなラストに落ち着く。(すごくざっくりとした書き方だが…)

本来的には、根本的なビジネスモデルの立て直しが必要なところを、「努力でどうになる」的なマインドで立ち向かってきたのが、なんとなく日本の縮図っぽいなとも感じた。
こういう視点で観てしまっている自分も嫌だし、そもそもこの芝居を東京でオフィスワーカーをしている人間が観る居心地の悪さのようなものを何となく感じた。

作者のインタビューなどを読む限り、そのような批評性を押し出す意図はなく、人と人との温もりなどポジティブなニュアンスが強いようなので、受け取る私側の問題なんだとは思う。
作品自体は素晴らしかったが、観る角度を間違ってしまった感じがする。
先月観劇した「ライカムで待っとく」のように、観客側も問題の当事者として内包してくれる方が、なんなら幾分気持ちは楽かもしれない。

↑「ライカムで待っとく」の感想はこちら↑

消しゴム山


うーん、これは難しかった…。
木ノ下歌舞伎「桜姫東文章」での岡田利規さんの脚本と演出がたいへん好みだったので、今回初めてチェルフィッチュを観劇したのだが、正直理解できた気はしない。
「面白い」・「面白くない」の尺度では測れない、よくわからないものを観たという感じがする。

↑「桜姫東文章」の感想はこちら↑

舞台を観ながら、昔テレビで見た、数千年後・数万年後の人類が消滅した地球のイメージ映像を思い出した。
何かを物語るはずの劇場で、ここまで物語性を放棄しているのは、何とも不思議な心地がした。
過去には、「消しゴム森」というタイトルで美術館で上演したこともあったらしいので、そちらがどんな感じだったのかは気になる。

また、劇中の言葉の文体が、何となく村上春樹さんっぽいなと思った。
共に国際的に活躍されている方ということもあるのだろうか、あくまでも日本語という媒体を使用しているだけというか、すごくフラットな言葉という印象を抱いた。(この辺りはうまく言語化できれば、また書いてみたい)

とりとめのない感想だが、そんなことを感じた舞台だった。

雨とベンツと国道と私


モダンスイマーズの舞台はこれが初めて。
ネットの感想を読んでいると、前作の「だからビリーは東京で」とリンクしている部分があったようだが、前作を観ていなくても特に違和感なく観ることができた。

蓬莱 竜太さんの作品では「首切り王子と愚かな女」を観たことがあるが、出番ではないシーンでもキャストが舞台上にいたり、タイトルが舞台上のスクリーンに映し出されたりと、演出面で共通している点があった。

今作では、パワハラについて取り上げており、これは観る人が観れば、フラッシュバックしかねないのでは?と感じた。
昨年観た「無駄な抵抗」でも思ったが、現実社会の問題を描こうとすると、どうしても表現を受け入れられる人と受け入れられない人が出てくる気がする。

↑「無駄な抵抗」の感想はこちら↑

少しモヤモヤしたのは、他の観客の方の反応で、「そこで笑う?」という場面で笑い声が聞こえてきたことだ。
もちろん、作品の受け取り方は人それぞれなので、本来とやかく言うことべきことではないと思う。
しかし、少なくともラストシーンは、誰もが加害者になりうる可能性を示唆するような重要な場面だと思うのだが、そこでも笑い声が聞こえてきて、何とも言えない気持ちになったのも事実。

多少ネガティブなことも書いたが、作品自体はとても興味深く、考えされられるものだった。


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