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SF短編小説 時空振動実験

「試験勉強はいいの?」
 クッションを抱えてソファに座り、テレビを見ている裕美に母が言った。
「うん……」
 明日の期末テストの難物は物理のテストだった。星を見るのが好きなので、理系科目もそう苦手ではないが、苦手ではない、と、得意は、また別の話だ。
「のんびりテレビなんか見てて」
「これも、一応物理だし」
 小声で裕美は口にだした。テレビでやっていたのは、巨大な恒星が一生を終える際の、超新星爆発と、そのときの物理現象、という小難しい内容だった。高校生の物理で扱うようなレベルではない。
 もちろん、専門家ではない一般の人にも理解してもらえるように、番組では、図解と解説役の科学者が言葉で説明するだけで、数式などは背景画像程度にしか出てこない。
 テレビ画面では、女性のキャスターに向けて、物理学者が重力波につてい説明していた。

――こんな内容がすんなり頭に入るといいんだけどなぁ。

※ ※ ※

 翌日の物理のテストは、なんだか妙に簡単に解けた。今朝、自分が物理学者になって、新しい物理現象について説明している夢を見たせいか。
 こんな問題、悩むようなものじゃないでしょ。
 未来の自分にそう言われたような、そんな気がした。

「城崎、今回はがんばったな」
 試験後、答案用紙を返す時に、先生がそう言った。受け取った答案用紙には、98点、と書いてあった。
 
――あれ、満点じゃないんだ。

 裕美はちょっとがっかりした。

※ ※ ※

「この実験の意義は、こういうことになります」
 強力な磁場で重力を操作し、時間振動を起こすという、巨大なジャイロボールのような装置を前にして、テレビやネットの科学解説動画によく出てくる、国立大学の理学部卒、というタレントに、裕美はいま進めている、自分が長年手がけてきた物理現象とその実証実験について説明していた。
「ちょっと、私には、理解が追い付かないですね。未来で起きたことが、過去にも影響を与える、ってことでいいんですか?」
「そうですね。簡単に言うと、そういうことになります」
 タレントの胸に光る、赤いブローチを見つめ、裕美は、また説明を始めた。
 あらたな物理現象、というのは、ブラックホールのような超重力などで、時空間に強い影響力を与えた場合、その影響は過去にも及ぶ、というものだった。
「もちろん、全ての事象が変化する、というわけではありません。特に、人の場合、過去から未来に向けて、時空間を一貫して成長している、植物のようなもの、と仮定することもできますが、」
 同僚は、時空間で成長している、ヒモムシとか、ゴカイみたいなもの、と言っていたが、その例えは嫌いだった。

「この場合、木の梢に刺激を与えた場合、まあ、木を焼いてしまうほどではない、弱い雷が落ちた、と思ってもらえれば良いでしょうか。そのときの電流は、梢から木の根まで通り抜けていくでしょう。
 それと同じように、未来から過去へ、影響を及ぼすことが可能、ということです。ただし、その範囲は限定的で、時空連続体の中で、記憶を有している、人間のような生物などでは、影響が大きく表れるでしょうが、歴史が変わるというような大きな変化は出ないものだと推定しています」
「でも、過去改変というと、タイムパラドックスとか、起きないでしょうか?」
 女性タレントが当然予測される疑問を口にした。

「そうですね。時間の流れは、川のようなものだとよく言われますが、今回の実験は、穏やかな流れの川の、下流から上流に向かって、波を起こすようなものでしょうか。時間の振動、時振、とで言ったものになります。
 川面に向かって、石をなげて、その波紋が広がるような感じと思っていただければ良いでしょう。
 波というのは、振動が伝わるだけで、流れが変わるわけではありません。ただ、その流れの中の生物は、振動を探知して、向きを変えたりするかもしれません。時間の流れの中では、川の中の魚のようには身動きできるわけではないので、この動きは限定的なものにとどまるでしょう。
 動きがあったとしても、川下から与えた振動の波が減衰していくように、影響は次第に収まっていくので、過去が改変されても、殆どの場合、長期的には、元の状態に戻るもの、と推測しています」

「ふうん。その言い方ですと、自然にそう言う事象が発生していることもある、ということなのでしょうか?」
「まあ、これは、確かめられたことではないのですが、だれもが知っているような場所で、だれも見つけていなかった遺跡だとか遺物が見つかって、歴史が書き換わったり、その逆も起こったりということが繰り返されて、歴史とか、時間の流れは安定しているのかもしれません。
 振動が来る前とは違った状態で安定することもあるでしょう。その時は、改変された、と言えるわけですが、それを証明するのは難しいでしょうね。
 今この時も、時間の振動は起こっていて、今日と明日とでは、先週の出来事の細部に違いが起きたりしているのかもしれません」
 女性タレントはそれを聞いてさらに質問した。

「それなら、今回の実験はどのように検証するんでしょうか?」
「これが、この実験が局所的、ということの説明にもなりますけど、一人の人間に影響を与えたとしても、他の人には直接的な影響は及ぼさないだろう、ということです。実験前後で、さまざまな記録を残しておき、その差分を検証することになります」
「それですと、残しておいた記録も変容してしまうんじゃないでしょうか?」
「そうですね。変容してしまいますが、先ほどの川の流れの例えで言えば、途中で起こった流れの変化は、次第に収束していきますが、完全に収束しきるまでにはタイムラグは発生します。昨日と今日では、記録に違いがでるということになります。実験で対象となった人物は、記憶も影響を受けますが、それ以外の人は影響をほぼ受けないでしょう。その場合、差異を検知できます」
「それですと、自分の記憶と過去に実際に起こっていたことと違いがあった場合、単純に記憶違い、というわけでもないかもしれない、ということですね」

 これまで行われた実験では、虫やマウスを実験対象にしたが、それではなんの影響も無いかのように思われた。しかし、世界各地に保存したデータと、実験施設内のデータでは、ほんの少し、違いが出ていた。コオロギを使った実験では、コオロギの映像が、データによっては体の向きに違いがあったが、それは一週間ほどで収束して行って、どれも同一になった。人為的に操作されたのではないか、と、関係者以外からは批判の声も出てはいたが。

「上手くいくでしょうか?」
「それは、これから行う実験の結果でわかります」
「そうですか。それでは、その実験対象となるのは、どなたですか?」
「私ですよ。私が始めた研究ですから」
 そう。自分が対象となって実験しなければならない。何故なら、自分の過去が改変されているはずだから。これは、行わなければならない実験のはずだった。

※ ※ ※

 宇宙船の打ち上げを待つのは、こんな気持ちなんだろうか。様々なセンサーが取り付けられた椅子に座って、宇宙服のようなものを着込んだ裕美は椅子に座って実験開始を待っていた。
「カウントダウン開始」
 緊張感がただよう。自分の心拍数が上がっているのが分かる。
「10秒前。9,8,7,6……」
 目を瞑った。振動係数に間違いは無かったっけ。合ってたはずだ。他の人もチェックしてるし。
 そのとき、物理学を学ぶきっかけにもなった、あの高校の時の期末テストのことが、急に思い浮かんだ。

――そういえば、あれ、満点じゃなかったっけ。何を間違えたんだっけ……。

「3,2,1,0」

※ ※ ※ 

「加藤」
「はい」
 期末試験の後。物理の答案用紙が返された。
「城崎」
「はい」
 呼ばれて、裕美が先生から受け取った答案用紙には、78点、と書いてあった。

――まあ、まず、上出来って言っていいんじゃない。

※ ※ ※ 

「お母さん、私のブローチしらない?」
「ブローチ? 何かのポケットとかに入れっぱなしなんじゃないの」
 朝のあわただしい時間。娘が学校へいく間際に慌てている。

――ブローチなんて変なものが流行っているのね。

 裕美も、もうすぐ出勤しなければいけない。裕美は、一般むけの天文用品の販売などを手掛けている会社に勤めていた。
 普段は自宅で作業しているが、今日は出勤して会議や、望遠鏡の新製品の評価などもあった。

「次のニュースです。国立物理学研究所の時空振動実験は、検証結果で有意なデータを取得できなかったとして、三度目の実験をまたずに休止がきまりました。同様の実験は、アメリカ、ロス・アラモス研究所等でも行っており、これまでの研究結果の共有などを行い、他の研究機関へ協力をしていく方針となるということです」

 つけっぱなしの壁のモニターからニュース動画が流れていた。天文学と物理学は切っても切れない関係とはいえ、それほど物理学に興味があるわけでもなかったが、妙にこのニュースは気になった。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
 ブローチは見つかったのか、娘は元気よく出て行った。

――私も行かなきゃ。

 裕美はモニターを消して、部屋を後にした。


何時もの星ネタをだいぶSF寄りにしてみました。
時振とか、なんかそんな話を聞いたことがあったな、くらいの適当なものです。


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