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SF小説 『百万ドルの虚空』その4

UDLab

 一週間のVRシステムテストを終えて自社に出社した秀次に、来月から東都エレクトロニクスへの出向が命じられた。秀次のテスト結果を受けて依頼があったようだった。会社側、上司の福田などは、社内の業務に支障がでるし、単発の作業なぞ適当にあしらっておけば良かったものを、と嫌味を言われた。秀次としても、本来の業務から離れる不安もあったが、今はこの職場から離れられるならそれも良し、というような気持になっていた。

 出向社員として、VRシステムテストを行った東都エレクトロニクスへ向かった秀次は、着いて担当者に会うなり、別の場所へ向かうことを告げられ、車に乗って出かけることになった。仕事の初日にしては遅く、昼食を終えて午後になっていた。車は都心から湾岸エリアへ向かい、あまりビルなどもない、秀次も訪れたこともない一角の研究施設らしい背の低いビルに到着した。車が入り口を通るとき、秀次が表札を見ると、Universal Degital Laboratoryという文字が読み取れた。
 UDLabは、アメリカのADCS社(American Digital Computer Systems)という計測機器などからコンピュータまでエレクトロニクス分野に強い米国の企業と東都エレクトロニクスが共同出資している研究所だった。秀次も仕事柄目にしたりしたことはある名前だった。
 外資系の企業との共同研究所ということで、外資系企業へ出向で行った際に自席にかかってくる電話も英語だったりしたことを思い出し、若干憂鬱になった。
 秀次は英語は苦手だった。実際、館内に入ると、歩く人には外国人が多い。東都エレクトロニクスの担当者とロビーの椅子に座って待つ。
 眼鏡をかけた40代くらいの男性の担当者は穏やかな調子で話し、下請けのそのまた下の孫請け会社の社員に当たるというよりは、賓客でも相手にしているようで秀次は調子が狂った。それがこれから行うことになる、まだよく説明も聞いていない業務がなんだか不安なものに思えてきた。

 そんな気持ちで所在無げに座っていた秀次の目に、明るいものが飛び込んで来た。長い金髪をなびかせた少女。青灰色のスカートに白いシャツには青い蝶ネクタイ。どこかの高校か中学の制服ような姿は、場違いでしかなかった。思わずじっと姿を見つめていた秀次に、ちらりと少女が顔を向けた。カラーコンタクトをしているのかと思うような青い瞳だった。顔を逸らすと少しうつむき加減になって歩み去る姿は長い脚に紺のハイソックスが似合っていた。
「ああ、いらっしゃいましたよ」
 担当者の声に歩み去る少女を見送っていた秀次は我に返った。エレベーターホールの方からボブカットの紺のスーツの若い女性が歩いてくる。
「東都エレクトロニクスの河野です。こちらが遠野さんです」
「遠野秀次です」
 秀次は用意した名刺を差し出す。
「海老原と申します。宜しくお願い致します」
 受け取った女性はそれだけ言って少し目を細めてほほ笑んだ。秀次が受け取った名刺には、株式会社ADCSJapan 研究開発室開発一課主任 海老原洋子、とあった。
「それでは、私はこれで」
 東都エレクトロニクスの担当者は挨拶もそこそこに秀次に宜しくと伝えると二人を残して去って行った。
「これが入館証です。退館するときは、受付で返却してください。入館するときに作業部署と名前を言えば受け取れます。面倒かもしれませんが、宜しくお願いします。あ、こちらへどうぞ」
 海老原に言われて秀次は後を追って横に並んで歩いた。秀次は明日のことも思って順路を頭に入れようと降りる階数などを確認した。

 ロビーから奥へ入り、応接室のようなところへ通された。秀次をそこに残して海老原は一旦部屋を出ると、書類を手に戻ってきた。
「これがこの館内の案内図と利用規約です。秘密保持契約書はお読みになっていると思いますが、館内を自由に行き来できるわけではありません。ここでのことは一切他言無用でお願いいたします」
 秀次は薄い冊子を受け取りつつ頷いた。脳裏にロビーで見た女子高生らしい少女が思い浮かんだが、あれも機密に入るのだろうか。
「今日は、というか、今日から具体的にどのような作業を行うんですか? 事前には何も伺っていないんですが」
「作業自体は、東都エレクトロニクスで行ったものと大差ありません。違いは、あれはコンピュータによるシミュレーションでしたが、こちらで行う作業は実機となります」
「実機というと、VRシステムで操作するのが実機ということですか?」
「ええ。そうです。14時から、実際に作業していただく場所へ移動して作業の説明を致しますが、それまで規約をお読みになってお待ちください」
 海老原が出て行って、秀次はパラパラと冊子をめくって読んだ。どこへ作業へ行っても渡されるような守秘義務などが記載された規約だった。案内図は、ビルの中枢部分が赤く示されて秀次のような部外者は入れないところが多い。一通り目を通して冊子を置くと部屋を見渡した。窓のない殺風景な部屋。秀次以外にも、作業担当者がいるだろうと思っていたが、ここまで会っていないし、それらしい話も聞かない。あのVRシステムの操作適度で大きく優劣が決まるとは思えなかったし、漠然とした不安のようなものがまた大きくなって来た。


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