SF小説 『百万ドルの虚空』その6
奇妙な能力
月面のリアルな映像。1/6の重力下でのローバーの移動だったが、特に問題もなく操作出来ていた。この映像が本物の月の映像だとしたら、地球上から月面へ指示を送り、それからその映像が地上へ戻るまで2.6秒ほどかかるはずだが、秀次はそんなタイムラグは感じていない。ローバーを進めればその通り動く。始動に関しては若干のタイムラグは感じるが、それは身近でラジコンを動かすような僅かなずれでしかなかった。
「すばらしいです。これで有能なパイロットが二人になりました」
VRヘッドセットを外した秀次にチャーリーが話しかけた。秀次は海老原から伝えられたことをまだ本気で信じている訳ではなかった。
「これは本当に月面上のローバーからの映像なんですか?」
「そうですよぉ。しんじられませんかぁ?」
チャーリーは時折わざとらしく訛った発音をする。張り付いたような笑顔も胡散臭い。
「往復2.6秒はかかるそうじゃないですか。電波だと。月面上のローバーは何か特殊な機材でも積んでるんじゃないですか」
あり得ないとは知りつつもそんな言葉が出た。
「光速を超える通信装置を発明できたら、それはセンセーショナルですねぇ」
「じゃあ、VRシステムでほぼリアルタイムに操作出来るのは何故なんです?」
「ワタシも知りたいです。これはあなたの能力ですよぉ?」
チャーリーの口調であなたの能力と言われて、ちょっと秀次はイラっとした。
「量子テレポーテーションが起きているのかもしれませんネ。あなたが操作した結果は、我々には1.3秒後にしか確認できません。情報の送信としては、客観的には高速を超えていないと言えますねぇ。あなたは、1.3秒後の出来事を予測して操作しているようにも見えます。それも100発100中? でしたか。その精度で。Lotteryの購入を考えてはどうでしょう?」
ロッタリー、と聞いて、秀次はなんのことだかわからなかったが、宝くじと思い当たって、皮肉がこもった冗談を言ったのだと気が付いた。
それでもそのことを考えると、おかしな事に気が付いた。未来に起きることを予測して動かしているのなら、秀次が操作した時点ではローバーは動いていないことになる。秀次にはそんなタイムラグは感じていない。それを言おうとしたらチャーリーは既に秀次の前を離れてスマートフォンを片手に何か話しながら去って行くところだった。
「あの、海老原さん」
「はい?」
秀次は傍らにいた海老原に話しかけた。
「私が操作した時点では、まだ月面に電波は届いていないわけですよね。そうすると当然ローバーは動いていない。でも私はタイムラグを感じていない。後で送られた映像はどうなっているんですか?」
海老原は戸惑った顔をしていたが、話し始めた。
「貴方が例えば右に動かしたとすると、1.3秒ほど後でそれが月面に届いてローバーが右へ動くいて、それが1.3秒ほど後にこちらへ映像として届くはずですが、実際は、操作後の1.3秒のタイムラグは無くローバーは動いているようです」
「んん? それじゃあ、私が操作してその動作を電波信号として発信したものがローバーに届く前に、ローバーが動いている、と言う訳ですか?」
「月から送られる映像と比べると、貴方の操作は1.3秒ほど動き出しが早いように見えるんです。脳の視覚野の反応も同じように早く反応しているように見えます。まるで、リアルタイムで映像を見ながら操作しているように」
「それじゃあ、1.3秒だけ、私は未来を見ている? それも変だな。時間としては、ほぼ同時刻か。ただ、光の速さという、情報の壁があるのに、私はそれを無視したように知覚しているうえに、操作までしていると」
「そうなりますね。でも、あなた以外の人にはそれを確認できません。貴方が行ったことを私たちが確認できるのは、月面からの映像が届いた後だけです」
海老原は腕を組んで真面目な顔になった。
「ただ、貴方の操作がリンク先のローバーを動かすには、一度、電波信号でVRシステムとローバーをリンクしないといけない。月ですと1.3秒ほどの距離ですが、それがもっと遠く、隣の恒星、アルファ・ケンタウリあたりまで離れるとどうなるでしょう? 距離は4.3光年です。そこに探査機があって、貴方がそれを操作する」
普段の海老原と違って、熱のこもった目付きになっている。
「私が、実際に探査機を操作できるのは、その探査機に接続信号を送ったあと、4年以上後でないと、操作はできない、と」
「極端な話、そうなります。そしてその結果は4年以上経たないと確認できません。
マリーや遠野さんの能力は、ちょっといい方はあれですが、幽体離脱とか、そんな感じなのかなと。意識だけ、電磁波に乗ってローバーへ移動してそこで留まって操作を行い、ログオフすると、また電磁波に乗って意識がVRシステムの中の肉体に戻ってくる、そんな感じでしょうか。ちょっと、オカルトまがいの説明で申し訳ないですが。今はそれ以上のことは言えません」
秀次には超知能力などというものが自分にあるとは思えなかったし、そんなことが出来た記憶もない。これは、ここのVRシステムによって引き起こされたこととしか思えなかった。
だだし、その奇妙な能力は、ブレイン・マシン・インターフェースという機械によって呼び起こされ、それが通信という電磁波を介して接続する機器の間によってのみ顕現するという特性上、VRシステムと接続できる機器が無い場所へは移動も知覚もできないし、有ったとしても、光速を超えた情報のやり取りをしているように見えても、最初は光速という物理的な限界内での(知覚的な)移動が必要、という、妙に矛盾した能力だった。それは、光速で到達できる範囲外は認識の埒外とでも言うような制約が掛かっているようでもあった。
秀次は、自分がそんな行動をしているような意識は無かった。特異な能力を有しているというよりは、何か、精神や神経系の病だと言われたような不快な気持ちになっていた。
「これまでそんな人間がいるとか、VRシステムでこういった現象があるとか、全く聞いたこともないですが、ここのシステムは何時から稼働しているんですか?」
「半年程前からです。光学式のVRシステムではこれは確認されていません。ブレイン・マシン・インターフェース特有の現象です。
貴方のような、特異な現象が確認されたのが三ヶ月前ですか。それからここは急展開です」
海老原としては、チャーリーが主導している宇宙開発の実作業的なことよりは、マリーや秀次の能力を調査、研究したい様だったが、そうもいかないもどかしさを時折垣間見せることもあった。
「最初にこの現象が起きたのは、あのマリーって娘ですか? 他に前例は?」
「最初に確認されたのがマリーです。ここのシステムが一般公開されることになって、近隣の高校から見学に来たのですが、その時のVRシステムの体験者です」
見学会に来ていた高校生からランダムに被験者を選んで体験させるというイベントで、一際目立つマリーは、絵になる、という理由もあってランダムと言いつつも被験者に選ばれた。
他の数人の生徒と一緒にVRシステムを体験したマリーの映像はニュース映像として流れ、企業PRに貢献したと言えただろう。
体験イベントとはいえ、その場合でもシステムはデータを記録している。マリーの高校を含めたイベント参加者たちのデータを解析していて、挙動のおかしいデータを見つけ、システムの不具合かどうか問題となった。それが最終的にVRシステムを操作した被験者にあると判明したことで、マリーは再びラボに呼び出されてテストを受けることとなったのだった。
「マリーはまだ高校生ですから、テストに参加してもらうにも制約があります。それに、あの子には、彼女自身の能力について、正確なことは伝えていません。彼女自身興味も無さそうですけど」
「それも機密事項だからですか?」
「業務上の機密保持に慣れている遠野さんと違って女子高生ですから。仕事として請け負ってもらえる大人の被験者が見つかってこのラボとしてもほっとしているところです」
ほっとすると言うのは本心だろう。チャーリーに振り回されて、研究の意図も碌に知らない、興味もない女子高生を今まで相手にしてきたのでは。
「それならマリーはお役御免ですか」
「いえ。今現在二人しかいない特殊能力者ですし、彼女もアルバイト感覚で付き合ってもくれますから。でももう、前ほど無理は言わなくて済みそうです」
平日の午後に、この場に居たマリーの姿を秀次は思い出した。
「高校生なのに、平日にアルバイトは問題じゃないですか? ああ、夏休みか」
「いえ、もう新学期ですよ。今日は始業式で午後は授業が無かったそうなので」
「そういえばもう9月でしたっけ」
秀次は8月が終わって月が変わったことも忘れていた。
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