SF小説 『百万ドルの虚空』その2
VRシステム検証作業
「遠野、冨士城情報がやってるVRシステムの検証作業に参加してくれんか?」
遠野秀次は、上司の福田に昼飯に誘われた席でそう告げられた。8月も近い夏の昼時、効きの悪い冷房を補うかのように扇風機が回る路地裏の古い食堂は、老舗というよりただ古いだけで飯も大して旨くはなかった。ファミレスよりも安くて量が多いというのが取り柄のような店だった。
「冨士城情報のVRシステムって、まだ検証済んでなかったんですか?」
秀次の所属するNシステムからも何人か開発担当として出向していたが、担当部門の開発は終了して引き上げていた。
「ああ。被験者を増やして一気に終わらせるつもりだったらしいが、今度は個別の精度が悪いとかで、やり直しになってな。こういう、システムテストに参加したことがあるやつが良いってことで、色んなところに当ってるらしいんだ。うちにも来てな、冨士城には、昔から仕事を融通して貰ってるし、断り辛いんだ。おまえ、前に似たようなことやってただろ?」
秀次は、珍しく福田が食事に誘ったわけが分かってげんなりした。あまり味わうこともなく食べていたヒレカツが急に不味くなったような気がした。
「あれは、うちが請け負ったソフトでのVRのヘッドセットとグローブの動作検証ですよ。光学式のものだし、テストも座標にずれが無いかチェックするような簡単なもので……」
冨士城情報は、親会社の東都エレクトロニクスが開発したVRシステムのソフトウェア部分の開発を委託されていたが、開発期間も限られて、人海戦術で乗り切ろうというところだった。映像を光学的に目で見るのではなく、脳の視覚野を刺激することで知覚させるというブレイン・マシン・インターフェースによる最新のシステムで、VRシステムとしては一応の完成となったが、動作検証に手間取っていた。VRシステムのテストの遅れは、長時間の連続使用で補うという方針となり、それに進捗を気にする現場の対応がテスト要員の疲弊に追い打ちをかけているらしい。
「うちからも誰か出せって上から言われて、お前が適任だと思って推薦しといた。来週から東都エレクトロニクスに出向扱いで行く事になるから、よろしく頼むよ」
説得も何も、単なる事後承諾だ。恨めしそうに福田を見つめたが、もう話は済んだとばかりに親子丼をかき込んでいる。こういうことなら職場で言われても秀次は別に構いはしないが、このところ会社の業績も悪く、ベテラン社員の退職や降格など首切り紛いの辞令で去っていく者もいた。福田とすれば周りの目を気にしたのだろう。
食事が済んで、支払いの段になったら福田は自分の分だけ払って外へ出て行った。支払いを済ませて出てきた秀次に、福田は肩に手を回してポンポンと叩くとよろしく頼むよ、と同じことを何度も繰り返した。秀次はその手を払いのけたい衝動に駆られたがぐっと堪えた。
秀次は福田と別れていつものように近くの公園へやってきた。木陰でもさして涼しくもないにもかかわらず、木陰のベンチは新聞を読んだりスマートフォンを見つめるYシャツ姿の男たちに占拠されている。
日差しを避けるように、木陰を歩き、公園の端にある図書館へ向かう。梅雨も明けて暑くなってきてから、冷房で涼むためにやってくる人が多くなり、のんびりと腰かけて雑誌などを読むというような感じには行かなくなっていた。それでも、雑誌の棚から科学技術誌を取り出して、空いている席を探す。だらしなく口を開けて眠る老人と汗を拭きながらスマートフォンを見つめる中年女性の間に空席を見つけて座る。中年女性がじろりと横目で睨んだが、気にせず雑誌を広げた。
昨日途中まで読んだ続きを読み始める。以前は会社が購入して閲覧できた雑誌だったが、経費節減だとかで買わなくなっていた。書店に並ぶような雑誌でもないので、時折面白そうな記事があるときだけ読んでいたくらいの秀次は定期購読などする気もなかった。
昨日はなかなか普及しない核融合炉の技術的な問題と政治経済の関係を考察した内容を読んだところで短い昼休みが終わったが、今日ページを繰って続きのページの見出しを見ると、その次の記事も政治がらみだった。地球以外の天体での不動産に関する話に数ページ割かれている。
太陽系の惑星探査は主に科学的な分野に限られていることが多かったが、地球以外に天然資源を求めようという気運の高まりもあって、実利を求めて探査を行う場合も少なくはなかった。惑星などの探査となると、国家規模での活動となるが、宇宙条約では国家による領有は禁止されている。
この記事では、その抜け道とでもいうか、個人や企業による領有は禁止されていないことから、天体の不動産売買といったことが従来から行われている。またそれらは実際に天体に赴くこともなく、机上の遣り取りに過ぎなかったが、営利目的の企業が、例えば小惑星などに探査機を送り込み、この小惑星の領有を宣言した場合、法的には有効であるかどうかと言った事柄を記事では扱っていた。宇宙条約以後にも月その他の天体における国家活動を律する協定などで、国家や個人にかかわらず領有の禁止を謳った条約はあるが、批准している国が少なく、個人や企業による天体の領有は法の解釈によっては有効であるという考えもあると述べられていた。
国による領有は表向き出来なくとも、国家規模の後押しで宇宙開発は行われており、その企業が領有を宣言するようなことがあれば、国が領有するも同じことではないか。かつてのアメリカとソビエトによる宇宙開発の頃から、アメリカとロシア、欧州と台頭してきた中国やインドなど宇宙開発を進める国家も多い。何れ、地球以外の土地を巡っての諍いも起きるのではないか。
記事には具体的な理由などは述べられていなかったが、言外にそういったことが起こっているか起こりかけているようにほのめかすような論調ではあった。
秀次は、以前から一企業による星の命名権だとか、月や諸惑星の土地の権利書などの販売を行っていることやそれを実際に購入するような人がいることも理解できる範疇になかったが、解釈でどうにでもなると言われるような法律という代物にかかれば無理も通るのだろう。
昼からの気分もあって、うんざりしてバサッと両手で雑誌を閉じた。その音に隣の女が露骨に嫌な顔をしてみせ、口を開けていた老人は一瞬首を浮かしたが、また軽く鼾を掻き出した。
席を立って書架に雑誌を戻すと、読もうと思っていた天文雑誌の最新号は誰かが読んでいるのかバックナンバーしかなく、振り返ると座っていた席では雑誌を何冊も抱えた頭の禿げあがった男が汗を拭きながら一番上の雑誌を広げているところだった。隣の女は汗臭いのか露骨に顔を顰めて鼻に手をやる仕草をみせたが男は気にした様子もない。
秀次はもう昼休みの時間も少なくなっていたし、今日はあまり長居したい気にもなれなかったので少し饐えたようなかび臭い冷房の効いた図書館を後に、昼下がりのうだるような暑さの中へ出て行った。
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