SF小説 『百万ドルの虚空』その8
救出作戦
半球形のVRシステムユニットが窓の外に見える会議室。
黒いスーツの男は黒板のように大きなモニターの前に立ち、秀次は講義を聞く学生のように席に着いた。チャーリーも一つ離れた席に、笑顔こそ見せないがどことなく面白そうに座っている。海老原は不安そうな面持ちで窓際に立っていた。
「私は、このプロジェクトの統括リーダーの笹野と言います。現場にはあまり顔を出すことはないので遠野さんとは、初めてですね」
端正な顔立ちだが、四十代くらいにも、もっと老けても見える年齢不詳な感じの笹野はそう言って挨拶した。秀次は、はあ、というように頷いた。自分も名乗って挨拶か、と思ったが、笹野は直ぐに話し始めた。
「さてと。今の状況を説明すると、米国の宇宙開発企業連合、PASDが進めている小惑星探査計画があり、その一つが、この小惑星の探査です」
モニターに太陽に地球、Xと記された小惑星の軌道が線で示された。小惑星Xは地球の公転面に垂直に近い角度の離心率の大きい楕円軌道で、地球には最も近い時で火星の半分ほどの距離まで近づく。現在は一番近づいている状態で3600万Kmの距離にあった。
「この小惑星には、PASDの探査機が1年ほど前に到着しています。その探査機はAI搭載機で、自律的に行動する探査計画でした。それが不具合を起こした」
「不具合?」
笹野の苦虫を噛みつぶしたような顔に不審に思って秀次が質問する。
「あー、この探査機はAIを搭載したえー、自律行動できる探査機です。惑星に到着してすぐに、独立を宣言しました」
チャーリーが横から口を出した。秀次には意味不明なことばかりだった。
「チャールズ・葉山、PASDの計画を遠野さんに説明しても宜しいですか?」
チャーリーはどうぞというように手を差し出した。
「PASDでは、小惑星の探査は、その所有を目的としているのです。他の企業や国家に先んじて。既成事実を積み上げることで有利になるように」
「所有? それは……」
秀次が以前読んだ雑誌の記事を思い出した。企業が天体を所有することを制限する明確な法は無い。
「その最初の目標だった小惑星に送った探査機はAIに自律的な探査のテストも兼ねていたようです。順次同じシステムで探査を行う計画なのでしょう」
目標の天体に向けて打ち上げた後は、軌道修正などAIに任せて、コントロールしないというのは、太陽系の辺境のような遠い天体を考えると、合理的と言えた。
「まだ不具合の詳細は分かっていないようですが、AIに天体の所有を任せたため、AIは小惑星を自分の所有物だと認識し、近づく人工天体を敵と識別しているようです。そうですね?」
最後はチャーリーに向かって笹野が言った。
「プロトコルが上手くかみ合ってないようです。それで接近したマリーのプローブが攻撃されたと考えられます」
「マリーが攻撃された? それで、マリーがリンクを解除できないと?」
チャーリーは立ち上がるとモニターの前に立った。シャツのポケットから出したパッドでモニターを操作する。
「ここのVRシステムと、探査機とは光で2分の距離があります。ここから、探査機、探査機から、ここ。当然どちらも2分です」
モニターの惑星軌道と探査機の表示に地球と探査機の間に直線が引かれる。
「探査機から通信が途絶えれば、VRシステムはそれで機能しなくなります。こちらからの通信を探査機が受信していてもです。それは、普通は、VRシステムを操作する人は、システム側にいて、探査機から送られた2分前のデータを見ているからです。ですが、マリーや、あなたは違う」
チャーリーが秀次を見つめる。普段のわざとらしい訛りも少ない。
「マリーは2分先のプローブにいて、ここからVRシステムにログオフを送っても反応しません。そうとでも言うような、まかふしぎな現象です。ここから送信しても、彼女は常に2分先にいるのです、と言うしかありません」
「じゃあ、私やマリーは何時もはどうやってログオフしているんですか?」
普段の自分の挙動に不審なことなど感じてはいない秀次は反発するように尋ねた。
「それは私が聞きたいくらいですが、リンク先からログオフして、VRシステムへ戻っている、とでもいうようなことをしているようです。いま、マリーのプローブはこちらへ送信できない。それで、戻れない。そう考えるしかありません。いま、こちらの送信を切断して、マリーがどう反応するのか、それはそれで興味がありますが、大変危険だと思います。そうしないで、マリーを助けるには、あなたに行ってもらって、通信を回復してもらうしかないでしょう」
秀次は、自分が呼ばれた理由が漸くはっきりとした。
「そういった危険なところへ、よくマリーを行かせましたね」
皮肉っぽく秀次は言った。
「ロブオフ出来ないという現象は今回が初めてです。AI探査機の攻撃も、想定外です」
「想定外ね。私が行く場合には想定外の事態は無しにして欲しいですね」
「ああ、その件に関して、遠野さんには言っておくことがあります」
笹野が秀次を、何かすまなそうな表情で見つめた。
「このラボで行っていることは、本来VRシステムの研究開発であって、PASDからの依頼は、その主旨に合致する範囲に限って行われています。小惑星上の探査機の件も、単に不具合が発生したので調査したいというだけでした」
笹野がチャーリーを睨む。
「それは、その通りではありませんか?」
チャーリーがすまし顔で返す。
「小惑星の占有だとかAIが攻撃してきた、とかは私が訊ねたから言ったことですよね? しかも武装した探査機を送り込んでいるとか!」
怒気を含んだ声で笹野が言う。チャーリーは肩を竦めた。
「武装した探査機とか、どういうことです?」
遠野が笹野の言葉を聞き咎めた。
「PASDは、小惑星にAI搭載の探査機を先に送り、そこの領有を宣言し、後から武装した探査機を送り込んで、いわば、前線基地を構築する。そういう活動を始めたようです。マリーは武装した探査機から、小惑星を回る軌道に投入される予定のプローブを操作していました。それが小惑星に近付いた時に、先に送り込まれたAI探査機に攻撃を受けた、こういういきさつになります。
この件は、PASDの独自案件であって、このラボから貴方に依頼している作業では無い、ということです。つまり、貴方の会社との契約外だということです。この件は、この場から外部に漏らすわけにはいかない。それを受けるとすると、貴方は会社とは関係なく貴方個人でPASDと契約を結ぶことになる。それでも宜しいですか?」
笹野が秀次を見つめる。
秀次は会社の就業規則を暗記してはいなかったが、たぶん副業は禁止していただろう。笹野の云いも、尤もらしい言い分だが、つまりは責任はラボ側では取らないから、この仕事を受ける場合、何かあったらPASDに何とかしてもらえということでもあった。
「私以外にマリーを助けに行けないのなら、やるしかないでしょう。当然、それなりに見返りはあるんでしょう?」
秀次は笹野からチャーリーへ視線を移した。
「OK。なにも書かれていない小切手ではどうです?」
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