子供の頃に読んだ本 『まぼろしの海獣-デスモスチルス発見物語』
偕成社の世界のノンフィクション、という今は絶版のシリーズの中の一冊。
子供の頃、最初にタイトルを見たときは、怪獣? と誤認しそうになった。実際、誤認してこの本を借りて、ウルトラマンに出てくるような怪獣を想像して、まったく違う内容に失望した、というクラスメートがいた。
海獣、うみのけもの、の方だが、これは中新世中期から後期にかけて生息したデスモスチルスという、絶滅した動物に関するノンフィクション。
まぼろしの海獣-デスモスチルス発見物語 たかしよいち:著
1880年、アメリカの古生物学者、マーシュは、オレゴン州から送られてきた、珍しい歯の化石が、どの動物とも異なっていたため、歯の特徴からデスモスチルス(束になった柱の意)と名付けた。化石はそれ以上見つかることは無く、マーシュ自身もそれ以上深く研究することはなかったため、それきりになってしまった。
その後、1902に、岐阜県の戸狩でデスモスチルスの頭骨が発見される。東京帝国大学(現東京大学)の吉原重康と岩崎重三の二人はこれを調べて、アメリカの古生物学者、オズボーンに調査報告書を送った。オズボーンは古代の象の研究者だったが、デスモスチルスの頭骨は象に似ていることから象の仲間ではないかと考えた。この見解には反論もあって、ジュゴンなどの海牛の仲間ではないかという意見もあった。
さらに、1922年にカナダのバンクーバーと、翌1923年に日本の佐渡から、デスモスチルスらしい歯の化石が見つかる。ただ、この歯は、若干これまでのものとは異なっていたため、別の種ではないかとして、パレオパラドキシア(古代のパラドックスの意)と名づけられた。
現在は、束柱目の下に、デスモスチルス科と、パレオパラドキシア科がある。
それから暫く大きな発見は無かったが、1933年7月になって、北海道帝国大学(現北海道大学)の古生物学者の長尾巧の元に、一人の男が化石を持って現れた。工藤という男が持ってきた化石の頭骨は、デスモスチルスのものだった。
長尾がどこで見つけた物か尋ねると、樺太の気屯(現スミルニフ)で見つけた、という。当時は、樺太の北緯五十度以南は日本領、と、ポーツマス条約で定められていたので、そこは日本領だったが、北緯49度45分と、当時はソビエトとの国境近くだった。
そこにはまだ、持ってこなかった他の化石もあるという。それを聞いて、長尾は樺太へ発掘調査に赴くことにする。10月、現地について、地元の協力も得て、多くの化石を発見、翌1934年も発掘を行ない、デスモスチルスのほぼ全身の化石を発見することに成功した。
この発掘の経過はちょっとスリリングなところもあって、読んでいて面白かった部分だ。
この化石は現在も北海道大学にあり、レプリカが展示されている。私は大人になってから、北海道旅行の際に北海道大学を訪れて、このデスモスチルスの骨格標本を見てきた。子供の頃に本で読んだものの実物を見る、と言うこともあまりないので、一人感慨に浸っていたが、そんな気持ちで骨格標本を見ている人は私くらいなものだっただろう。
戦後になって、1950年、愛知県名古屋市の中学教師、戸松滋正は、趣味の化石採集で、岐阜県の土岐津を訪れていた。地元の人から子供が象の化石を見つけた、と言う話を聞いて、隠居山という山で発掘を始めたが、めぼしいものは見つからない。
土地の人から、近所の高校生が化石を集めている、と聞いて、その高校生の家を訪ねて、探した場所を聞いて行ってみることにした。そこで、動物の肋骨らしいものを見つける。
詳しく調べると、それがデスモスチルスのものらしいと分かった。その後、古生物学者に調査を依頼すると、デスモスチルスではなく、パレオパラドキシアの化石だと判明した。
この化石は、現在、東京の国立科学博物館に骨格標本が展示されている。私はこれも見に行った。北海道へ行くよりも先だったので、ここで初めてこの本に出ている化石と対面したことになる。
田舎の子供には本とか雑誌でしか目にすることが出来ないものを、ちょっと出かけて目にすることが出来る都会の人々は恵まれてるな、と、そんなことを思ったものだ。
時々、子供の頃に見たくても見ることが叶わなかったことを、大人になって実行している。アニメとかのモデルの土地を訪れる、聖地巡礼とかやっている人がいるが、それの書籍版みたいなものか。
※文中の敬称は省略しました。
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