子供の頃に読んだ本 『地球は青かった』
私が小学生の頃は、図書館から本を借りる場合、読書カードと言うものに記入して、本にも同じようなカードが付随しているので、それにも書いて、カウンターで司書、または図書委員にそれを渡して本を借りる、という方式だった。公立の図書館はネットで借りる方式になっているが、学校の図書館というのが今どうなっているのかは知らない。
自分で借りた本を記入する方の読書カードは、学校を卒業するときに、返却というか渡された。学校に残しておいても増える一方で困るだろうから、卒業記念と言う形での処分みたいなもんだろう。大人になるまでに、実家に残したものはほとんどが親に処分されたのに、読書カードは生き残って、私の手元に残っている。
それを見ると、複数回借りた本が何冊かあって、その中の一つが、あかね書房から出ていた、少年少女二十世紀の記録、というシリーズの中の一冊で、『地球は青かった』(岸田純之助:訳)という本だ。この本は二つの本の抄訳が入っていて、一つは、『地球は青かった』、もう一つは、『宇宙への出発』というもの。
『地球は青かった』(ユーリ・アレクセイビッチ・ガガーリン:著)
地球は青かった、という言葉は、人類初の宇宙飛行士、ガガーリン(1934年生3月9日~ 1968年3月27日没)の言葉として有名だ。もっとも、ガガーリン自身は、こんな紋切型の発言はしたことは無いらしく、この本でも、「地球は薄青い光につつまれている」と、そんな描写があるだけでだった。私は、帰還後の記者会見などで、ガガーリンが、『地球は青く見えました』とか、そんな発言をするシーンがあるんだろう、と読む前は思っていたが、そんなことは無かった。
この本は子供向けの抄訳版で、元のガガーリンの手記は、『宇宙への道』というタイトルだったようだ。『地球は青かった』というタイトルでガガーリンの手記が発売されたのも日本くらいらしい。新聞社が、薄青い光につつまれている、を、青かった、と言い切るような形で報道して、それを本のタイトルにしたことで、日本ではガガーリンの言葉として広まったもののようだ。当時の本を見ると、『地球の色は青かった』とか、若干異なるものも見受けられる。
タイトルの話はこれくらいにして。内容の方だが、ガガーリンの幼少期から宇宙飛行後の凱旋までが書かれている。
私が印象に残っているのは、ガガーリンが子供の頃に理科(この本では物理と書いてある)の先生が、実験などを行なって、生徒の興味を引くような面白い授業をしていたことが書かれている部分。共産主義の国で、堅苦しい授業をしているのかという印象を持っていたが、そうでもないらしい。ただ、ガガーリンの書き方だと、この先生の教え方が独特だったようだ。偉人の伝記を読むと、若い頃に将来に関わるような先達との出会いがよく描かれているが、そんな一端を見た気がしたものだ。
もう一つは、ガガーリンの任務を、家族の誰にも告げていなかった、という、こちらはいかにもソビエトのイメージどおり、という話だった。宇宙飛行士の選抜も公にして、誰誰がいつ宇宙へ飛び立つ、ということを大々的に宣伝するアメリカとの違いが際立っている。
ガガーリンは、この宇宙飛行の際には、月を見ることは出来ず、次に飛行するときは見てみたい、と書いているが、それはかなえられることは無く、ガガーリンの宇宙飛行はこの一回のみだった。
今現在(2024年)、このガガーリンの手記を出版している出版社は存在しないようだ。少年少女二十世紀の記録というシリーズも絶版なので、ガガーリンの手記を読みたいのなら、古本を探すしかない。現在の国際情勢からすると、ガガーリンについて取り上げるのも憚られそうな状況なので(私は書いているけど)、この先も出版されることは当分なさそうな気がする。
『宇宙への出発』(アンヌ・パーキンス・デューイ:著)
こちらは、ロバート・ハッチングス・ゴダード(1882年10月5日生~1945年8月10日没)という、アメリカのロケット開発の先駆者の伝記になっている。現在では、アメリカの宇宙開発というと、ナチスドイツでロケット開発を行なって、アメリカに亡命してアポロ計画などに関わった、ヴェルナー・フォン・ブラウンが有名だろう。ゴダードって、誰? という人が多いのではないだろうか。
病気がちで、家にこもって実験を繰り返す息子を、温かく見守る両親、という、いかにも偉人の伝記にありそうな家庭。ロバート少年が繰り返す爆発実験に怯える家政婦とか、アメリカの伝記作家が書きそうな描写で、アメリカのドラマや映画でも見ているような気分で読み進められる。
H・G・ウェルズの『宇宙戦争』を読んでいた少年は、宇宙空間を飛行することを考えるようになり、やがてそれはロケットとして研究するようになっていく。
ゴダードは、原子力をロケットに利用できるだろうとか、現在言うところのイオンエンジンのように電子を利用して飛行するロケットなどの理論も発表している。
プリンストン大学に招聘され、そこでは、ロケットのノズルや、多段式ロケットについての特許を得てもいる。
ゴダードの着想は時代の先を進んでいて、まだ真空中でロケットと言うものが前に進むことが出来るのかどうか、なんてことが議論されていた頃に、惑星間飛行では宇宙空間を進む際に、流星などの元になる、細かい星間塵というものが問題になるだろう、とそんなことを考えていた。
ゴダードは、第一次世界大戦時に、アメリカ陸軍に兵器としての簡易なロケット、バズーカ砲の原型のようなものの実験を見せている。実験は成功したが、そのわずか数日後に第一次世界大戦が終結したので、ゴダードのロケットは採用されなかった。ここで兵器として採用されていれば、バズーカ砲の父とか、ミサイルの父とか、そんな異名で呼ばれることになっていたかもしれない。そのままロケット開発に進んでいれば、フォン・ブラウンより十年は先行していただろう。
ドイツのV2ロケットなどで、兵器としてのロケットの重要性に気付いたアメリカは、ゴダードにも、開発を依頼するようになったが、戦後の米ソの宇宙開発競争を見ることもなく、ゴダードは1945年8月10日に亡くなっている。
もし、ゴダードが世間の無理解に悩まされずにロケット開発を行なっていたら、世界初の人工衛星も、宇宙飛行士も、アメリカのものとなっていたかもしれない。
そうならなかったのは、歴史の綾だが、『地球は青かった』と同じ本にして刊行したことには、何か意図があったのか、と今では思えてくる。
大人になって、もう一度この本を読んでみたくなり、探していたがなかな見つからず、ネット検索で古書店から見つけて購入した。
科学好きなのは小学生の頃にこんな本をよく読んでいたからだろう。とくにこの本は二つの伝記が共に面白くて、時々読みたくなっては再読していた。思い出の一冊だ。