SF小説 『百万ドルの虚空』その9
救出作戦
秀次はいつも通りにVRシステムのヘッドセットを装着して、椅子に座った。ゆっくりと後ろへリクライニングすると、普段なら気持ちも緩んで眠そうになるところだが、今日はそんな余裕は無かった。
接続開始。接続には、電波信号が接続先に到達するまでのタイムラグがあった。暫くは何も見えない。テレビやPCを起動して、画面に表示されるのを待っているような感覚だった。
「リンクを確認。遠野さん、どうですか?」
海老原が心配そうな声をかける。昨日と同じような、真っ暗な宇宙の映像。露出を調整すれば星が見えてくるだろうが、そんなことをしている暇もない。昨日と違って、これは現実の探査機の映像だった。
「特に問題はありません。この探査機は、例のAI探査機の処理用ってことですか。チャーリー?」
「そうです。これからあなたにやってもらうのは、まずマリーのプローブに接近してこちらと通信を回復すること。これが最優先です。それと、小惑星上のAIを機能停止させることです」
「簡単に言ってくれるけど、俺は今日初めてですよ。この探査機とリンクするのは」
「だいじょうぶ。トオノさんならできます」
チャーリーに対して、大分ぞんざいな口調になってきた秀次は何か言い返そうかと思ったが、ハハッと乾いた笑いしか出なかった。重力のある場所と違って、作用反作用の要領がまだ完全には掴めていないが、それは搭載されている航行システムが修正してくれるはずだった。
視界に遠く卵型の小惑星は見えている。そこへまず接近。マリーのプローブは、秀次の操作する探査機の軌道との交点へ向かってゆっくりと接近しているはずだった。
「レーダーでマリーのプローブを確認。接近します」
秀次は視界の左隅に赤い丸に十字のマークが点いたのを確認した。目視でも確認出来て少しホッとする。
推進エンジンを点火して速度を微調整。ポインタの示す方向は、互いの相対速度を測った上で示されていて、推力は自動的に調整されているはずだった。
「マリー、聞こえるか。マリー?」
マリーの円錐形のプローブが見て取れるようになった。ゆっくりと回転している。アンテナの向きで通信できないわけでは無いらしい。
「こちらでもマリーのプローブが確認できました。見た目ではアンテナに異常はなさそうですが、通信出来ないとなると、直接プローブをキャッチして接続通信するしかありません」
海老原からの連絡。
――キャッチと言ってもな。
秀次は次第に近づくプローブを見つめた。秀次の探査機にはこれまで使い慣れたマニピュレータと同じようなものが搭載されてはいるが、マニピュレータで飛んでいるものをキャッチしたことはない。相対速度を調整して次第に近づく。直径1メートルほどのプローブが巨大に見える。ゆっくりと見えた回転も近づくと意外に早く感じる。
マニピュレータが届く位置まで接近。相対速度はほぼ同じはずだが、プローブはゆっくりと下へ向かっている。秀次は少しエンジンを点火して前進すると同時にマニピュレータでプローブを挟み込んだ。
「プローブをキャッチした」
秀次の声に、おお、という声が聞こえた。プローブと通信回線を接続する。
「マリー?」
『だれ? おじさん?』
「大丈夫か?」
『おそいよぉ。何やってたのよぉ!』
普段の見た目と違う幼い反応のマリーに秀次は事態の深刻さを感じつつも、ほっとした。秀次の周りでは歓声が上がっている。マリーの声は秀次にしか聞こえていない。歓声はキャッチした映像が届いたからだった。
「マリー、もう大丈夫だから、ログオフしてみてくれ。出来るか?」
『え? うん、やってみる』
マリーとの通信が途絶えた。
「マリーが復帰しました! 意識はあります!」
「VRシステムとのリンクを切断して、ヘッドセットをはずせ。早く医務室へ!」
秀次には周りの声がすぐ傍から聞こえてくるが、見ている光景は、3600万Kmの彼方だという奇妙な感覚を味わっていた。
「オメデトウ、やりましたねぇ。次は、AIを停止することです」
チャーリーの能天気な声。
「AIの探査機は、どうやってマリーを攻撃したんだっけ?」
「おそらく観測用のパルスレーザーを高出力で照射したと思われます」
「それ、この探査機は大丈夫なのか?」
「正面から向かわなければ。打ち合わせた通りに、補助ロケットを小惑星に向けて発射してください」
「しかし、俺みたいな民間人がミサイルをぶっ放して大丈夫なのか?」
「OH、それは探査機の補助ロケットです。ミサイルではないですね」
笑う気も起きない。
「で、小惑星に向けて発射するだけでいいのか?」
「ターゲットをロックオンして発射してください。発射シークェンスが始まるとロック画面が表示されます。ゲームみたいなものですよ。簡単でしょ?」
ロックオンとか、ミサイルじゃないか、と突っ込む気にもなれず、秀次は黙って聞いていた。
「ミサイルは、パルスレーザーに反応しないのか?」
「それは大丈夫です。目標に命中するまで爆発しません」
今度はミサイルと言う言葉を訂正もしない。マリーの時と違って、失敗しても秀次自身はさほど気に病むこともない。チャーリーやPASDにとっては大問題かもしれないが。
マニピュレータで操作する必要は無いので、プローブは抱えたまま、次第に小惑星に接近する。慣性飛行のまま、特に推力も上げてはいない。
遠目には卵のようだった小惑星がごつごつした岩の塊にみえてくるほど接近すると、ちょうど卵だと一番膨らんだ辺りに何か黒い物体がくっ付いて見える。拡大すると、小惑星上の探査機は、科学雑誌などで見た、バクテリオファージによく似ている。
慣性のままに進んでいくと、ロックオンに有効な範囲まで到達した。不意に秀次の視界の表記に赤く警報が表示された。探査機の一部が一瞬温度上昇している。
――パルスレーザーを撃ってきたのか?
意識は若干焦り気味になった秀次だったが、まだ落ち着いて行動出来ていた。
「発射シーケンス開始」
秀次が言って、操作を開始した。拡大したバクテリオファージに赤いポインターがセットされる。”補助ロケット”は、ドラム缶のような探査機の脇からロックが外れて脇を漂う。また、警報が上がる。温度上昇範囲が広がったようだ。
「遠野さん、探査機にレーザーが当っています。大丈夫ですか?」
海老原が切迫するような息を潜めた声で尋ねる。
「まだ、大丈夫、な、はずです」
視界に見える探査機の状態表示に温度上昇以外の重度の異常はない。あれば赤くアラートが表示されるはずだが、それ以外は、まだ注意の黄色の点滅が殆どだった。秀次に分からない不具合があっても、確認されるのは2分後だ。
やがて、ロックオンしたシグナルが点灯する。無音。表示を見た秀次はやや不安に思いながらも続行した。
「補助ロケット点火」
”補助ロケット”が小惑星に向かって飛んでいく。秀次は”補助ロケット”を視野に収めて追っていたが、バクテリオファージを拡大する。暫くして、視野の外から”補助ロケット”が飛び込んで来た。ファージに命中。爆発、四散する。
「よし!」
まるでゲーム。全て無音なのが秀次には味気ないくらいだった。
「目標を破壊」
秀次は、ほっとして、緊張がとける。椅子に体が沈み込むような気がした。
「VRリンク解除」
秀次はヘッドセットを外した。傍に海老原が居て、それを手伝った。少し目が潤んでいるが笑顔だ。近くのスクリーンに、先ほどまで秀次が見ていた光景が映し出される。チャーリーを始め、周りの者は皆、それを見つめている。
探査機の傍らを離れる、”補助ロケット”。小惑星に向かう軌道。拡大される、バクテリオファージのようなAI探査機。そして、命中。四散するAI探査機。全て、2分前に秀次が見ていた光景だった。
「おめでとうございます。ありがとうございます、遠野さん!」
拍手が沸き上がるなか、チャーリーが振り返って秀次に歩み寄ると、力強く握手した。一瞬、ハグでもされるのかと、後ろへ退いた秀次だったが、及び腰で握手した。チャーリーの背後には、AI探査機が砕け散っていく様子が映し出されていた。
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