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子供の頃に読んだ本

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子供の頃に読んだ、印象に残っている本、好きだった本について書いたことをまとめました。
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記事一覧

子供の頃に読んだ本 『非常階段/シンデレラとギャング』

 少年少女、と付く、シリーズ物の本が子供の頃には多かった。文学だったり、ノンフィクションだったり。  あかね書房という出版社は、そういうものを幾つかだしていて、子供の頃の私には馴染の出版社だった。これまでにも幾つかそうしたシリーズから取り上げている。  今回は、あかね書房の『少年少女世界推理文学全集』から、NO.16の、『非常階段/シンデレラとギャング』を紹介したい。 『非常階段/シンデレラとギャング』(コーネル・ウールリッチ:著 常盤新平:訳)  あかね書房の『少年少女

子供の頃に読んだ本 『マキオのひとり旅』

『マキオのひとり旅』(生源寺美子:著 岩淵 慶造:画)は、1973年の全国読書感想文コンクールの課題図書になっている。私の家にあったのは、銀色の丸いシールが貼られていたので、1973年に購入したものだったのだろう。ただ、私が、というか、私のために購入したもの、という記憶が無いので、姉のものだったかもしれない。 大雑把なあらすじ。  名古屋から、春休みに東京の従妹の家に来た小学三年生のマキオ。従妹のちあきと、まだ赤ん坊のちあきの弟ヒサオが、マキオを迎える。しかし、ヒサオが病気

子供の頃に読んだ本 『大きい一年世と小さな二年生』

 子供の頃に、『大きい一年世と小さな二年生』(古田足日:著 中山正美:画)という児童書が家にあって、まさやと言う、背は大きいのに泣き虫な主人公、というのが、私とダブって親近感を覚えたものだった。私も子供の頃は背の高い方で、身長で昇順に整列すると何時も一番後ろだった。図体も大きい、男の子なのにしっかりしていない、しっかりしろ、とよく言われたものだった。加えて私は、何かにつけて、長男なんだから、という枕詞付きだった。 こちらは文庫 こちらが単行本  1970年の全国読書感想

子供の頃に読んだ本 『砂に消えた文字』

 中学生の頃に読んだ本。後で書くが、舞台がイギリスのロンドンとリビアのベンガジという、ちょっと変わった組み合わせになっている。  大日本図書から昔でていた、大日本ジュニア・ブックスというシリーズのなかの一冊。大日本図書というと、最近は教科書をめぐる汚職でやらかしたというネガティブなイメージがあるが、私は他に、『月明のひとみ』(ジョセフィン・プール)とか、『過去にもどされた国』 (ピーター・ディッキンソン)を読んだ記憶がある。 『砂に消えた文字』(アン・スウェイト:著 猪熊葉

子供の頃に読んだ本 『宇宙飛行70万キロ』

 偕成社の世界のノンフィクション、という今は絶版のシリーズの第一作目。表題作は、ガガーリンに次いでソビエトで二番目に宇宙飛行士となった、ゲルマン・チトフの手記。もう一編、『超音速に挑む』というものも併録されていて、こちらは世界で初めて音速を超えた人物、チャールズ・イェーガーの物語。この本では、イーガーと表記されている。翻訳はどちらも福島正実。福島正実といえば、SFマガジンの初代編集長で、かなり癖の強い人物として有名なので、古いSFファンなら知っている人も多いだろう。挿絵は依光

子どもの頃に読んだ本 『宇宙塵版/派遣軍還る』

『宇宙塵版/派遣軍還る』 光瀬龍:著  ハヤカワ文庫(1981年4月)にて刊行。初出は、光瀬龍が所属していたSF同人の同人誌『宇宙塵』に1960年9月号~1961年9月号にかけて連載されていた。  2418年。惑星ダリヤ0より、アルテア星群域に派遣された兵団が、ようやく戦いを終えて還ってきた。しかし、空港に到着した宇宙船からは、誰一人として姿を現さなかった。到着した宇宙船はすべて無人、兵団は姿を消していた。いったい何が派遣軍に起こったのか……。  私が、ジュブナイル以外で

子どもの頃に読んだ本 『蜃気楼の少年』

 『蜃気楼の少年』は、宮崎惇(1933年6月15日生~1981年11月16日没)によるSFジュブナイル。SFファンの、SFファンによる、SFファンのためのジュブナイル。この作品を読むと、そう思わずにいられない。  主人公、小日向量平の両親は、SFファンで、SF同人誌『宇宙塵』の会員であり、伊藤典夫、野田昌宏、草下英明の各氏の名前が友人のように会話に出たり、映画『スター・ウォーズ』を見るのを楽しみにしていたりと、それほどSFに詳しくもない、なんとなくこの作品を手にしたような読者

子どもの頃に読んだ本 『コンチキ号漂流記』

 子供の頃に何度も借りて読んだ本が幾つかあるが、そのうちの一冊。ノルウェーの民俗学者、トール・ハイエルダール(ヘイエルダールとも)の、筏による太平洋横断の冒険物語と、江戸時代の日本人の漂流譚の、『太平洋日本人漂流記』がセットになっていた。  私が子供の頃に良く読んだ、あかね書房から出ていた、少年少女世界のノンフィクションというシリーズの内の一冊。同じあかね書房から出ていた、少年少女二十世紀の記録、の方は伝記や社会的な事業などが中心で、こちらは冒険や探検を扱ったものが多かった。

子どもの頃に読んだ本 『明日への追跡』

 私は、『百億の昼と千億の夜』等で有名な、光瀬龍、というSF作家が好きなのだが、この作品は光瀬龍が書いたSFジュブナイル。ジュブナイルではもっとも好きな作品の一つでもある。まず、『明日への追跡』というタイトルが良い。これだけで興味を惹かれる。  初出は、旺文社『中1時代』の1972年10月号~1973年3月号までと、『中2時代』1973年4月号~7月号までの全10回。  あらすじは、  汐見が丘中学1年生、落合基のクラスに一人の転校生が転入してきた。とりたてて変わったことの

子供の頃に読んだ本 『ウドンゲのなぞをとく』

 私が、科学好きになった、たぶん原点の本。『ファーブル昆虫記』などは、この後に読んでいる。この本は、全国読書感想文コンクールの課題図書でもあった。  全国学校図書協議会のサイトをみると、全国読書感想文コンクールの第18回、1972年の課題図書に、『ウドンゲのなぞをとく』が載っている。これまで私が子供の頃に読んだ本として取り上げたものでは、第9回の1963年に『地球は青かった(20世紀の記録)』が載っている。これは知らなかった。  『ウドンゲのなぞをとく』が課題図書だった、第1

子供の頃に読んだ本 『クマゼミの島』

 子供の頃に虫が好きなどこにでもいそうな少年だった私だが、一番好きな虫は、カブトムシでもクワガタでもなく、セミだった。  セミは、夏の訪れ、ひいては夏休みの訪れを告げる虫として、私の気持ちを高ぶらせる存在だった。小学生の頃は、不登校などにはならなかったが、学校に行くことがあまり好きでは無かった。というよりも、嫌いな方だった。進級して四月になると、夏休みまで何日、とカウントダウンするくらい、夏休みを待ち望んでいた。  私の田舎にいたセミで、一番多く鳴き声が聞かれたのは、クマゼ

子供の頃に読んだ本 『貝の科学』

 『貝の科学』は、牧書店というところから出ていた、少年少女教養文庫、というシリーズの中の一冊。著者は、阿部襄(1907年6月10日生~1980年4月22日没)という動物学者で、同じシリーズで同じ著者の『わたしの野生動物記』と共に、小学生の頃には何度か借りて読んだ本だ。1965年に出版されたようで、私が読んだのはその十年後くらいだ。  科学、とあるように、海辺の貝の観察記、というもので、戦前の話が多く書かれているのは、今となっては時代を感じるところだろう。私が読んだのも半世紀は

子供の頃に読んだ本 『まぼろしの海獣-デスモスチルス発見物語』

 偕成社の世界のノンフィクション、という今は絶版のシリーズの中の一冊。  子供の頃、最初にタイトルを見たときは、怪獣? と誤認しそうになった。実際、誤認してこの本を借りて、ウルトラマンに出てくるような怪獣を想像して、まったく違う内容に失望した、というクラスメートがいた。  海獣、うみのけもの、の方だが、これは中新世中期から後期にかけて生息したデスモスチルスという、絶滅した動物に関するノンフィクション。 まぼろしの海獣-デスモスチルス発見物語 たかしよいち:著  1880年、

子供の頃に読んだ本 『海底二万里』

 フランスの作家ジュール・ヴェルヌ(1828年2月8日生~1905年3月24日没)が1870年に発表した小説。ヴェルヌの作品は十九世紀末の当時の科学技術に基づいて書かれたものが多く、そのためSFの始祖の一人と言われている。  『海底二万里』は、そのヴェルヌの中でも人気の作品らしく、多くの出版社から、異なった名前で出版されてもいる。  海底、まではだいたいどれも同じで、旅行、二万里、二万海里、二万マイル、二万リーグ、二万リュー、などと様々な呼び方になっている。  私が最初に読