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シロップ/ショートショート

「缶詰の蓋、元に戻せる人?」

突然話しかけられたことに驚いたせいか、

それともその声が今ここにいるはずのない

坂元の声だったからなのか

わたしはびっくりして国語のテキストを跳ね飛ばし

だいきらいな折り目をつけてしまった。


高木塾の中3クラスで最後の休憩は7時55分から8時05分。

静かなフルートの調べで始まる10分間は

最も欠かせない仮眠タイムである。

塾生達が

他校の誰それに告られたことと模試の順位が落ちたことを

さも同じくらい重要であるように喋るのが鬱陶しい。

遅ればせで地域トップの高校を目指すわたしにとって

わずかであっても集中した睡眠を取ることが

深夜の3時間を支えるのだ。


いつもならばきれいに机上を片付け、

次の授業で使うテキストを角に寄せてからうつ伏せになるのに

わたしは唐突に打ち明けられた坂元と横川凪との関係が

頭にこびりつき、

腕におでこを強く押し当ててもなかなか眠れなかった。



「ねえ香帆梨、
 うちさ、
 坂元の家に泊まってるんだ。」

1限後の休憩時間、母が作ってくれたおにぎりを頬張っていたら

斜め後ろの席に座る横川凪がファミマのカフェオレを飲みながら

ひそひそ声で話しかけてきた。

「ほんとだよ?
 昨日なんて坂元のいもーとと一緒に
 こたつでみかん食べたんだから」



横川凪は胸の辺りまである髪に指を通し、

「坂元にさぁ、
 高校に合格したら
 うちから通えばって言われてるの、そしたら超楽じゃんって」

と教務ルームに目をやりながら微笑む。

「ちょっと待って凪ちゃん、
 坂元先生はもうやめたって言ってたよね?
 それに金曜の塾の後わたしと一緒に帰ったのに
 そこから坂元先生んちに行ったってこと?」


横川凪は小柄で、少し丸い。

クリスマスのお泊まり会で一緒にお風呂に入ったとき

凪は前を隠すタオルを手放さなかった。

タオルが体に張り付いている。

いかにも柔らかそうな膝をそこだけ桃色に染められるのも

横顔に張り付く幾筋の長い前髪も

全て横川凪の計算によって創り出されているといっても

おかしくないように思えた。

何もかも優秀。

模試の順位だって、3年前に凪と同じ塾に通い始めてから

一度も勝ったことがない。


そんな彼女は、いま、坂元のモノになっている。


気さくで、男子にもウケが良くて、
「合格まで全力で教えるから」って強い眼差しで励ましてくれて。
わたしがこの塾に入ったときからずっと好きだった坂元が、
凪のモノになっているんだ。



「缶詰だよ、俺のおやつ。少しずつ開けようとしたのに
 全部がばりっと剥がれちゃって。
 横川さん、元に戻せる?」

缶詰の甘い蜜が机に垂れる。

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「シロップ漏れちゃってます。あ、先生、傾けないで」


凪がごく自然にティッシュを取り出す。

坂元に声をかけられたのが自分だと、なぜわたしは思ってしまったのだろう。

わたしは不意にテキストの皺を指で伸ばした。

押さえつけていたおでこがヒリヒリとする。


腕時計を見る。

8時04分。


眠るにはもう、遅すぎる。

























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ゆうのうえん/YOKO
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