労働判例を読む#503
※ 司法試験考査委員(労働法)
【国・北九州東労基署長(TOTOインフォム)事件】(福岡地判R4.3.18労判1286.38)
この事案は、システム開発に関わる従業員Xが、うつ病・不安障害を発病したために休職し、復職後しばらく勤務した後、再度、うつ病・不安障害を発病して休職・退職した事案で、労基署Yが労災に該当しないと認定した事案です。Xは労災に該当するとしてYの判断の取消しを裁判所に求めたところ、裁判所は、Xの主張を認めYの認定を取り消しました。
1.判断枠組み
この判決は、労災の認定について非常に注目される判断を示しました。
それは、メンタルの労災認定に関する判断枠組みのうちでも、業務によって初めてメンタルを発病した場合ではなく、既にメンタルを業務外で発病していた従業員が業務によってこれを悪化させた場合の判断枠組みです。
このような「悪化」事案の判断枠組みは、従前から、原則として労災に該当しないが、例外的に「特別な出来事」に該当した場合に限って労災に該当する、というものでした。特に問題となるのは、この「特別な出来事」が、危なく死ぬかもしれないような、極めて重大な事態に直面した場合に限られている、という点です。そして、既に発病していたメンタルの影響と、業務上のストレスの影響のいずれによるものかの判断が極めて困難であること等の理由から、労災の認定基準として厚労省が採用しており、この認定基準を、多くの裁判所も判断基準として採用してきました。
すなわち、既往の業務外のメンタルが治っていた(寛解していた)場合には、初めて発病した場合の判断枠組みで判断し、治っていなかった場合には、この「特別な出来事」のある場合にだけ労災が認められることになります。既往のメンタルが治っていなかった場合には、労災認定される可能性が極めて限定的になるのです。
ところが本判決は、既往のメンタルが治っていたかどうかで形式的に異なった基準を適用するのは相当でない、という理由で、これまで一般的に採用されてきたこの判断枠組みとは異なる判断枠組みを採用しました。
それは、発病・悪化時点の「当該労働者の具体的な病状の推移、個別具体的な出来事の内容等を総合考慮した上で、業務による心理的負荷が、平均的労働者を基準として、社会通念上客観的にみて、精神障害を発病させる程度に強度であるといえ、業務に内在する危険が現実化したと認められる場合」かどうか、というものです。
つまり、初めて発病する場合と違うのは、冒頭部分、すなわち「当該労働者の具体的な病状の推移」を考慮事情に加える、という点だけで、初めてメンタルを発病した場合と同じ判断枠組みを用いる、という判断枠組みが示されたのです。
2.あてはめ
この判断枠組みに基づき、判決は労災を認定しました。
すなわち、私なりにポイントを整理すると、①既往のメンタルは治っていない(寛解していない)、②しかし、寛解に近い状態にあった、③困難なトラブル対応に一人で当たらなければならないなど、「強」程度のストレスがあった、④メンタルの悪化時期は③の時期であり、既往のメンタルの影響ではなく③の影響でメンタルが悪化したと評価できる、という判断が示されました。
もし、従前と同じ判断枠組みであれば、①によって、「特別の出来事」が必要となり、③も、いくら「強」と言っても死に直面したほど強度なものではありませんから、労災が否定されたでしょう。
けれども、上記の判断枠組みから、従前の一般的な判断枠組みに基づく評価(③)に加え、既往のメンタルの影響も考慮(④)して、労災を認定したのです。
このように、従前と異なる判断枠組みが採用されたことによって、労災認定の結論も異なった、と評価できるでしょう。
3.実務上のポイント
労働時間の認定について、毎日の労働時間を一々細かく認定できるだけの事実や証拠がないにもかかわらず、一般的な勤務状況等の間接的な事情から、平均的な勤務時間はこの程度だろう、という認定がされている点は、行政労災・民事労災のいずれでも共通して認められる判断方法です。事実や証拠が十分でないのに、原告の請求を認めるというのは、立証責任に関する原則的なルールから見るとおかしいのですが、従業員の労働時間を適切に管理すべき会社がこれを怠っていたのに、その不利益を従業員が一方的に負うことになるのは公正ではなく、このような平均的な勤務時間はこの程度だろう、という事実認定は、労災の認定の際の一般的な認定方法として、実務上、定着しているように思われます。
他方、既にメンタルを業務外で発病していた従業員が業務によってこれを悪化させた場合の判断枠組みは、他の判決では見かけないもので、これが他の裁判でも採用されるものかどうかが、今後の運用上の問題として注目されます。
さらに、労災を一時的に認定する労基署が、この判断枠組みを採用するかどうかも問題です。労基署では、裁判官のような事実認定の訓練と経験を積んだわけではない行政官が、ブレずに判断するために設定された判断枠組みに基づいて、ある程度機械的・形式的に行うことが必要であり、上記③④で示されたような柔軟な判断を、全国の労基署の行政官に求めることが難しいように思われるからです。
裁判官が必ず判断してくれるのであれば、この判決が示すように、それなりに合理性があるかもしれませんが、労基署の行政官が判断する際に、判断者ごとのブレを押さえて、公正に判断してもらえるのか、という制度上の問題も含め、労災認定の実務に、どのような影響を与えるのか、今後注目すべきポイントです。
※ JILA・社労士の研究会(東京、大阪)で、毎月1回、労働判例を読み込んでいます。
※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!