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労働判例を読む#585

今日の労働判例
【エイチピーデイコーポレーション事件】(那覇地沖縄支判R4.4.21労判1306.69)

 この事案は、ホテルなどを経営する会社Yの従業員Xが、固定残業代や変形労働時間制のルールが無効であり、実際には、出勤簿記載の時間以上に働いていたとして、未払残業代の支払いを求めた事案です。
 裁判所は、その一部を認めました。

1.固定残業代
 固定残業代について、裁判所はYの主張を認め、Xの請求を否定しました。
 固定残業代として認められるためには、何が固定残業代であるのかが特定されているだけでなく、固定残業代の原資となるべき手当が、残業代としての「対価性」を有することが必要、と評されることがあり、そのことを示したのが、「熊本総合運輸事件」(最二小判R5.3.10労判1284.5、24読本194頁)である、とされます。この最高裁判決の事案では、本事案と異なり、残業代の原資とされたのが、水揚げに応じて定まる成果給のような、金額が定まっていない手当であり、本事案にその判断がそのまま適用されるべきかどうか、議論の余地がありますが、本判決はこの点について特にこの最高裁判決に言及することなく、しかし「対価」と言えるかどうかについて検討し、対価性を肯定しています。
 したがって、成果給のような変動する手当を原資にする場合と、本事案のように金額が固定されている手当を原資にする場合とで、同じ「対価性」が議論されているようにも見えます。
 けれども本事案では、金額が固定されて残業代の原資であることが明示されていること以外に、「対価性」を裏付けるべき具体的な理由が見当たらないのに、比較的容易に「対価性」が認められており、金額が固定されている場合とそうではない場合とで、基準や評価が違う、という評価も可能でしょう。
 さらに「特定性」については、【久日本流通事件】(札幌地判R5.3.31労判1302.5)が、労働時間と無関係に決まる手当について、労働時間と無関係だから、会社が労働時間を把握しなくてもよく、残業抑制という労基法37条の趣旨に反する、という趣旨から対価性が否定される、という内容の判断をしています。もしこの考え方を推し進めれば、本事案のような、金額が固定されている固定残業代の場合でも、会社の残業削減努力を阻害する、と言えなくもありません。固定残業代でキャップが決まると、それを超えない限り残業を減らそうという意欲が生じない、と評価できるからです。そうすると、この「久日本流通事件」の理論を推し進めれば、変動するかどうかにかかわらず、固定残業代は全て否定されることになりかねないのです。
 このように、固定残業代がどのような場合に認められるか、という点は、そもそも固定残業代が認められるのか、という部分まで含めた議論に発展してしまう余地があり、ルールとしてみると、(この事案では固定残業代として認められましたが)いまだに不安定な状況にある、と考えられます。

2.変形労働時間制
 他方、変形労働時間制について、裁判所はYの主張を否定し、Xの請求を肯定しました。
 変形労働時間制の適用されるために必要な要件、特に、事前にシフトが定められていること、あるいはシフトの定め方が事前に定められていること(より詳細な条件が定められていますが、その点の検討は省略します)について、現場に任せる旨の規定しかなく、この要件が満たされない、というのがその理由です。
 変形労働制について、固定残業代と同様、従業員の労働時間の管理が柔軟になる、と簡単に考えている経営者がいます(実際に、印象だけでそのように話す方々がいました)が、変形労働時間制の適用が否定された裁判例も、ときどき見かけるようになりました。労働時間の管理を不要としたり軽減したりすることが目的の制度ではありませんので(副次的にはそのような効果が得られるかもしれませんが)、制度の導入・運用に際し、適切に行われるよう、社労士や弁護士と相談・確認する必要があります。

3.実務上のポイント
 本事案では、Xの勤務時間も問題になりました。特に、Yが作成している出勤簿の記載をベースにするか、Xが毎日出退勤時間を記録していたとするノートの記載をベースにするか、が最大の問題とされましたが、裁判所は、一方当事者のXが個人的に作成しているので「証拠の体裁等においても類型的に信用性が高いものとはいえない(ものの、)」として、決して積極的な評価をしているわけではありませんが、ノートの記載をベースにしました。
 その理由として、例えば深夜のフロント業務の勤務実態に、ノートの記載の方がマッチするなど、他の客観的な証拠や事実、勤務実態に、ノートの方がよりマッチすること、他方、出勤簿について、実際の出退勤の時間と異なる時間の記載を指示されたり、Yが裁判所に提出した出勤簿の記載などが、真実性に疑いを抱かせる(例えば、上司などの印影のあるものとないものがあったり、当初、残されていないとされていた資料が後から提出されたり、確認のために必要な原本が示されなかったりした事実が、指摘されています)点が指摘されています。
 勤務時間の認定について、会社側の記録ではなく、従業員が個人的に作成した記録がベースとされる裁判例は、実際にいくつか存在しますが、本判決は、なぜ個人的に作成した記録がベースとされるのかについて、詳細な検証と理由が示されており、どのように労働時間を記録すべきなのかなど、実務上、非常に参考になります。

※ この連載が、書籍になりました!しかも、『労働判例』の出版元から!


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