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小林秀雄もすべてを言った⑫ー『感想』から流れる「主調低音」から①ー小林秀雄と理論物理学とマルクス主義ー
小林秀雄を批判し、「科学」をその批判の根拠にしながらも、小林秀雄の科学的精神を批判できるほどに科学的であるのか疑わしいものを目にするとき、私には、戦前のマルクス主義も、戦後の社会科学もともに、ニュートン的な古典物理学のパラダイムのなかで科学を振り回していただけのように見えることがある。
また、それらの批判は、小林秀雄を批判するにはあまりにも古い科学主義に留まっていたために、小林秀雄には届かなかったようにも見える。
小林秀雄の批評の本質は科学批判にも在るように私には思われる。
小林秀雄の批評は、古典物理学の危機とその克服としての相対性理論や量子力学と同じ意味を持ち、それは、マルクス主義という原理的、体系的、実践的な思想と対決するために極めて原理論的なものとなっていたではないだろうか。
私たちは、マルクス主義者や古典物理学者がそうであったように、その理論の裡に、私たち自身の存在も含まれているということ、つまり観測者が観測対象から独立した存在であるという前提を疑うことを忘れがちである。
小林秀雄の批評は、小林自身の思考の徹底性の結果であり、私たちに今なお多くを教えてくれるのではないだろうか。
さて、『感想』は、雑誌「新潮」に1958年から約5年間、合計56回にわたり連載され、最終回は「未完」のまま、
「ベルクソンの仕事は、この経験のユニテ(一貫性)に基くのであり、彼の世界感の軸はそこにある。
ユニテに到達するのではない。
ユニテから身を起こすのだ」
という文章のあと「つづく」と書かれたまま終わっている。
ここで小林秀雄が、あるいはベルクソンが「哲学」というのは、「科学」に対立するものとしての哲学のことであろう。
小林秀雄は、『感想』のなかでかなり詳しく科学史(物理学史)、所謂20世紀の「物理学の革命」について論じている。
小林秀雄の批評の理論的な背景に物理学の理論があることは注目に値することであろう。
しかしながら、小林秀雄が、ランボーやドストエフスキーに熱中することは自然であり、モーツァルトやセザンヌやゴッホに熱中することも理解できるように思うが、理論物理学に熱中していたということは、なかなか理解の出来ないことのように私には思われる。
なぜ、理論物理学なのか。
何が、小林秀雄と理論物理学を結びつけたのか。
小林秀雄にとって理論物理学とは、どのような意味を持っていたのであろうか。
これらの問題を考えるとき、小林秀雄の著作から一貫して流れる「主調低音」のなかに、小林秀雄における「知的クーデター」とでも呼ぶべき、思考様式の革命という問題が、聞こえてくるようである。
小林秀雄は、文学の世界で小説のパラダイムから、批評のパラダイムへのパラダイムチェンジを生きた人であり、このパラダイムチェンジは、理論物理学の世界における「古典物理学」のパラダイムから、「相対論」や「量子論」のパラダイムへの変換とほぼ並行するものだろう。
小林秀雄の批評は、アインシュタインの「相対性理論」の出現と、ハイゼンベルグたちの「量子物理学」の出現とに代表される、かつてない大きな20世紀の「科学革命」という歴史的状況の中から生まれてきたものであろう。
したがって、「批評家小林秀雄」の誕生という、近代日本文学史上の大きな出来事もまた、文学の内部ではもちろん、外部で起こった出来事なのであろう。
小林秀雄は、物理学という先端の科学を知りながらも、敢えて、科学かぶれの科学主義者としては振る舞わなかったので、小林の批評はわかりにくい点がある、と言われてしまうのかもしれない。
小林秀雄が量子物理学に興味を持つに至っだ理由は、アインシュタインにみられるような、理論物理学における「矛盾」をも恐れない過激な思考力の展開のためではないかと私には思われる。
つまり、「その学問の成立根拠を否定し、解体することをも恐れない物理学」における革命的な情熱に対して、小林秀雄は、心動かされたのではないだろうか。
アインシュタインをはじめとして、一連の「物理学の革命」の推進者たちは、単に科学的だったわけでも、科学主義的だったわけでもなく、ただ徹底して考える人であり、小林はそこに興味を持ったのではないだろうか。
小林秀雄は、よく「非合理主義者であり、反科学的な思索家」と思われることがあるが、それは、「科学主義」的でなかったことが影響しているのであろう。
だからこそ、「批評家小林秀雄」誕生のドラマが、20世紀初頭の「物理学の革命」のドラマと密接な関わりがあるとは思われず、小林秀雄と理論物理学という問題は、あまり問題にされていないようである。
しかし、実際にこれは極めて重要な決定的な意味を持つ問題であったのではないだろうか。
小林秀雄という批評家の思考様式は、「物理学の革命」が在ることを抜きにして、解明することは出来ないだろう。
たとえば、小林秀雄は数学者岡潔との対談である『人間の建設』のなかで、執拗に理論物理学に言及しているのだが、小林は、
「新式の唯物論哲学などといものは寝言かもしれないが、科学の世界では、なんとも言いようのないような物質理論上の変化が起こっているらしい」
と述べている。
つまり、小林秀雄は、「物理学の革命」の問題を「物質理論上の変化」として、正当に、しかも原理的に受け止めているのである。
小林秀雄の思考スタイルに決定的な影響を与えたものは、物理学における「なんとも言いようのないような物質理論上の変化」であったのではないだろうか。
つまり、近代物理学(ニュートン的古典物理学)から現代物理学(相対性理論、量子力学)への変換がもたらした物質観、存在観の変容という「物理学の革命」の問題が、小林秀雄の力強く、断定的な批評を可能にしたのではないだろうか。
小林秀雄の自信に満ちたマルクス主義批判を可能にしたのも、この「物理学の革命」に対する意識であろう。
「物理学の革命」という見地から見れば、新式の唯物論哲学も、古くさい古典物理学に依拠した「科学主義」にしか見えなかったのであろう。
したがって、小林秀雄は、マルクスを巧みに利用はしたが、マルクスの理論を基にして、その批判理論を確立したわけではない。
小林秀雄がマルクスを巧みに利用したのは、マルクス主義やマルクス主義的文学運動を批判するための必要からであったようである。
小林秀雄は、マルクス主義やマルクス主義的文学運動は批判しているが、マルクスおよびマルクスの思想そのものを批判はしていない。
逆に、マルクスの思想は「正しい」と言い切っている。
例えば、大学時代の小林秀雄について、中島健蔵は、小林秀雄全集の付録におさめられたエッセイである『バラック時代の断片』のなかで、
「三年のころには、小林秀雄とも時々話をするようになったが、彼の態度ははっきりしていた。
左翼思想について、こちらが割り切ることができず、もたもたしていると、彼は、こんなことをいった。
『マルクスは正しい。
しかし、正しいというだけのことだ。
それはなんでもないことだ。』
わたくしには、小林の言葉の意味がよくわからなかった。
大ていの芸術派は、マルクスを否定していたが、小林は、あっさりと、『マルクスは正しい』という」
と述べている。
小林秀雄にとって、マルクスの提起した問題は、ある意味では、既に解決済みの問題であったようである。
つまり、小林秀雄は、既に「物理学の革命」という問題、つまり、新しい物質理論であり、科学理論に影響を受けていたようなのである。
小林秀雄は『アシルと亀の子』のなかで、マルクスの思想を要約して、
「マルクスの分析によって克服されたものは経済学に於ける物自体概念であると言える。
与えられた商品という物は、社会関係を鮮明にする事に依って、正当に経済学上の意味を獲得した」と言い、
「商品という物の実体概念を機能概念に還元する事に依って、社会の運動の上に浮遊する商品の裸形が鮮明された」
と言っているのである。
この「実体概念」から「機能概念」への転換は、実は「物理学の革命」においても起こったことである。
つまり、「物」を中心とする古典物理学が「場」を中心とする相対性理論や量子論によって克服されてゆく物理学の革命という事実から、小林秀雄は、この転換を学んだのであろう。
吉本隆明や柄谷行人たちにより、マルクスの読み方においては、マルクス主義者たちよりもむしろ小林秀雄の方が正しい読み方をしていたと言われているが、それは小林秀雄が物理学における「パラダイムの転換」という事実を通じて、マルクスにおける「パラダイムの転換」を読むことが出来たからではないだろうか。
「マルクスは正しい」と言いきれる小林秀雄は、マルクス的認識の一歩先を歩んでいたようである。
マルクス主義の崩壊は、直接的には、権力の弾圧によって起こったが、それだけではなく、マルクス主義が、科学を自称しながらも、十分に科学的ではなかったから、崩壊したのかもしれない。
また、ロシア・マルクス主義的な唯物論にあっては、長い間、アインシュタインの相対性理論は、科学理論として認められていなかったようである。
それは、アインシュタインの理論が、マッハ哲学の影響下に誕生したためであろう。
レーニンが『唯物論と経験批判論』でマッハを徹底的に批判しているという時代背景からもわかるように、マルクス主義者たちは、マッハ哲学を認めないのと同時に、アインシュタインの「相対性理論」をも認めようとしなかったのである。
マルクス主義が、20世紀の科学革命を無視した上で、「科学」ではなく、単なるイデオロギーであることが明らかになったとき、マルクス主義の力は急速に衰弱したのだろう。
小林秀雄は、湯川秀樹との対談『人間の進歩について』のなかで、
「二十世紀の科学の大革命が一般思想の上に大きな影響を与えたという事は承知していますが、何しろ事がいかにも専門的なものでね」
と述べた上で、
「ブルジョア文学者は偶然論がどうのこうのと愚にもつかぬ文章を書いていた。
左翼文学者は、政治にばかり目を奪われて一向科学なんかに好奇心を持たぬ。
古くさい唯物論をかかえて最近の科学の進歩はブルジョア的であるなどと言っておりました」
と述べている。
日本のマルクス主義者たちも、科学に興味を持っていたし、また科学的であることをその思想や文学の根本においておさえていた。
しかし、マルクス主義者たちが、マルクス主義という「科学」に固執していたのに対し、小林秀雄は、「科学そのもの」に直接、接近していったのである。
小林秀雄は、自然科学、とりわけ物理学が絶対的に、客観的な真理を体現しているとは思ってはいなかったようである。
小林は、むしろ、物理学がいかに基礎論という部分では、不安定な、相対的なものでしかないか、という点に目を向けていたように私には、思われる。
小林秀雄が合理的な思索家であるということは、小林秀雄の思索に矛盾がないということではなく、むしろ小林秀雄が矛盾に満ちた文学者であること示していよう。
それは、小林秀雄が合理的だから抱え込んだ矛盾ではなく、小林秀雄が矛盾に逢着することをも怖れないほど過激な合理主義者であったからこそ逢着した矛盾であり、小林秀雄は合理主義者に甘んじるにはあまりに合理精神を所有していたのだろう。
つまり、真の合理主義は合理主義とイデオロギーに安住することは出来ず、合理主義をもひとつの非合理主義と断罪するに至るのであろう。
小林秀雄のデカルト解釈は、そのまま、小林秀雄自身の思考のスタイルについても当てはまるように、私には、思われる。
小林秀雄は、デカルトについて『常識について』のなかで、
「合理主義者デカルトという言葉は、実に怪しげな、というより万事につけ高をくくりたがる人々の好む嫌な言葉です。
彼は、出来るかぎり合理的に考え、合理的に生きようと努めた人であったが、これは、彼が合理主義者であったことを意味しはしない」
と述べているのだが、小林秀雄もまた、「出来るかぎり合理的に考え、合理的に生きようと努めた人」であったのではないだろうか。
それが、結果的に、世間ら、合理主義と呼ばれようと、非合理主義と呼ばれようと、問題ではなかったのかもしれない。
私たちは、しばしば、矛盾に直面しない思考が合理的思考であり、矛盾をはらむ思考は非合理的思考である、と思い込んでいるが、これは逆であろう。
例えば、ポアンカレは、今日の記号論理学の基礎を築いたラッセルが、カントールに始まる集合論のなかに、自己自身を含む集合のパラドックス、いわゆる「ラッセルのパラドックス」を見出したとき、ポアンカレ自身はしばしば数量論理学の非生産性を攻撃していたにも関わらず、
「もはや、それは非生産的なものではない、ちゃんと矛盾があるではないか!」
と大喜びで叫んだといわれている。
「ラッセルのパラドックス」の出現に、フレーゲが「代数はぐらついているのだ」と、途方に暮れたのに対して、ポアンカレは、大喜びで矛盾の発見を讃えたのだが、それは、矛盾の発見が論理学に新しい地平をもたらすであろうことを確信したからではないだろうか。
これまで、「非合理主義者」、「独断家」と言われることも少なくなかった小林秀雄だが、文学や思想の世界において、やはり小林秀雄は、極めて合理的な思索家であり過激なまでの合理主義者でさえあるように私には思われる。
また、合理主義者としての小林秀雄の思考の問題を考えるとき、小林秀雄が、非合理主義者または独断家と言われるのは、小林秀雄の合理主義が、いわゆる合理主義という世界的地平を容易に突破するような、ラディカルな合理主義であるからであるように思われる。
もしかすると、合理主義者とは、合理主義という思考のパラダイム、言い換えれば、思考の歴史的制度から抜け出せない人のことを指すのかもしれない。
思考の合理性は、ときに、思考の合理的体系を突破し、解体せしめるように機能するのだろう。
矛盾に直面しない思考が合理的なのではなく、徹底して合理的な思考は矛盾を避けられないことを考えると、小林秀雄が本居宣長について、江藤淳との対話『歴史について』のなかで、
「言うことが矛盾しなければならんように、その人は、それだけ深く考えていたということだってある。
もう少し手前で考えを止めれば、なにも矛盾しなくてもよかった。そういうことだってある。
考え詰めると矛盾が起こる、そういう構造が頭脳にある、そう考えたっていい。
宣長は、自分で知っていてやったんですよ。
馬鹿だから矛盾したわけじゃない。
あの人は、非常に明瞭な露骨な形で、矛盾を表したけれども、これは本物の思想家ならどんな思想家にもあるものなんです」
と述べていることが、実に興味深く思われる。
ここで、小林秀雄は、「矛盾」を肯定的に把握しているようであり、また小林秀雄の特異性は、この「矛盾」の考え方の特異性にあるようである。
しかし、小林秀雄がここで語っていることは、さほど風変わりなことではなく、数学や論理学、そして物理学などの分野においては、自明なことであろう。
矛盾の発見が、新しい知的革命をもたらし、矛盾の発見が、学問の発展を推進するこれらの分野では、「ラッセルのパラドックス」の場合のように、そこから20世紀の数学や論理学の最も重要な部分がはじまったようである。
このパラドックス、つまり「矛盾」を解決するために、形式主義、論理主義、直観主義という新しい数学が始まり、同じように物理学における相対性理論や量子論もニュートン的な古典物理学のなかに矛盾を見出し、その矛盾を解決することによって確立されたのではないだろうか。
ヘーゲルも、『哲学史講義』のなかで、弁証法が「ゼノンのパラドックス」から始まったといっている。
このように、「矛盾」は一概に否定されるものではなく、むしろ「矛盾」は、小林秀雄が言うように「本物の思想家ならどんな思想家にもあるもの」ではないだろうか。
小林秀雄は、「矛盾」に逢着することにより、「小説家小林秀雄」に挫折したが、その「矛盾」を生きることによって、「批評家小林秀雄」が誕生したのだろう。
さて、「矛盾」に逢着することをも恐れない合理主義者である小林秀雄の逢着した「矛盾」とは、単なる文学の領域のなかだけの矛盾では無く、ニュートン的古典物理学が19世紀末に逢着した矛盾と同じ種類の矛盾、つまり、ニュートンに始まる古典物理学がアインシュタインの相対性理論によって相対化され、さらにハイゼンベルグやニールス・ボーアらの量子物理学によってその根底を脅かされた、いわゆる20世紀の科学革命を通底する「矛盾」ではないだろうか。
小林秀雄は、科学者ではないし、小林秀雄自身がその矛盾を発見したわけではないが、私たちは、小林秀雄と物理学の関係を単なる類似性だけで語れはしないし、小林秀雄の批評が偶々、物理学の問題と同じような問題を内包していただけだと言うことなど出来ないであろう。
小林秀雄の思考の基礎的な部分には、物理学が在り、その批評の強さもそこに在り、私たちは、小林秀雄的な思考を辿る際、この物理学の問題を避けることは出来ないようなのである。
小林秀雄の用語や文体を模倣する人たちが、小林秀雄になることが出来ないのは、小林秀雄が物理学のなかに見出した理論的なものの徹底性が欠如しているからかもしれない。
小林秀雄のベルクソン論である「感想」は、合計56回におよぶかなりの長辺である。
ベルクソンの『物質と記憶』における物質論の延長上として、49回目から物理学の問題が前面に出てくる。
ベルクソンもまた、科学や物理学と深い関わりを持った哲学者であるため、小林秀雄がベルクソン論である「感想」のなかで、物理学の問題に言及することはごく自然なのだが、小林秀雄の物理学に対する分析はやはり大きな意味を持っているように思われる。
小林秀雄が「感想」のなかで、物理学の問題に論を進めたのは、ベルクソンという哲学者が、物理学の問題と深い関係にあり、その哲学的思索において、絶えず「科学」を論じ、「科学」を分析・解明してきた哲学者だったからであろう。
ベルクソン哲学は、「科学批判」の哲学であると言うことが出来、また、ベルクソンは、科学における思考は、分析的・空間的思考であり、それにかわって、直観による持続の認識が哲学の思考であると考えたようである。
ベルクソンは、近代科学の成功により一般化した、分析的・実証主義的な思考を批判し、科学に対して哲学の復権を主張した哲学者であり、科学の成功やその成果を十分に認めた上で、批判するにあたり、徹底して科学を研究し、科学を自分のものにしようとした哲学者である。
ベルクソンには、アインシュタイン論である『持続と同時性』があるが、アインシュタインの批判を受けたことなどから、絶版にしてしまっている。
小林秀雄が、ベルクソン論である『感想』を未完のまま打ち切りにし、本にして出発することも、全集に入れることもしなかったことと、奇妙な一致を示しているようだが、このことについて小林秀雄は、ベルクソン論である『感想』のなかで、
「今世紀に這入って始まった科学の急激な革命は、恐らくベルクソン自身にも驚くべき事だったのであり、そこからアインシュタインの『特殊相対性理論』に関するベルクソンの誤解、つづいて、自著『持続と同時性』の絶版が起こったが、これについては、いずれ触れねばならない。
当面の問題は、彼の予想の或る意味での的中なのだが、これは、『一般相対性理論』がもたらした純粋に幾何学化された世界像、世界の構造の、誰も予想しなかった計量的完成、ベルクソンの言う、『ニュートン力学の前進が、遂に到達した、デカルトのメカニズムの完全な証明』を超えたところにあったからだ」
と述べている。
ベルクソンが念頭に置いていた「科学」は、主として近代科学といわれるものであり、いわゆる20世紀の科学革命を含んではいなかったようである。
ベルクソンが、当時起こりつつあった「物理学の革命に深い関心」を寄せることは自然なことかもしれない。
ベルクソンの予想をはるかに超えるような革命が、物理学の世界に起こった事実は、小林秀雄が言うように、ベルクソンの予想が的中したといえるかもしるないが、それだけではないようである。
小林秀雄は、ベルクソンを通して、また、小林独自の仕方で、物理学に接近していったようである。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
※見出し画像は、マグリットの『複製禁止』です。
「鏡が鏡像を返す」というアタリマエを覆すように、ボードの上に置かれている本は正しく鏡に反映しているのに対して、鏡の前に立っている人物は後ろ向きのありえないイメージとなっています。
この人物だけが、光学の法則の埒外にいるのでしょう。
「鏡が鏡像を返さない」ことは、私たちの認識を足元から揺るがせ不安を喚起するでしょうが、私たちは、それほど「アタリマエとしていることが、なぜアタリマエなのか」考えずに生きているのでしょう。
そのことをマグリットはこの作品を通じて私たちに教えてくれているように私には思われます😌