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小林秀雄とマルクスと理論物理学②-小林秀雄と柄谷行人と吉本隆明にとってのマルクス⑤-

小林秀雄は、マルクスを巧妙に活用はしたが、影響というものは受けておらず、さらに、小林秀雄にとって、マルクスの提起した問題は、ある意味では、既に解決済みの問題であったように見える。

つまり、小林秀雄は、マルクスを読む以前に、すでにマルクス以外のものに決定的な影響を受けていたように、私には、思われる。

それはおそらく、亀井秀雄が言うように、フランス象徴主義からの影響だけでは、小林秀雄が、昭和初期に、文学的にだけではなくて、思想的な次元において果たした役割、つまり、マルクス主義批判、プロレタリア文学批判といった側面を説明しきれないだろう。

そして、「科学としてのマルクス主義」を批判するために小林秀雄に必要だったものは、象徴主義の文学理論ではなく、新しい物質理論であり、科学理論であったのだろう。

たとえば、小林秀雄は『アシルと亀の子』のなかで、マルクスの思想を要約して、

「マルクスの分析によって克服されたものは経済学に於ける物自体概念であると言える。
与えられた商品という物は、社会関係を鮮明にする事に依って、正当に経済学上の意味を獲得した。
商品という物の実体概念を機能概念に還元する事に依って、社会の運動の上に浮遊する商品の裸形が鮮明された」
と言っている。

この「実体概念」から「機能概念」への転換は、実は「物理学の革命」においても起こったことである。

つまり、「物」を中心とする古典物理学が「場」を中心とする相対性理論や量子論によって克服されてゆく物理学の革命という事実から、小林秀雄は、この転換を学んだのであろう。

吉本隆明や柄谷行人たちにより、マルクスの読み方においては、マルクス主義者たちよりもむしろ小林秀雄の方が正しい読み方をしていた、と言われているが、それは、小林秀雄が物理学における「パラダイムの転換」という事実を通じて、マルクスにおける「パラダイムの転換」を読むことが出来たからではないだろうか。

「マルクスは正しい」と言いきれる小林秀雄は、マルクス的認識の一歩先を歩んでいたようである。

確かに、マルクス主義の崩壊は、直接的には、権力の弾圧によって起こったが、それだけではなく、マルクス主義が、科学を自称しながらも、十分に科学的ではなかったから、崩壊したのかもしれない。

また、ロシア・マルクス主義的な唯物論にあっては、長い間、アインシュタインの相対性理論は、科学理論として認められていなかったようである。

それは、アインシュタインの理論が、マッハ哲学の影響下に誕生したためであろう。

レーニンが『唯物論と経験批判論』でマッハを徹底的に批判しているという時代背景からもわかるように、マルクス主義者たちは、マッハ哲学を認めないのと同時に、アインシュタインの「相対性理論」をも認めようとしなかったのである。

マルクス主義が、20世紀の科学革命を無視した上で、「科学」ではなく、単なるイデオロギーであることが明らかになったとき、マルクス主義の力は急速に衰弱したのだろう。
小林秀雄は、湯川秀樹との対談『人間の進歩について』のなかで、
「二十世紀の科学の大革命が一般思想の上に大きな影響を与えたという事は承知していますが、何しろ事がいかにも専門的なものでね」
と述べた上で、
「ブルジョア文学者は偶然論がどうのこうのと愚にもつかぬ文章を書いていた。
左翼文学者は、政治にばかり目を奪われて一向科学なんかに好奇心を持たぬ。
古くさい唯物論をかかえて最近の科学の進歩はブルジョア的であるなどと言っておりました」
と述べている。

日本のマルクス主義者たちも、科学に興味を持っていたし、また科学的であることをその思想や文学の根本においておさえていた。
しかし、マルクス主義者たちが、マルクス主義という「科学」に固執していたのに対し、小林秀雄は、「科学そのもの」に直接、接近していったのである。
小林秀雄は、自然科学、とりわけ物理学が絶対的に、客観的な真理を体現しているとは思ってはいなかったようである。
小林は、むしろ、物理学がいかに基礎論という部分では、不安定な、相対的なものでしかないか、という点に目を向けていたように私には、思われる。

しかし、多くのマルクス主義者たちは、科学的真理を絶対的な真理と見なし、それに批判的なものを反科学的だとか非合理的だとか言って批判しており、念頭には、18世紀以前の近代科学、つまり古典物理学を前提とする価額像を置いていたようである。

また、彼ら/彼女らには、科学的認識それ自体もまた、歴史的な相対的な概念に過ぎないという問題はあらわれてこなかったようである。

科学と科学主義的は同じではなく、真にラディカルな創造的な科学者は、科学が普通、妥当な絶対的に確実な土台の上に築かれた学問だとは思っていないだろう。

そう思うのは、科学の「基礎」や「根拠」を問うことはせず、盲目的に科学を他の分野に応用することだけを考えているような科学主義者であろう。

小林秀雄が絶えず批判したのは、科学主義であり、科学そのものではないだろう。

科学は決して科学主義的ではない。

科学者は科学主義が無効になるとき、科学者になるのかもしれない。

例えば、湯川秀樹は、『人間の進歩について』のなかで、
「結局直感しかない。
いろいろ理屈は言っているようだが、結局直覚しかない」と言い、そして、
「自然科学などの場合には、別に自分が、何々主義者であるということは、考える必要は実際ない。
ここに物理学の問題があるとすると、その問題をどんな方法でもいいから解決して、新しい理論体系をつくることができればいい」
とも言っている。

本当に創造的な科学者は、科学主義というような便利な思考法には頼らず、結局直覚に頼るのであろう。

科学者の思考も、芸術家の思考とほとんど変わらないようである。

科学も芸術も等価であり、どちらがどちらより本質的であるというわけでもないことを、科学主義者はよくわかっていないようにも思われる。

さて、小林秀雄の『感想』が、量子論の問題を中心に展開しているように、小林秀雄の関心は、相対性理論よりも量子論にあるようである。

物理学には、物質の究極の単位を突き止めるというところがあるのであろうが、量子論が明らかにしたのは、そのような究極の要素は存在しないという事実だったのではないだろうか。

ギリシャ以来の原子論では、宇宙や物質は、いくつかの要素から成ると考えられており、それは、19世紀末まで変わらない前提だったようである。

物理学は、そのような前提から究極の要素を求めて、様々な実験や思考を繰り返し、その結果、次々に、ミクロの世界の神秘が解明されてきたのかもしれない。

量子論と呼ばれる20世紀の新しい物理学は、ギリシャ以来の原子論を単純に容認し、進化させてきたのではなく、ギリシャ以来の原子論的な思考そのものに変換を迫ったように見える。

小林秀雄が、量子論にこだわる理由は、量子論が、物質の究極の要素を探求する過程で従来の認識論の基礎原理の革命を行ったからではないだろうか。

このことについて、小林秀雄は、『感想』のなかで述べている。

次回は、そのあたりから描いてみたいと思う。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

次回は、小林秀雄のベルクソン論である『感想』を念頭に置きつつ、物理学の革命のあとを辿ってみたいと思います😊

よろしくお願いいたします😊

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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