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小林秀雄とマルクスと理論物理学-小林秀雄と柄谷行人と吉本隆明にとってのマルクス④-
小林秀雄が理論物理学に興味を持つに至った理由は、たぶん、アインシュタインの例に見られるような、理論物理学における「矛盾」を恐れない過激ともいえる思考力の展開のためであろう。
つまり、その学問の成立根拠を否定し、また解体することさえも恐れない「物理学」の革命的な情熱に対して、小林秀雄は感動したのかもしれない。
アインシュタインをはじめとして、一連の「物理学の革命」の推進者たちは、単に科学的であったわけでもなく、無論、科学主義的であったわけでもなく、徹底して考える人たちであったのだが、小林秀雄はそこに、興味を持ったのではないだろうか。
小林秀雄は、よく、非合理主義者であり、また反科学的な思索家と思われているが、小林秀雄こそ、むしろ厳密な意味において科学的であったたのだろう。
ただ、小林秀雄は、「科学主義」的でなかっただけであろう。
いまだに、小林秀雄という批評家誕生のドラマが、20世紀初頭の「物理学の革命」のドラマと密接な関係があることをあまり知られていないほど、「小林秀雄と理論物理学」という問題は、これまでほとんど問題にされてこなかったようである。
これは実際には、極めて重要な意味を持つ問題にもかかわらず、大岡昇平を除いて、ほとんどの人にとって語るに値しない問題だったのだろう。
小林秀雄という存在の秘密は、「物理学の革命」という問題を抜きにしては、到底、解明することは出来ないように、私には、思われる。
無論、ボードレール、ランボー、ヴァレリーといったフランス象徴主義の影響や、亀井秀雄の指摘するマルクス主義の影響、あるいは、江藤淳の指摘する青年期の交友関係や生活状況の影響などもあるのである。
ただ、小林秀雄という存在の核心、つまり小林秀雄という批評家の思考様式を考えるとき、「物理学の革命」という問題は重要だと思うのである。
小林秀雄という批評家の思考内容よりも、その思考様式を決定したものを探すとき、「物理学の革命」の問題が浮かび上がってくることが、小林秀雄と数学者岡潔との対談である「人間の建設」のなかで、執拗なまでに言及している小林秀雄の姿からも、わかるのではないだろうか。
岡潔が
「さすがに小林さんは理論物理学も相当に御研究なさっている」
と言ったのに対して、小林秀雄は、
「とんでもないことです。
私は若い頃にそういうことを考えたことがあるのです。
アインシュタインか日本に来たことがありますね。
あのころはたいへんはやったわけです。
このはやり方というのも実に不思議でして、そのとき一高におりましたが、土井さんという物理の先生が、『絶対的世界観について』という試験問題を出したのです。
無茶ですよ、ぼくは何もわからないから白紙で出しましたが、それほど流行ったわけです。
それから暫くたって、ぼくは感じたのです。
新式の唯物論哲学などというものは寝言かも知れないが、科学の世界では、なんとも言いようのないような物質理論上の変化が起こっているらしい。
そちらのほうは本物らしい、と感じて、それから少し勉強しようと思ったのです。
そのころ通俗解説書というものがむやみと出ましたでしょう」
と答えている。
この岡潔との対談は昭和40年になされているのだが、ここで着目したいのは、小林秀雄が一高の時代、つまり、大正11年にアインシュタインが来日したという事実である。
当時、小林秀雄は、21歳であったのだが、アインシュタインの来日が、小林秀雄をはじめ、当時の日本人にどのような影響を及ぼしたのかを、小林秀雄のことばはよく物語っているように思う。
金子務は『アインシュタイン・ショック』のなかで、
「第一次世界大戦によって戦火が『世界的』になったと思ったら、戦後は、相対性理論がたちまち「世界的」になった」
と述べている。
このように小林秀雄は、アインシュタイン・ブームに沸きかえる時代に、その青年期を過ごし、「アインシュタイン・ショック」を深刻に受け止めた者のひとりであった。
この時の「アインシュタイン・ショック」が小林の批評の本質の一部を形成し、小林が、後年、物理学に熱中する原因のひとつに、なったのではないだろうか。
岡潔との対談で、小林秀雄は、もうひとつ重大な問題を指摘している。
それは、小林秀雄が、新式の唯物論哲学などというものは寝言かも知れないが、科学の世界では、なんとも言いようのないような理論物理学上の変化が起こっているらしい」
と言っており、「物理学の革命」の問題を「物質理論上の変化」として、正当に極めて原理的に受け止めていた点である。
小林秀雄の思考スタイルに決定な影響を与えたものは、物理学における
「なんとも言いようのないような理論物理学上の変化」であったのではないだうか。
つまり、近代物理学(ニュートン的古典物理学)から現代物理学(相対性理論、量子力学)への変換がもたらした物質観、存在観の変容という「物理学の革命」の問題が、小林秀雄の力強く、断定的な批評を可能にしたのではないだろうか。
小林秀雄の自信に満ちたマルクス主義批判を可能にしたのも、この「物理学の革命」に対する意識であろう。
「物理学の革命」という見地から見れば、新式の唯物論哲学も、古くさい古典物理学に依拠した「科学主義」にしか見えなかったのであろう。
亀井秀雄は、『小林秀雄論』のなかで、小林秀雄は、その批評理論をマルクスとマルクス主義から学んだと言っているようだが、私は、そうは思わない。
私は、小林秀雄は、マルクスを巧みに利用はしたが、マルクスの理論を基にして、その批判理論を確立したわけではないと、思う。
小林秀雄がマルクスを巧みに利用したのは、マルクス主義やマルクス主義的文学運動を批判するための必要からであったようである。
小林秀雄は、マルクス主義やマルクス主義的文学運動は批判しているが、マルクスおよびマルクスの思想そのものを批判はしていない。
逆に、マルクスの思想は「正しい」と言い切っている。
たとえば、大学時代の小林秀雄について、中島健蔵は、小林秀雄全集の付録におさめられたエッセイである『バラック時代の断片』のなかで、
「三年のころには、小林秀雄とも時々話をするようになったが、彼の態度ははっきりしていた。
左翼思想について、こちらが割り切ることができず、もたもたしていると、彼は、こんなことをいった。
『マルクスは正しい。
しかし、正しいというだけのことだ。
それはなんでもないことだ。』
わたくしには、小林の言葉の意味がよくわからなかった。
大ていの芸術派は、マルクスを否定していたが、小林は、あっさりと、『マルクスは正しい』という」
と述べている。
小林秀雄は、マルクスを巧妙に活用はしたが、影響というものは受けておらず、
小林秀雄にとって、マルクスの提起した問題は、ある意味では、既に解決済みの問題であったように見える。
つまり、小林秀雄は、既に、「物理学の革命」という問題、つまり、新しい物質理論であり、科学理論に影響を受けていたようなのである。
たとえば、小林秀雄は『アシルと亀の子』のなかで、マルクスの思想を要約して、
「マルクスの分析によって克服されたものは経済学に於ける物自体概念であると言える。
与えられた商品という物は、社会関係を鮮明にする事に依って、正当に経済学上の意味を獲得した。
商品という物の実体概念を機能概念に還元する事に依って、社会の運動の上に浮遊する商品の裸形が鮮明された」
と言っている。
この「実体概念」から「機能概念」への転換は、実は「物理学の革命」においても起こったことである。
つまり、「物」を中心とする古典物理学が「場」を中心とする相対性理論や量子論によって克服されてゆく物理学の革命という事実から、小林秀雄は、この転換を学んだのであろう。
吉本隆明や柄谷行人たちにより、マルクスの読み方においては、マルクス主義者たちよりもむしろ小林秀雄の方が正しい読み方をしていた、と言われているが、それは、小林秀雄が物理学における「パラダイムの転換」という事実を通じて、マルクスにおける「パラダイムの転換」を読むことが出来たからではないだろうか。
「マルクスは正しい」と言いきれる小林秀雄は、マルクス的認識の一歩先を歩んでいたようである。
確かに、マルクス主義の崩壊は、直接的には、権力の弾圧によって起こったが、それだけではなく、マルクス主義が、科学を自称しながらも、十分に科学的ではなかったから、崩壊したのかもしれない。
また、ロシア・マルクス主義的な唯物論にあっては、長い間、アインシュタインの相対性理論は、科学理論として認められていなかったようである。
それは、アインシュタインの理論が、マッハ哲学の影響下に誕生したためであろう。
レーニンが『唯物論と経験批判論』でマッハを徹底的に批判しているという時代背景からもわかるように、マルクス主義者たちは、マッハ哲学を認めないのと同時に、アインシュタインの「相対性理論」をも認めようとしなかったのである。
マルクス主義が、20世紀の科学革命を無視した上で、「科学」ではなく、単なるイデオロギーであることが明らかになったとき、マルクス主義の力は急速に衰弱したのだろう。
小林秀雄は、湯川秀樹との対談『人間の進歩について』のなかで、
「二十世紀の科学の大革命が一般思想の上に大きな影響を与えたという事は承知していますが、何しろ事がいかにも専門的なものでね」
と述べた上で、
「ブルジョア文学者は偶然論がどうのこうのと愚にもつかぬ文章を書いていた。
左翼文学者は、政治にばかり目を奪われて一向科学なんかに好奇心を持たぬ。
古くさい唯物論をかかえて最近の科学の進歩はブルジョア的であるなどと言っておりました」
と述べている。
日本のマルクス主義者たちも、科学に興味を持っていたし、また科学的であることをその思想や文学の根本においておさえていた。
しかし、マルクス主義者たちが、マルクス主義という「科学」に固執していたのに対し、小林秀雄は、「科学そのもの」に直接、接近していったのである。
小林秀雄は、自然科学、とりわけ物理学が絶対的に、客観的な真理を体現しているとは思ってはいなかったようである。
小林は、むしろ、物理学がいかに基礎論という部分では、不安定な、相対的なものでしかないか、という点に目を向けていたように私には、思われる。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
次回もまた、続きから描いていこうと思っております😊
よろしくお願いいたします😊
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。