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文学のなかの芸術、芸術のなかの文学⑭ー大岡昇平「江藤淳『小林秀雄』」、『疎開日記』にみるものー(小林秀雄以降の世界のなかで④)

批評とは、分析であり、分析の限りをつくしても、もはやそれ以上に分割することのできないものを見出すことであり、たとえ究極的には、その最終的な分析不可能なものがもはやひとつの無であったとしても、その分析の道を進まないかぎり、批評に到達することはできないのではないだろうか。

小林秀雄もまた、どれだけ分析的な認識にかえて、直感的、経験的な認識を主張したとしても、まずやらなければならなかったことは、分析することであり、反省することだっただろう。

これに対して、大岡昇平は、ある時点から、分析や反省という行為に対して、ある決定的な決別を行っているようである。

しかし、大岡昇平が、分析や解釈という反省的な思考を完全に放棄したわけではなく、むしろ、大岡昇平の分析や解釈は、『俘虜記』や『野火』などの小説にも見られるように、あまりにも過剰であると言ってよいかもしれない。

ただ、それらはあくまでも、分析や解釈の向こうにある生活を浮かび上がらせるための手段でしかないのだろう。

大岡昇平の内部には、現実や生活に対する素朴な、そして強固な信頼が生まれており、それは、分析や解釈という理論的作業によっては、決してくみつくせない現実の多様性への信頼ではないかと、私には思われるのである。

「批評家大岡昇平」ではなく、「作家大岡昇平」になることができたあとの大岡昇平を考えるとき、私が、思い出すのは、ルネ・マグリットである。(※1)

ルネ・マグリットの絵のなかでは、バラはつねにバラ色をしており、ライオンはつねに私たちが想像するであろうライオンの色をしており、夕日は赤く輝いている。

ゴッホのような個性的な筆使いや色彩はそこにはなく、ピカソのような形のデフォルメもなく、マグリットは、目の前の現実を、わかりやすく表現することに傾注したため、その無表情な写実的様式で描かれた絵画は、何が描かれているかは私たちに一目でわかるようになっているだろう。

マグリットは、しばしば自分自身の姿を作品の中に描き込んだのだが、それらからは、いわゆる「自画像」に特有の画家の強い自意識を、奇妙なまでに感じることが出来ず、画家のセルフ・イメージの表明であったり、自己についての内省や告白など、多くの「自画像」とは異なり、絵のなかのマグリットは、ただ、その主題にとって必要な役割を演じている、単なる登場人物のように見えるだろう。

それは、「自己」に対する特有の眼差しを欠き、あまりにも客観的に描かれているからなのだが、その「自己」の隠蔽こそが、マグリット特有の「自意識」ではないだろうか。

1936年に描かれた『透視』という作品は、制作中の画家=マグリットが見つめているモチーフは卵なのだが、カンヴァスに描かれつつあるのは、羽ばたく鳥であり、画家はここで卵の未来の姿を予見している。

カンヴァスのなかの羽ばたく鳥のフォルムは、私たちに、マグリットの最晩年の作品『大家族』を想起させる。

私は、この作品を見るとき、そのなかに「批評家大岡昇平」と「作家大岡昇平」と、それを冷静に見つめる、しかし批評への絶望を抱いた大岡昇平を見るようにも、「批評家大岡昇平」から「作家大岡昇平」への道を見出し、フィリピンの俘虜収容所から復員してきた大岡昇平に『俘虜記』の執筆をすすめた小林秀雄を見るようにも思う。

ところで、私たちは、大岡昇平の地道な資料の収集や回想録なくして、批評家小林秀雄を語ることはできないのかもしれない。

小林秀雄自身はほとんど自己を語らないひとであり、いわゆる回想録の類も、必要最低限のものしか残していないからである。

それらの短い、形式的な回想録から、小林秀雄の全体像を作り上げることは、不可能に近いと私には、思われる。

小林秀雄自身の残したテクストだけで十分だと言う人もいるが、私は、作品がすべてではないし、作品を生み出した背景を抜きにして文学者は語れず、また、作品はその背景なしに抽象的には成立するわけではないとも、私には思われるのである。

小林秀雄以来、すぐれた批評作品は、ほとんど「評伝」的要素を含んでおり、作品より作者に分析の比重が置かれているようである。

もし、小林秀雄によってはじめて批評が確立されたとするならば、それは、小林秀雄によってはじめて「作品論」という文学主義的批評のかわりに「作家論」という存在的批評がそれにとってかわったからかもしれない。

小林秀雄について知るためには、大岡昇平の手を借りなければならないのだが、大岡昇平の過去への非常なこだわりは、富永太郎と中原中也に関しての文献的な基礎資料の収集から評伝の執筆、作品の分析にいたるまで完璧にまとめ上げたようである。

これに比して小林秀雄については、1冊の書物というかたちでは残していないのだが、「小林秀雄の世代」 という、小林秀雄のベルクソン論である「感想」に対する優れた注釈的な評論をはじめとして、数多くのエッセーを残している。

私たちが、これからも小林秀雄を知ろうとするとき、大岡昇平の書き残した回想録や、彼が収集した基礎資料は重要な意味を帯びるだろう。

特に、江藤淳の『小林秀雄』は、大岡昇平が貸与した資料にもとづいており、
大岡昇平は、「江藤淳『小林秀雄』」というエッセーのなかで、

「江藤氏にこの論文をすすめ、資料を提供したのはわたしである。(中略)
わたしは小林の無名時代の断片を偶然持っていたので、その一部を氏にまかせた。
わたし自身、いつか小林論を書くつもりであったが、ほかに仕事を持っているので、いつのことになるかわからない。
資料をいつまでも死蔵しておくのは、小林秀雄が共通の文化財産になりつつあるこんにち、公平ではないのではないか、という自責を感じることがあった。
江藤氏に使ってもらうことができ、むしろほっとした感じがあった」
と述べている。

勿論、江藤淳の『小林秀雄』は、江藤独自の分析と解釈によって成立しているのであるが、大岡昇平の資料の収集と保存がなければ、今のようなかたちとは違ったものになっていたであろう。

大岡昇平の資料の収集と保存という行為それ自体もまた、ひとつの厳然とした批評的行為たりえているように、私には、みえる。

大岡昇平という作家は、なぜこれほどまでに、青春時代の一時期の人間関係にこだわり続けたのであろうか。

戦後、小林秀雄の勧めによって『俘虜記』を書き始めるのであるが、それとほぼ平行して、中原中也論と富永太郎論の執筆にとりかかっている。

たとえば、大岡昇平の『疎開日記』の昭和21年10月3日の頃に、
「中原中也論ノートを書いている。(中略)散文はつまらない。
現代では興味があるのは詩だけだ。
だから詩人だけを考える。
富永太郎論七十枚。中原中也論百五十枚」
という記録がある。

以後、大岡昇平の『疎開日記』には、富永太郎と中原中也の名がたびたび登場し、富永太郎論と中原中也論の執筆や、その資料収集が、大岡昇平にとって、やがて作家大岡昇平のデビュー作となり、また代表作ともなる『俘虜記』に勝るとも劣らないような重大な価値を有する仕事であったことがわかるのである。

大岡昇平は、一種のライフワークとでもいえるようなかたちで、 これらの詩人論を執筆しており、
『疎開日記』には、
「フィリピンで立哨中、雨の野をながめながら、僕は十七歳の頃の感情を思い出し、いかにそれに逆らって生きてきたかを知った。
これが僕の底ならば、まずそこを耕すことから始めねばならぬ」
という一節が在る。

大岡昇平が小林秀雄と知り合ったのは、19歳のときであり、大岡昇平が「17歳の頃の感傷に逆らって生きてきた」というのは、小林秀雄と知り合って以降のいわば、批評的な時代の生き方を指しており、言い換えれば、小林秀雄的批評への訣別が自覚されているということができるのかもしれない。

大岡昇平は、このとき、はじめて批評的な思考から解放され、ここに、大岡昇平の「資料」や「人間関係」へのこだわりが始まるといってよいのかもしれない。

「資料」や「人間関係」というとき、1928年から1955年にかけてマグリットが撮影した写真を収めたポートフォリオである『イメージの忠実さ』という作品は、マグリットと仲間たちが登場人物として構成されていた。

『透視』を制作中のマグリットを撮影した写真もあり、そこでは絵を描く画家の絵を描く画家という入れ子構造が生じており非常に興味深く、またマグリットが撮影した写真には、自分自身や妻さらには友人たちを登場人物としながらも、だまし絵的な遊び心、計算された構図、絵画作品との関連性が、見て取れる。

マグリットの『イメージの忠実さ』や数多くの写真からは、マグリットが生活していた環境や仲間たちとの関係が、絵画作品におけるイメージの構築に深く関わっていたことをうかがい知ることができるだろう。

やはり、どこか、マグリットと大岡昇平は似ているように思う。

ただ、戦後、大岡昇平が、復員すると同時に、中原中也や富永太郎に関する資料の収集や調査が、精力的に進める原動力になったもの、大岡昇平を非常なまでに資料の発掘に駆り立てたものは、創作はもちろんたが、やはり批評への反抗の面が在ったように思われる。

「資料」や「人間関係」という、極めて即物的で、非文学的な事実に固執する大岡昇平の構えは、明らかに、小林秀雄に始まる「批評的なもの」への批判の構えであったように、私には、見える。

そして、それは、「批評家大岡昇平」との訣別の意味をも含んでいたのだろう。

ときに、大岡昇平の内部では、分析や解釈にが価値を有していないかのように見える。

ここには、批評への絶望が隠されているように思われる。

大岡昇平は、ある時点できっぱりと、批評することを断念し、現実を尊重するという道を選んだのであろう。

やはり、大岡昇平の資料の収集と資料の提示だけで十分だとするような姿勢には、どこか「解釈や意味に対する絶望」と「現実や生活に対する深い信頼」があるように思われる。

私には、小林秀雄が、ベルクソン論である「感想」のなかにおいて、ベルクソンのことばで、

「君達には何もわかっていない」と言うとき、その傍らには、亀の子のように、黙々と資料の収集に歩き回る大岡昇平の姿が見えてくるような気がすることがある。

「わかる」とか「わからない」というような批評的言説に絶望した大岡昇平という作家の作業は、小林秀雄を神格化すると同時に、脱神話化しているように見えるのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

大岡昇平とマグリットの根底のところで似ている場所をまた探してみたいなあ、とも思っています😊

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

(※1 確かに、過去を語ることを拒み、匿名の、不在の人物を描き続けたマグリットと、ひとりの女をめぐる小林秀雄と中原中也の三角関係を裁判記録のように詳細に書いた作品もある大岡昇平と異なる部分はあるものの、根底には類似するものがある、とも私には思われるのである。)



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