『マルクスその可能性の中心』以後の柄谷行人-小林秀雄と柄谷行人と吉本隆明にとってのマルクス②-
柄谷行人が、「文芸評論家」として脚光を浴びるのは、『マルクスその可能性の中心』以後であり、「文学から哲学へ」移り、「文芸評論家から思想家」へと変身してからである。
それは、柄谷行人は、「文学から哲学へ」移り、「文芸評論家から思想家へ」と変身したときにはじめて「文芸評論家」になったと言い換えることもできるだろう。
小林秀雄以後における「文芸評論家」という存在の基準に照らしていえば、哲学や思想を内包しない文芸評論は文芸評論となりえず、また、思想家でない文芸評論家は文芸評論家ではありえないのだろう。
柄谷行人が同世代の文芸評論家たちのなかで、ただひとり時代の風化に耐えて、注目するに足る文芸評論家へと成長した理由は、柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』以後の一連の哲学的作業のなかにある、と私には、思われる。
そこには、柄谷行人のみにあり、柄谷行人以外の評論家に欠けていた、絶えず基礎へ基礎へと遡ってゆく哲学的・思想的な作業である「原理的思考」があるように思われるのである。
原理的であることは、思考を徹底することとしかいえず、文芸評論は、ある原理や哲学に基づいて、作品や作家の本質を解読する作業だけを意味していないだろう。
むしろ、文芸評論家が「批評」(クリティック≒危機)と呼ばれることからもわかるように、文芸評論の本質的な仕事は、ある原理や哲学を文学作品の解読に応用することではなくて、逆にその原理や哲学の「基礎」と「根拠」を徹底的に問い返す作業のなかにあるだろう。
江藤淳が、評論とは、理論の虚偽を暴くことだ、と言っているのは、これと別のことではない。
例えば、江藤淳が、戦後思想や戦後文学を批判する際に、宮沢俊義の憲法論にまで遡り、いわば戦後思想の見えざる原点から批判・解体しようとするのは、極めて批判的であり、また、文芸評論的であると言わなければならないだろう。
このような原点に立ち返って、そこから批判し、解体し尽くすという批評的作業は、小林秀雄のマルクス主義批判以降、文芸評論家たちの基本的な思考のスタイルになったといってよいだろう。
思考の原理にまで遡る努力をすることにより、私たちは、はじめて批評にであうことができるのだろう。
柄谷行人は、このような原理論的な思考について、『隠喩としての建築』のなかで、
「それはゲーデルの定理を他の領域に翻訳することであるよりも、逆にゲーデルの定理こそ、本来数学とは無縁な問題、すなわち、「言語は言語に『ついて』の言語である」という自己言及性の問題が数学レベルであらわれたのである。
ゲーデルの定理が形式体系一般にあてはまるとすれば、それは「形式化」が数学そのものとはべつのところからきているからだ。
そして、十九世紀後半にはじまる数学基礎論(カントール)は、経済学(マルクス)、心理学(フロイト)、言語学(ソシュール)などの領域における基礎論的な問いと通底するのである」
と語っている。
柄谷行人は、さまざまな分野の思想家が、その学問的、思想的な探求の頂点で、同じひとつの問題にぶつかるということを言っており、その問題は基礎論的な問いのなかにあるだろう。
言い換えるならば、原理論的な思考を押し進めていくと、最終的には、その思想や学問の基礎的な部分に辿り着くだろう。
しかし、その基礎的部分は、実はその思想や、学問独自の基礎であることはできず、あらゆる人間の思考一般が依拠している基礎である他ないのである。
その基礎論の場所は、もはや、数学、経済学、心理学、言語学といった学問的枠組みが通用しない場所であり、いわば柄谷行人のいう「基礎の不在」という現実に直面するのは、数学も経済学も、また文学や文芸評論も同じである。
もはや、そこでは、「科学的」とか、「論理的」とか、あるいは「数学的」とかいったことばは、いかなる説得力も持たず、そこでは、文学も数学も科学も等価であり、同じように「基礎の不在」に直面しているのだろう。
例えば、マルクスが『資本論』のなかで
「価値形態、その完成した姿である貨幣形態は、はなはだ無内容かつ単純である。
にもかかわらず人間の頭脳は、二千年以上も前からこれを解明しようとつとめてはたさず、しかも他方、これよりはるかに内容ゆたかで複雑な形態の分析には、少なくともほぼ成功している。
なぜだろう?
成体は、体細胞よりも研究しやすいからである。
しかも、経済的形態の分析においては、顕微鏡も、化学試薬も、役に立たない。
抽象力が、両者にかわらねばならない」
と書いている。
価値形態の分析に、顕微鏡も化学試薬も役に立たないのは、価値形態の分析が、あらゆる学問的、思想的、芸術的な思考が直面するのは基礎論的な問いのなかにあるからであり、そこでは、数学も科学も役に立たず、ともに「基礎の不在」に直面しているからであろう。
言うなれば、「商品」の分析から始まるマルクスの『資本論』は、単に経済学の書では在り得ず、経済学という入り口から入ってゆくにもかかわらず、経済学を越えた、あるひとつの基礎論的な問いを問うた書であるのだろう。
柄谷行人は、マルクスをマルクスたらしめているのは、この「価値形態論」の部分であり、しかも、この「価値形態論」の部分を除いたら、マルクスは、古典派経済学や、ヘーゲルの単なる一亜流にすぎないとさえ言う。
柄谷行人によれば、マルクス主義者やマルクス研究者たちは、ほとんどこの「価値形態論」を問題にすらしてこなかったようだ。
それは、「マルクス主義」という形而上学にとって、必要不可欠のものでないどころか、不要だったからであろう。
しかし、柄谷行人は、ここにこそマルクスが、ヘーゲルや古典派経済学と異なる根拠を見いだし、この「価値形態論」のなかに、現代的なあらゆる思考が直面している、もっとも原理的な、基礎論的な問題を見い出すのである。
マルクスの価値形態論とは、単なる価値の問題としてではなく、人間の思考の本質そのものとして重要であるのではないだろうか。
例えば、マルクスが批判した古典経済学では、使用価値と交換価値を区別するようである。
つまり、商品にはそれぞれ内在的な価値があり、それが貨幣によって交換され、そこに交換価値が発生し、
したがって、商品は、使用価値と交換価値の二重性として存在しているようなのである。
そして、貨幣が共通の普遍的な尺度として機能するというのである。
言い換えるならば、貨幣は単なる手段にすぎず、それは商品の価値の表示であるに過ぎないのだろう。
古典経済学は、商品の価値は、その商品に費やされた労働時間である、という労働時間説によって、貨幣を二次的なものとみなし、交換に先立って商品の価値が存在するという、所謂、実体論的な思考が前提されているようである。
これに対して、マルクスが、価値形態論で明らかにするのは、交換に先立って価値が存在するという考え方ではなくて、交換されることによって、その結果として価値が生み出されるという考え方であろう。
ここには、明らかに超越論的な価値の否定があり、いわば実体論的な思考が否定されているのだが、マルクスは、それを明確に、体系的に語っているわけではないのである。
マルクスの思考のなかにも、さまざまな試行錯誤や混乱があるようであり、マルクスは、『資本論』のなかでも、しばしば古典経済学的な実体論的な思考にとらわれてもいる。
例えば、剰余価値を論じるときに、マルクスは古典経済学的な労働時間説をとっている。
また、ふたつの相異なる商品が等価であるためには、なにか「共通の本質」がなければならず、それは商品に対象化された人間的労働だと言っている。
これは明らかに、価値や意味を実体化した考え方であるが、マルクスはここに留まっているのではないようである。
柄谷行人は、このことについて、『マルクスその可能性の中心』のなかで、
「彼は等価の秘密を諸商品の『同一性』に還元する。
しかし、そのような同一性は貨幣によって出現するのだ。
貨幣形態こそ、価値形態をおおいかくす。
したがって、貨幣形態の起源を問うとき、マルクスは、もはや『等価』や『共通の本質』という考えを切りすてている。
それらこそ、価値形態の隠蔽においてあらわれるのだからである」
と述べている。
柄谷行人のマルクス論は、ここに言い尽くされているように、私には、思われる。
柄谷行人が言うように、マルクスの『資本論』は、カントールあるいはゲーデルの『数学基礎論』、フロイトの『心理学批判』、ソシュールの『言語学批判』と通底する基礎論的な問いの書なのであろう。
柄谷行人が『マルクスその可能性の中心』以後、絶えずマルクスを引用し、マルクスを問うのは、マルクスのなかに原理論的な思考を見出しているからであり、また、マルクスのテクストが基礎論的な問いを内包しているからであろう。
柄谷行人は、マルクスを問うことにより、経済学や哲学の問題を問うているのではなく、あるひとつの基礎論的な問いを問うているのだと言えるのかもしれない。
しかし、柄谷行人にとって、最も根本的な問題は、必ずしもマルクスの価値形態論の解釈ではなく、マルクスの文体にもあったようである。
次回は、柄谷行人のマルクス論とマルクスの文体についてから、描いていきたいと思う。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
次回は、柄谷行人のマルクス論とマルクスの文体についてから、描いていきたいと思います😊
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。