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小林秀雄の文学批判=批評のなかで①ー小林秀雄的批評の地平から「告白は不可能だ」という自覚の下もういちど告白を『仮面の告白』として行った三島由紀夫ー

小林秀雄は、1979年に『本居宣長補記Ⅰ』のなかで、

「誰も万人向きのやり方で世を渡ってはいない、という事は、どんなによく出来いても、万人向きのやり方では間に合わぬ、困難な暗い問題に、この世に暮らしていて出会わぬような人は、まずいないという事だ。
そして、皆、何とかして、難題を切り抜けているのではないか。
他人は当てに出来ない。
自分だけが頼りだと知った時、人は本当に努力をし始める。
どうあっても切り抜けねばならぬ苦境にあって、己の持って生まれた気質の能力が、実地に試されるとき、人間は、はじめて己を知る道を開くであろう」
と述べている。

小林秀雄は、『蛸の自殺』を志賀直哉に送り賞賛されるなど、志賀直哉に私淑し、小説家になりたかったようなのだが、「小説」的な設定と「批評」的な考察が合わさることで「告白」の自由度と切実さがせめぎ合うような、そして「非小説」的小説を書こうとした志賀直哉の影響が見られる『Xへの手紙』の後、もはや小説を残さなかった。

小林秀雄自身が坂口安吾との対談である『伝統と反逆』のなかで言っているように、「人生観の形式を喪った」ため、抽象的な批評的な道を進んだようである。

「どうしても切り抜けねばならぬ苦境」であったであろう「小説家小林秀雄」の挫折は、「抽象的批評的言辞が具体的描写的言辞よりリアリティが果たして劣るものかどうか」という実験に小林秀雄が取りかかったということであり、それは同時に「批評家小林秀雄の誕生」でもあったのだろう。

また、小林秀雄の批評は、解釈や研究と違い、小林秀雄の批評は、言語表現上の危機意識に他ならず、近代的な認識論的布置の解体と転換の自覚以外ではないだろう。

そして、小林秀雄が「小説が書けなくなった」というのは、「それまでの文学的な表現様式をそのまま模倣・反復することができなくなった」ということではないだろうか。

「批評家小林秀雄」の出現によって、多くの作家が沈黙を余儀なくされたと言われるが、それは、小林秀雄の批評が、小説という表現の形式を壊し、文学という形而上学をその根底から覆すような危険な要素を持っていたからだろう。

つまり、小林秀雄の「批評」とは文学批判であり、文学の否定でもあるのだが、その小林秀雄の文学批判にもっとも敏感に反応した文学者のひとりである三島由紀夫がいるだろう。

もし、三島由紀夫の悲劇というものが語られるとするならば、それは、小林秀雄の「批評」という名の文学批判以後において、再び文学を再建しようとして、ついに文学の再現に成功したかに見えた、まさにその瞬間に、文学とともに自滅せざるを得なかった作家の悲劇ということもできるかもしれない、と、私は思うことがある。

私たちが、三島由紀夫という作家にふれようとするとき、私たちはまず、小林秀雄の「批評」の意味を解読することから始めなければならないのではないだろうか。

小林秀雄の「批評」を考えるとき、批評ということばが、危機ということばと同一の語源を持っていることを、私は、想起する。

批評は、危機という問題とどこか関連しているようである。

もし、批評が、単なる文学研究や、作品の解釈でしかなかったならば、そこには危機という問題は介在する余地はないだろう。

批評という問題が、日本の文学史の上で、問題として登場したのは、小林秀雄の出現によってであろう。

江藤淳は、『小林秀雄』のなかで、
「小林秀雄以前に批評家はいなかった」
と書いているが、私には、この指摘は正しいように思われる。

なぜなら、小林秀雄以前の批評家たちには、危機という問題が欠如しているように見えるからであり、文学というものに対する根本的な懐疑、言い換えれば、文学に対する危機意識というものを持ち合わせていないように見えるからである。

小林秀雄以前の批評家たちは、文学というものの成立根拠や、あるいは、その存在基盤の普遍性を決して疑わなかったようである。

批評家小林秀雄の誕生により、はじめて批評という問題が近代文学の言説空間に出現したということは、小林秀雄の批評が、文学批判に他ならなかったことを示してはいないだろうか。

つまり、近代文学の成立根拠としての近代的世界認識の地平に対する危機意識の自覚こそが、批評家小林秀雄を生み出したのではないだろうか。

さらに言い換えれば、小林秀雄の出現によって、日本の近代文学は、はじめてその存立の危機に直面することになったのではないだろうか。

いかなる意味においても、小林秀雄は、近代文学の理論的イデオローグではないし、また、近代文学の研究や解釈を行った人でもない。

ウォルター・ベンヤミンのことばでいうならば、小林秀雄は、コメンタール(解説)の人ではなく、あくまでもクリティーク(批評)のひとであったのだろう。

小林秀雄の「批評」が生まれた背景について、小林は『伝統と反逆』のなかで、

「僕らは現実をどういう角度からどういう形式でもって眺めたらいいかわからなかった。
そういう青年期を過ごして来た。僕なんかが小説が書けなくなったその根本理由は、人生観の形式を喪ったということだったらしい。例えば恋愛すると滅茶々々になっちゃったんだよ。
そんな滅茶々々な恋愛は小説にならねえから、あたしァ諦めたんだよ。
諦めてね、もっとやさしい道をすすんだのか何だかかわからないけど、もっと抽象的な批評的な道を進んだのだよ。
抽象的批評的言辞が具体的描写的言辞よりリアリティが果たして劣るものかどうか。
そういう実験にとりかかったんだよ。
これは僕らの年代からですよ。
それまでには、ありァしません。その前のリアリズムというものは、僕らの感じた暴風雨みたいなリアリズムじゃないよ。」
と言っている。

小林秀雄の批評は、言語表現上の危機意識に他ならず、近代的な認識論的布置の解体と転換の自覚以外ではないだろう。

小林秀雄が、「小説が書けなくなった」というのは、それまでの文学的な表現形式をそのまま模倣・反復することが出来なくなった、ということであろう。

小林秀雄の批評は、文学という形而上学の前提としての近代的世界了解の認識論的構図への批判であったのだろう。

たとえば、柄谷行人は、日本近代においては、ヨーロッパ文化圏において「哲学者」が担っている役割を「文芸評論家」が担ってきた、と言っている。

少なくとも、小林秀雄以後の批評的伝統は、単に文学というひとつのジャンルに限定できるようなものではなく、小林秀雄以後の評論は、良かれ悪しかれ文学というジャンルを超え出ているようである。

小林秀雄の出現によって確立された批評的空間は、単に作品の解釈や研究としての批評とは違った、原理的な批評を可能にしたようである。

ところで、小林秀雄によって批評として自覚された問題は、文学や文学作品の問題でありながら、単にそれにとどまるものではなかったように見える。

それは、誤解を恐れずに言うならば、認識の問題であったようにも、思われる。

ただ、小林秀雄の場合、文学的問題の追求を通して、その結果として認識の問題に触れたというだけだかもしれないが、それは、実は、極めて大きな出来事ではないだろうか。

日本の近代史において小林秀雄が果たした役割は、たとえば、中世スコラ哲学を批判したデカルトや、あるいは経験論と合理論をともに批判したカントのそれに近いものであったように、私には、思われる。

デカルトもカントも、いわゆる伝統的な形而上学を批判、解体したひとである。

たとえば、カントの形而上学批判の仕事をふまえて、

「カント以後において形而上学はいかにして可能であるか」
という問題が、カント以後の哲学界のテーマとなったが、同じく、小林秀雄の場合にも、小林秀雄の文学批判の仕事をふまえて、
「小林秀雄以後において文学はいかにして可能であるか」
という問題が、小林秀雄以後の文学的な中心テーマとなったのではないだろうか。

たとえ、それが十分自覚されることがなかったとしても、私たちが、この問題から自由であったはずはないだろう。

さて、三島由紀夫が、「自分」に関心を持ちすぎる文学に生理的嫌悪を感ずるのは、「告白」という行為につきまとう自己欺瞞が耐え難いからであろう。

さらにいえば、自分にこだわっているふりをすることへの嫌悪があるからであろう。

「告白」という行為において、私たちは、自分自身に直面することなどないのかもしれない。

三島由紀夫は、「告白」を嫌い、自己を語ることを極度に嫌悪していたが、それにもかかわらず、三島由紀夫は、誰にもまして、自己を語ることの好きな作家であったようである。

この矛盾は、単に批判・否定すれば済むような問題ではないだろう。
三島由紀夫が、『告白』ではなく『仮面の告白』というタイトルをつけたのは、そのことによって、告白という形式に依拠する近代文学を批判・否定したかっのではないだろうか。

この告白批判は、小林秀雄の「批評」という名の文学批判とその問題意識を共有するものであろう。

小林秀雄は「告白」について『批評家失格』のなかで、

「どんな切実な告白でも、聴手は何か滑稽を感ずるものである。
滑稽を感じさせない告白とは人を食った告白に限る。
人を食った告白なんぞ実生活では、何の役にも立たぬとしても、芸術上では人を食った告白でなければ何の役にも立たない」
と書いている。
「どんな切実な告白でも......」という点で、小林秀雄は「告白」という形式それ自体が、必然的に滑稽たらざるを得ないと言っているのである。
小林秀雄以前の批評家たちは、告白が正確であるかどうかを問題にしただけであり、告白という形式それ自体を問題にしたわけではなく、正直にそして正確に告白しているかどうかという点に、文学的価値の基準を置いていたようである。

無論、田山花袋の『蒲団』に始まる「私小説」という近代文学の基本構造を否定したり、批判すればそれでいいということではなく、問題は小林秀雄にいたってはじめて「告白」という形式それ自体の行きづまりが自覚されたという点にあるだろう。
文学批判としての小林秀雄の「批評」の意味は、「告白」不可能性の自覚以外の何ものでもないのだろう。
三島由紀夫は、『仮面の告白』の月報ノートに
「肉にまで喰い入った仮面、肉づきの仮面だけが、告白をすることができる。
『告白の本質は不可能だ』ということだ」
と書いている。

三島由紀夫は「仮面」をかぶることによって素顔を隠したのだろうか?

三島由紀夫の「仮面」の下にははたして素顔が隠されていたのであろうか?
おそらく、そうではなく、はじめから「素顔」などというものはどこにも存在していないように、私には、思われる。

私たちが、「素顔」と思い込んでいるものは、近代的な認識論的布置が、作り上げた幻想にすぎず、三島由紀夫が「告白の本質は不可能だ」というのは、「素顔」などどこにもない、と言っているのではないだろうか。

例えば、福田恆存は「『仮面の告白』について」のなかで、

「『仮面の告白』において三島由紀夫は自己の芸術家のいるべき揺るぎなき岩盤を発見している。
あるいは、そこから出発してこの作品を書いている。
この作品に『仮面の告白』と題したゆえんは、つまり作者が仮面のうしろに自己の素顔を自覚していたことの何よりの証拠ではないか」
と書いているが、私は、そうは思わない。

福田恆存は、「仮面」と「素顔」の二項対立が、それ自体近代的な知の産物でしかないとは思っていないのであろう。

「仮面」のうしろに「素面」があるはずだというのは、幻想であり、一般に「素面」と思われているものも「仮面」でしかなく、このことを指して三島由紀夫は、
「告白の本質は不可能だ」
と言っているのではないか、と、私には、思われるのである。

『仮面の告白』は三島文学を理解する上で重要な作品であり、それと同時に日本の近代文学の認識風景のなかに置くから、反面教師的な意味で問題作たり得るのかもしれない。

いわば『仮面の告白』は近代文学批判の書ではないだろうか。
三島由紀夫は、内面の秘密などを語るために『仮面の告白』を書いたのではなくて、むしろこの作品で語られている内面の秘密こそが、『仮面の告白』という作品を成立させるために仮構された作り話なのではないだろうか。
たとえ、その作り話が、三島由紀夫の伝記的事実とどれだけ一致していようとも、作り話であることに変わりはないのではないだろう。

三島由紀夫は、『私の文学を語る』のなかで秋山駿のインタビューに答えて
「自分に対するこだわりだけを『誠』と思っているでしょう。
一度ぐらいこだわってみせないと、だれも信用しないですね。
僕の場合は『仮面の告白』でちょっとこだわってみせたら、たちまち信用を博したのです。
後はどんな絵空ごとを書いても大丈夫だ。
ところが、それを一生繰り返している人がいるからじつに神経がタフだと思って感心している」
と語っている。

三島由紀夫は、『仮面の告白』のなかで、「告白」という形式への批判と、作中人物と作者自身とを同一化する物たちへの批判を企図したのであろう。

三島由紀夫が、「自分」に関心を持ちすぎる文学に生理的嫌悪を感ずるのは、「告白」という行為につきまとう自己欺瞞が耐え難いからであろう。

さらにいえば、自分にこだわっているふりをすることへの嫌悪があるからであろう。

「告白」という行為において、私たちが、自分自身に直面することなどないのかもしれない。

次回以降に、どこかで、小林秀雄自身も意外だったという『ゴッホの手紙』を書くなかで「批判的言辞は小林秀雄を去った」ことについても描いてみたいと思う。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございました。

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

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