ちょっと怖い御由緒 沼津日枝神社
境内散策
沼津日枝神社は、JR沼津駅から歩いてもそう遠くない場所に御鎮まりになる御社です。
現在、境内の一部を整備中のようで、参道脇から社務所の手前まで規制線が敷かれ重機が停まっていることが、手水舎からも伺えます。
手水鉢の方は古くからあるものと見られますが、手水舎は近年建てられたものと思われます。ここからも適宜、整備が行われていることが分かります。
現在工事中とはいっても、この日は休工日だったようで静かに過ごせましたし、元より綺麗に整備された境内ですから、心地良く参拝することができました。
ちょっと怖い御由緒
青空の下、大きな社殿に緑も豊富で非常に清らかな第一印象です。
しかし、境内に掲示された御由緒を見て、衝撃を受けることになります。
参拝後に調べたことを基に、少し御由緒を補足させていただくと…
現在こちらの神社がある地域は平安時代の関白、藤原師通の領地だったそうです。
領地といっても、関白という重要なポストを担っている以上、藤原師通は京の都にお住まいで、この土地の収益を得ていたのでしょう。
嘉保2年(1095年)、比叡山延暦寺の荘園だった土地を収公した際、僧らと源義綱が小競り合いになったそうで、その際に1人の僧が矢に討たれてしまうのです。
さすがに怒った延暦寺の僧、日吉大社の神主らは神輿を担いで都に抗議を試みますが、藤原師通は源義綱らを派遣し制圧。その際にも神輿や神主に矢が当たったとされます。
御由緒では「拒絶」という書き方に留めていますが、「抗議活動に対して武力行使による制圧を指示」というのがより正確な表現になるのかもしれません。
その後、藤原師通は38歳という若さでなくなってしまいます。
しかし、これは呪詛のためだったとされているところが、なんとも恐怖をそそられます。
数ある神社の中でも、御由緒の中に「呪詛」と書かれたものは、非常に少ないのではないでしょうか。
結果、藤原師通の母が謝罪を込め、日吉大社から御霊を勧請して祀られたのが、現在の沼津日枝神社というわけです。
国の重要人物が呪詛によって亡くなったことが事実かどうかは別にしても、かなりの速度で噂が噂を呼び、新たに神社を建てて鎮めようとされたわけですから、平安時代の人々にとって、よほどの畏怖が根底にあったのではないかと想像してしまいます。
境内社
境内には、2つの境内社が鎮座していました。
メインの日枝神社のすぐ脇には高尾山 穂見神社。
そして日枝天満宮が鎮座しています。
天満宮は、日枝神社の社殿と比べればサイズは小さいものの立派で、脇には撫で牛の姿もありました。
奉納された絵馬からも、学業成就を祈願される参拝者が絶えないことが分かります。
高尾山 穂見神社は、いわゆる「お稲荷さん」で、穀物の神様である倉稲魂命が祀られています。
小さい御社ではありますが、しっかりと狛犬が鎮座していました。
ここが桜の名所だったとは
参拝に上がって気づいたのですが、どうやら桜の名所であるようです。
御朱印を待っている間、社務所の中に飾られた1枚写真から、それが分かりました。
それは鳥居越しに満開の桜が、トンネルのように参道を包んでいるような写真でした。
やはり実際に足を運んで分かることがあるものです。
今回参拝に上がったのは10月だったため、もちろん桜の季節ではなかったのですが、改めて境内をよく見回すと、そこかしこに何種類もの桜の木が植えられていることが分かります。
今の季節は、十月桜(ジュウガツザクラ)がささやかに咲いていることにも気づきました。
特にイベントがあるということわけでもなかったが、参拝者は絶えず。今も地域から崇敬される神社であることが分かりました。
御朱印
今回お受けした御朱印はこちらです。
日枝神社だけあって、神猿(まさる)のスタンプも押されています。
10月の御朱印ということで、手水舎の龍に紅葉が彩られています。
よく見ると、カボチャや栗なども見られますね。
まとめ
平安時代、関白藤原師通への「呪詛」の結果、創建された歴史を持つ。
桜の季節にも参拝に訪れたい神社。