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『希望』という名のシュークリームの中の空洞

シュークリームを食べる。
重要なのは、シュークリームの中の『想像』だ。

中いっぱいにクリームが詰まっているのか、
それとも
クリームは半分以下で、そこに空洞が広がっているのか。

後者だった時の、絶望感。

それでは、もともと空洞をイメージして食べれば良い。
だがしかし、
クリームいっぱいが広がる風景を期待し想像してしまうのが人間だ。

つまり、
クリームは希望の象徴で、空洞は絶望の象徴だ。

ならばいっその事
シューがペチャンコになり、クリームと密に接したら希望が生まれるのか。

だが通常のシュークリームを俯瞰してみるような、
大きな希望を持つことも同時に失くすだろう。

私は気づいた。
絶望があるから、希望があるのだと。

シュークリームは、人生だ。

絶望することもあるのは、期待するからだ。
しかし、人は時としてみな期待する。

期待とは何か?
期待とは、『自分の思い通りになってほしい』という事だ。

思う通りにならなかった時、
人は裏切られた気持ちになり、絶望する。

つまり、裏切られたというのは、
自分自身の期待に裏切られたとう事。

自分が自分を、絶望させたということ。

ひとつだけ絶望を回避する方法は、
『信じること』だ。

シュークリームの中がクリームいっぱいであることを信じ、
例えそのシュークリームの中に空洞が広がっていたとしても、
それは次なる『希望』へと繋がるのだ、と。

想像はやめてはいけない。
なぜなら、シュークリームは人生そのものなのだから。

そして私は今日も、
シュークリームの中がクリームで満ち足りていることを期待する。

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