人生の①「いじめ」という表現の形
まあ、一人っ子で生まれまして、個性かな?家庭環境かな?何かな?わかりませんが、すっごい自己中な女の子だったんです。
今振り返ると、自分でも自分と絶対友達になりたないわ。無理。ペアも組みたくない。
そして、自己中だけでなく、鋼の心だったのです。そう、何を言っても響かない。特に仲良くない人の攻撃は響かない。(今はちょっと羨ましいわ)
鋼の心で言葉が響かない相手に、どれだけ噛み砕いて根気強く穏やかに嫌なところを伝えたとて、伝わらないわけですよ。しかも小学生の表現の幅を考えると…そうなりゃもう、他者から見りゃ「イジメ」という表現の形になるわけです。
でも基本、「イジメ」かどうかってのは、本人がイジメられてる自覚があるかどうかが結構大きな判断基準だと思うんですけど、響いてなかった頃はまじで攻撃されてる自覚がなかったので、それが「イジメ」だったとしても成り立っていなかったです。
それでも、そんな私が繊細に変わる事になります。
1番仲が良い子達が私に限界を感じ、仲間はずれにした訳です。1番仲が良かった子達が明らかに仲間はずれにしてくると、流石に少し響いたのです。(やっとかよ、遅いわ)
仲間はずれにされても、他のグループに「何か座る場所ないから寄せてー」みたいな対処は出来ていました、でも「ここでも嫌われないように」と人の顔色を伺ったりするようになり、まあ良い意味で「人の気持ちを知ろうとするようになった」訳です。
今となっては必要な体験だったと思うし、それがあったから今の私があるので、少しありがたいとも思います。今となっては。
小学生。その頃に友達に嫌な部分があって、それを伝える手段として会話を選んだけどそれが伝わらなかった時、次に選ぶのは行動(態度)ですよね。大人でも距離を置こうとしますよね、小さな子供の社会では仕方がない事だったと思います。
私も私で辛かったけれど、それを選ばせるほど私が歪んでいたのだから、相手には我慢と嫌な選択をさせてしまったのだから、嫌な思いをさせ続けて申し訳なかったとも思います。
仲間はずれにされた後、結局落ち着いた場所が響かない時代に攻撃してきていたグループだったんです、面白い話ですよね。すっごい仲良しでした。
エスカレーターの学校だったので中学も皆一緒でしたが、仲間はずれにされた友達達とは、私が出てたCMや広告を見てくれたキッカケで話すようになり、仲直りしました。(前ほど仲良くはならなかったけど)
「イジメる側だけが悪いんじゃない」とか「イジメられる側も悪い」みたいな話ではなく…
イジメが成り立ってしまったとして、その行動がイジメと呼ばれるものになってしまったとして、「泣いてる顔を見るのが楽しい」のではなく、もしかしたら伝える術としてその表現の形になってしまった可能性もあるという事。
ただ、それは、未熟な年齢でしか受け入れられませんけど。
指導する側も「イジメはだめだ!」とか言うだけではなくて、そうなってしまった過程をちゃんと汲み取って、一緒に振り返って、考え直していかないといけない。
そうやって、ちゃんと一緒に乗り越えられる大人が側にいる事が大切ですよね。
大人になってもイジメという表現を選んだりしないように。
〜おまけ〜
「学校に行きたくない」と泣いた日、父は「よく頑張ったね、次はパパとママにも頑張らせて。それでもダメならまた考えよう。色んな道があるから。」と言ってくれたのを覚えています。父も教員免許を持っているからかな(使ってないけど)、言葉の選び方が素敵でした。