「種田山頭火」という俳号についての一考察
本日は12月3日、種田山頭火の誕生日。
今日は朝から、なんとなく「種田山頭火」のことが気になって、
net で調べてみると、今日が誕生日。
来年が生誕140年らしい。
ということで、はっきりとはわかっていない、
種田山頭火という人の俳号について、
常々考えてきたことを、この機会に吐露してみたいと思います。
なぜか唯一「句集」を所持している俳人。
学生時代、自転車で道に迷っていた時に、
偶然、「一草庵」の前に飛び出したことがあり、
その時には、ただ「一草庵」とあるだけで、
何も特別な処置はされていませんでした。
松山には、他にもたくさんの俳句関連の施設がありますから…。
・「山頭火」の納音(なっちん)は形式だけ
ここからは、ややこしくなるので、
俳人の種田山頭火のことは「種田」とし、
「山頭火」とは納音の一つというように区別して表記します。
納音とは、十干十二支、六十年を五行説にあてはめて、三十に分類し、
人の生年から一生を占っていたものだそうです。
現在では、ほとんどの方は聞いたことがないと思います。
当時は流行っていたらしく、
「種田」の師匠が納音を俳号としているので、
それに習ったのだろうと理解されているのですが、
「種田」の場合は、生年の納音とは合わないため、
必然性がなく、疑問視されています。
本人は、「字面と意味から」と語っていた。
という記事もありますが、
本音は言わなかったのでしょう。
本来の意味は別にあったということです。
・俳号の由来は「易」からの変形
「山頭火」の中には「山」「火」が含まれています。
この「山」「火」を重要な要素として含むものに「易」があります。
明治期に「易」の「卦」からとった語は多く、
咸臨丸、蹇蹇録、損益、などいろいろと見出されます。
明治の知識人にとっては、「易」は五経の第一であったこともあり、
常識として行き渡っていたものと考えられます。
八卦(はっか)と自然との対応を見ると、
☰ 乾(けん) … 天
☱ 兌(だ) … 沢
☲ 離(り) … 火
☴ 震(しん) … 雷
☳ 巽(そん) … 風
☵ 坎(かん) … 水
☶ 艮(ごん) … 山
☷ 坤(こん) … 地
ということになっています。
「山頭火」という語を「易」に当てはめて考えてみると、
「山の頭(上)に火がある。」となります。
「卦」で見ると、
「山」に対応するのが「艮」、
「火」に対応するのが「離」。
「艮下離上」の「卦」といえば、
56番「旅(りょ)」。
そうです、「種田」は「旅」の中に、その後の一生を送ったのです。
単なる移動の旅だけでなく、
「死」や「墓」を常に意識したまま、
目の前の生き物たちと語り合う、
生死の間の旅でもありました。
つまり、先に「旅」があって、
そこから納音の形式に整えて
「山頭火」となったと思われます。
双方に似たものが存在する、という絶好のものでした。
五七五ではなく、自由律俳句を選んだ「種田」です。
これぐらいの、ひねりがあってもいいでしょう。
納音の「山頭火」の形式を利用して、
易の「旅卦」を暗示しているのです。
徳間書店 中国の思想7「易経」に、
以下のような卦の説明があります。
56旅 ☲☶ 艮下離上(火山旅)孤独な旅人
【解説】旅がたのしいものとなったのは近代になってからのことである。古代の人々にとって、旅は一大難事であった。交通の不便、宿舎の不備もさることながら、見知らぬ土地、なじみのない人々の中でただひとり暮す不安は、現代のわれわれには想像を絶するものがあった。旅舎を転々とする孤独な旅人が象徴するものには、不安定な生活(転居、転職など)、孤独な生活、失恋などがある。こんな時には無理をしてまで打開しようとせず、あせることなく受け身で対処することだ。郷に入れば郷に従え。しかも旅人が目的地を忘れないように、内心には自己の理想をしっかり守ってゆくのだ。人生は長い長い旅なのだから。
私は、この説明は種田山頭火のことを言っているのだと、
長い間、勝手に思い込んでいました。
いや、今でも…。
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