
壊れちゃった…
「壊れちゃった…」
LEGO(レゴ)ブロックの塊を持ったまま、小さな声で、その子は言った。それは、ちょっと前まで、ジェット機だった。エンジンがついていて、運転席の横にはお花も咲いていて、軽やかに空を飛ぶ…
その子は、1学期の初めから、そのジェット機をコツコツと改造しながら、ずっとひとりで楽しそうに遊んでいた。その子の頭の中には、鮮やかに広々と、空想の世界が広がっているみたい。話を聞くのが楽しかった。壊れないように丁寧に、片付けていたのも知っている。
夏休み。気がついたら、壊れていた。使用教室が変わり、運ぶ途中に壊れてしまったのだろうか…
「そうだね。壊れちゃったね。」
わたしは言った。その時、すまないなとは、思わなかった。そういうことも、ある、よね。
その子は、しばらくジェット機だった塊を見ていたが、またLEGOで遊び始めた。わたしは、別の子に呼ばれて、その場を離れる。気になって、遠くから見ていたが、また何かを作っているみたい。しばらく、そうしていたけれど、その子はまた違う遊びをし始めたのだった。
今度は、LaQ(ラキュー)という別のブロック。同い年の子達と、丸い部品でコマを作って、4人で対戦している。ぶつかるコマたち、その子もみんなも、夢中だ。
一区切りした時、その子が、ニコニコと、作ったコマをわたしに見せてくれた。すごくカラフルでかっこいい、素敵なコマだった。
その後、お母さんが迎えにきて、その子は自分の作ったコマを、お母さんと弟くんに、自慢げに紹介していた。キラキラの笑顔が眩しい。
これは、夏休み中のパート先で出来事。
「壊れちゃう」ことって、必ずしも「悪い」ことじゃない。以前は、「悪い」ことだって、思っていたこともあるし、今だって、「悪い」ことだって思ってしまう、タイミングもある。
こうやって、何かが壊れたら、新しい何かが出来たり、やってきたりもするんだ。そうしたら、またそれにつられて、何かが始まったりもするんだろう…
そもそも、「良い」も「悪い」も、その時感じた気持ちと、そのうんと後に感じる気持ちが違ってくることがあるから…よくわからないものなんだろうなぁ。
結局、楽しいとか、うれしいを集めて、ワクワクできたらいいのかな。シンプルに。ワクワクしたのなら、ちょっと難しそうなことだって、意外にやれちゃうもの、ね。子ども達と過ごすと、そう、感じる。
夏休みのお預かりは、まだ始まったばかり。さぁ、今度は何を作ろうか。何して遊ぼうか。ワクワクと、わたしも楽しみながらいこう。
みんなの喜ぶ顔を想像しながら、工作をコツコツと準備している。あれもこれも、できたらいいな。つい欲張っちゃう。