おしゃべりタイム
娘が、関東の家に戻っていった。
うちの中が、しんとしている。
今回の帰省はいつもより、ゆっくりと一緒の時間を過ごせるはずだった。
12/28の朝、夜行バスで、娘は笑顔で帰ってきた。我が家恒例、もちつきの日。その日は、妹たち家族も揃い、賑やかに過ぎた。
それからも、わたしは年末年始の準備に追われ、一日中忙しく働く日が続いて、夜はすぐに眠くなる。娘は、ずっとわたしとゆっくり話す機会を待っていたようだ。
けれど、あのとき、わたしはずっと体調不良が続いていて、しっかり寝なくては身体が持たなかった。だから、子どもたちに、「ごめんね」と言って、はやく寝させてもらっていた。
いつも寝る前は、子どもたちと、おしゃべりタイム。息子としゃべり、ハグをして、娘としゃべり、ハグをしてから、わたしは眠る。幼い頃は、それが絵本の読み聞かせだった。今は、わたしが話を聴くという、おしゃべりタイムに進化している。そして、ひとり暮らしするようになった娘とのおしゃべりタイムは、ライン電話になった。
息子は、なんだかんだと隙あらば、いつでも話しかけてくるが、娘はそうはしない。話すという場を作り、ゆっくりと話を聞いてほしいみたいだ。だから、特に娘には、おしゃべりタイムが必要不可欠だ。
娘は、話すとき、頭の中で話す言葉を組み立ててから、話すらしい。普段は無口だ。逆にわたしはおしゃべりで、口が開けば、深く考えもせず、言葉が出てきてしまう。だから、しっかり聴くスイッチを入れて、「お口はチャック」で、娘の話を聴く。聴くぞ!と気合いを入れなくてはならない。
その後も、娘とゆっくり話す間もなく、義親宅に帰省。わたしは義母と一緒に働く。ちょっと元気がない娘が気になりつつも、どうしようもない。おしゃべりタイムも取れない。
息子は、ちょろちょろとわたしの周りをうろつき、家事をちょっと手伝い、あれやこれやと話しかけてくる。娘はこない。義父や夫の話を聞いたり、絵を描いたり。
大晦日には、娘ひとりで伏見稲荷に遊びに行った。「一緒に来て」と言われたが、断った。気が立っていた。「遊びに来ているわけじゃないから」と強く言ってしまった。娘がさみしくて、だから考えついたことかもしれないのに、そのときは気がつかなかった。
翌日の元旦、息子が限界を迎える。「夜、眠れず、体調がよくない」と、体調不良になる前に話してくれた。息子とわたしは、ひと足早くその日の午後、新幹線で帰宅することに。娘は夫とそのまま残り、翌日に徳島あたりを観光をしてから帰ってくる。
息子が体調が最悪になる前に、なんとかうちに辿り着き、わたしもようやくゆっくりと休むことができた。うちはいいなぁと、しみじみとする。
翌日の夜遅く、娘と夫が帰宅。娘が関東へ戻るまで、あと数日しかない。ようやく、ゆっくり話せると娘は思ったらしい。
それなのに、わたしが娘に話を聞いてほしくて、怒涛のようにしゃべり出してしまい、娘はすっかり話すタイミングを失ってしまった。
『「はは」はちっともわたしの話を聞いてくれない…。』
娘にとても悲しそうな顔で言われて、ようやくわたしは現状を把握した。わたし最低だ。ずっと、娘は待っててくれたのに。なんで、わたし、あんなにしゃべっちゃったんだろう。わたしの「お口チャック」機能は、壊れかけていたらしい。
それから、娘は貝のように口をつぐみ、時間だけが過ぎていった。もう、一緒にいられる時間は少ない。ストレスからか、娘の顔色がだんだん悪くなり、わたしは焦った。
明日帰るとなった日。
わたしは、娘に何度も謝り、そうして言った。
「もう少し、うちにいて。」
わたしのせいで、調子を崩した娘を、このままひとりで帰すことはできない。娘はちょっと考えて、大学の授業をいくつか休み、用事をキャンセルしたり、先に伸ばしてもらって、1/9まではうちにいられるようにしてくれた。
そうして、ようやく、わたしが話を聴いてくれないことが、いかに嫌だったか、悲しかったか、自分なんていない方が母は楽なんだと思ったと、自分の気持ちを話してくれた。
わたしは、「うんうん」とそれを聴いて、また謝って、娘の話をまた聴いて、謝って…ようやく娘は機嫌をなおしてくれた。
それからの日々は、楽しく過ぎた。写真を見せてもらいながら、伏見稲荷と大塚国際美術館の話を聴いた。娘と一緒にカラオケに行って、3時間歌いまくった。自宅で映画「シング」と「シング ネクストステージ」を観て、興奮しながら、感想を言い合った。娘に似合うミモザ色のニットを買い、娘に息子の服を選んでもらった。わたしの母と一緒に、久しぶりにピアノで「乙女の祈り」を聴かせてもらった。実家のねこ、ウランを愛でた。家族みんなでお茶をしながら、たくさんおしゃべりをし、笑い合った。
戻る日。
娘は笑顔だった。
夫とわたしで、駅の改札まで娘を送っていく。別れのとき、娘は微妙な顔をした。あっと思って、娘を抱きしめた。実際は、ヒールのある靴を含め、わたしより10センチ背の高い娘に、抱きついた感じだ。
娘はふんわり、笑顔になった。それから、夫と握手を交わし、改札内に消えていった。何度も何度も、こちらを振り返り、手を振りながら…
別れには、なかなか慣れない。
うちに帰って、娘のマグカップを手にしたら、またさみしさがやってきた。
4時間後。
娘から「家に着いたよ」ラインが来た。無事に着いたことに安堵しつつ、もうわたしは、次の帰省を待っている。
※ヘッダーは、滋賀県にある、ラコリーナの建物内の窓です。娘が撮影しました。
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