私の身体
私は
出勤時間の電車内や
職場での休憩中に
本を読んでいる
こう書くと
なんだかすごい本が好きな人
という感じだけれど
家では大抵アマプラ見たりSNSを見ている
読むのが遅いし
集中力も続かない私は
ちょっとずつちょっとずつ読んでいるのだけれど
最近、それまで読んでいた本を一旦ほっぽり出して
発売されたばかりの本
「私の身体を生きる」
を読み始めた
タイトル通りの
自分の身体がテーマの
色んな作家さんのエッセイ
好きな作家さんが何人か参加していると知った時点で
もう絶対に買って読むぞ!
と決めていた
洋服とかご飯とか
ちょっと高いよなあと一瞬迷ったりするのに
読んでみたい!
の欲求は
そんなもののことを全く考えなくなるし
特に高いとも感じないから不思議だ
単行本なので文庫本よりはもちろん大きいのだけれど
そこまで重くはない
最近は特にカバーなど付けずに読んでいて
電車内でももちろんそのままなのだけど
前に座っている人の視線が本のタイトルなどを見ている気配を感じると
そっと本を並行に傾けたりしている
あからさまに見られたくはないのだけど
カバーは付けなくてもいいや
という自分のよくわからない性格のひとつだ
大抵の人が出勤する時間に
私も例外無く出勤しているので
朝の電車は混雑している
それでも途中で乗り換えるまではそれほどの混雑ではないので
乗り換えるまでは本を読んでいる
乗り換えた後は
触れるか触れないかぐらいの距離四方八方に人がいるので乗り込む前に大抵本はカバンにしまう
「私の身体を生きる」
は
さらっと考えていたよりも
性について書かれている箇所が多々あって
身体についてだから
よくよく考えてみたら
そりゃ切り離せないだろうって感じなのだけど
自分の身体と長年過ごしてきているのに
性についての描写があると
はっとして
近くに人がいないか
この文字に目を留めていないか
横目で気配を確認してしまう
単行本だから文庫本と違って
他の人から見えやすいんじゃないか
ということも相まってドギマギしている
そのような描写部分にきた時は
早く読まないと
次のページを捲らないと、と
なんだか焦っている
自分の身体のことでもあるし
自分の身体で起こってきたことでもあるし
自分の身体にこれから起こるかもしれないのに
私は自分の身体から目を背けるように
生きてきたのかもしれない
身体の外側はなんとなくわかっているつもりだけれど
深い部分にはまだまだ知らないことが沢山あるのだろう
まだ読んでいない方々の話が楽しみで
堂々と広げて読みたいけれど
性についての部分になったら
また私はこそこそと読むのかもしれない
貧血になりやすいこと
満員電車や
大勢の人たちがいるとこの端じゃないところや
窓がない歯医者での診察中などの
精神的から来る体調の変化
私の身体のことと向き合うと
今は1番に思うことはこれらのことで
これらのことと私は今まで生きてきて
これからももっと上手に付き合っていきたい