平成21年8月1日

Believe, believe, there's magic here tonight
Believe, believe!

星が瞬くこんな夜に」supercell(2010年)

家と違って冷房の効いている私鉄の車両に揺られながら、溜まったメールを確認するのが毎月1日のぼくの習慣であった。
"電車で通学するようになったから、最低限の緊急連絡用に"との事で、中学校を卒業してから親に持たせてもらったFOMA P903iは、パケ・ホーダイではなかったため、月に数MB使った後はデータ通信が停まり、電話の着信ができるだけの木偶になる。大方、ぼくは月の中頃から誰にもメールを送れず、受信もできなくなっていたため、毎月1日に大量のメールを受信していた。
おちおち画像も送れない、iモードなんて見ようもんなら数分で1ヶ月分を使い果たす。もちろん親に「使い物にならない」と言ったこともある。
「おまえがネットを見たり友達と遊んだりするために電話代払ってるワケじゃない。履き違えるな」
思っていた通りの返事だった。うちの親はぼくと妹に"誰に飯食わしてもらっとんねん"というスタンスだったし、その教育方針はおかしいだろうと言えるようになったのも、大人になってからだった。そういう親に対する怨恨も、ついぞ消えることはなかったが、それはまた別の話で。

目的の駅で降りるとまた、見えない布団に包まれているような暑さと湿度に抱かれる。太陽とぼくの間に在る1.5億kmの虚空と、100kmの厚い大気を全く感じさせないほどに青空は透き通って、それらを射抜いてきた陽射しが肌を焼いていく。
眉間に皺を寄せ、南を見ると寺の塔が見えた。受付を通るでもなく、家か学校のような気軽さで通用門からその寺に入っていく。伽藍を無視して講堂のような建物に来ると、「平成21年 寺子屋」と貼り紙があった。

オリエンテーションが終わり、去年ぶりに会う顔馴染みと挨拶をしていると、ある女の子と目が合った。この子は、確か─────思考が記憶を手繰り寄せるより早く、近付いて来た彼女が先に答えを言ってしまった。

「お久しぶりです、シズカ先生」

世界遺産でもあるこの寺は、夏休みの小中学生を集め、日常と違うお寺での生活を泊まりで体験させる「寺子屋」を毎年開催していた。
同時に、高校生や大学生がボランティアのような形で、先生役のリーダーとして参加する。リーダーをしにくるモノ好きの学生は、先生の卵である教育系の学生か宗教系(特に仏教)の学生、そして─────子供の頃に生徒として寺子屋に来ていたヤツらがそのまま先生になって、何年もこの寺に携わっているような、毎年見る顔ぶれだ。去年は中学3年生で、自班の最年長の生徒だった彼女もその仲間入りをしたというわけだ。

「写経」というものをご存知だろうか。ひたすら文字を書き写す事をそう呼ぶが、仏教において所謂"お経"を書き写す修行の一つが原義だ。印刷技術のなかった時代に"釈迦の教えをより広く伝える為"に行っていたものが、平安時代以降はそれ自体が徳を積む勤行として広く行われるようになった。布教にしろ勤行にしろ、落ち着き、作業に集中し、止水のような心に仏の教えを映すのに変わりはない。

子供たちにも写経を体験させるのだが、まず先生になる我々もやってみるということで、子供たちが来る前に写経の時間が設けられていた。
今年初めて先生をやる彼女とは、昨年同じ班だった事から自然と一緒に行動していて、写経道場でも近くに座った。

彼女が長く墨を擦っているので、いつまでやるんだろうと、同じくぼくも墨を擦りながら見ていた。ようやく手を止めた彼女が横髪を耳に掛けて筆を手に取る。
耳に掛けた髪が少し落ち、眼鏡のテンプルと交叉して、薄い顔の横に垂れている。8月の真昼の陽射しは地や壁に落ちてなお眩しく、彼女の髪は窓の外から飛び込むそれを背景に透けてキラキラと、絹糸のように繊麗に煌めいていて、ぼくは呼吸さえも忘れていた。

彼女が筆を置き立ち上がろうとしたので、視線に気づかれまいと慌てて視線を下に落とす。そこでぼくは自分の、まだ真っ白な半紙に気付き慌てて筆を手にした。とても暑い。

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