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【暮らしを、人生を支えるもの】つながりの中で暮らしているという意識

『徒然草』第三十一段は、雪が趣深く降った朝に、用事があって、手紙をある人のところに送ったところが、その返事に「今朝の雪景色のことについて一言もおっしゃらないような無風流な人のおっしゃることにどうして承知することができましょうか」と書かれていたことを、おもしろいことだと兼好が思い出すものだ。ちょっとしたことだが忘れられない。その相手はもう、この世にいない人。

自然とともにある意識。
雪が降ると、雪見をするならわしが昔から風流とされたと聞いた事がある。
雪が深い地域では、風流という意識のみで、雪をみることはできないだろうとも思うのだが、いずれにせよ、人間の暮らしは、自然とともにあるものだということを、便利な暮らしに慣れた者は忘れてしまいがちかもしれない。

他者を、自然をコントロールできるという驕りが、この地球を壊していっているという指摘は随分前から言われていることではある。公共交通機関の遅延で、苛立つ私たち。人間のペースで、自分のペースで事が進むのが当然だと思ってしまっている。

兼好の手紙への返信は、あるいは、自分の都合のみを考えることに釘をさすような意識も読み取れるように感じられた。

「早く早く」と急き立てられながら生きる私たち。こういう社会だから仕方ない、と。かく言う私も、自分を、家族を、周囲を急かしながら生活している気がする。

目的達成だけではなく、周囲とのつながりを少しゆっくり見つめて、時に ゆっくり歩む気持ちをもちたい。自分が困っている時に差し伸べられる手もやはり、歩みを緩めて差し出されたもののはずだ。ゆっくり歩んででもできること、の中で生きることは 全くおかしなことではないはず。

ちょっと、待って
ちょっと、じっくりやってみよう

この気持ちをどれだけ大切にできるか
そういう一年にする事が、私のテーマかな、という気がしている

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