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何もかも真実

ある時「あの人が言っていることは捏造ではないか」というような話になった。犯罪、ではないが、周囲がそれに振り回されていると思い、疲れていた。その人自身が困難な状況に置かれているとはいえ、「話を盛ってるよね」って周囲は感じていた。

その場にいた人の多くがこの説に同意する中、ある人が「それが、今のあの人にとっての真実なのだ。あの人は今そういう世界に生きるしかない、そういう状況なのだ」と言った。

「そんなこと言ったら、真実という語はもちろんのこと、日々私たちがある程度持っているはずの『言葉というものへの信頼』すら危うくなる」と思ったが、案外 真実とは そういう危うさというか、個別性をもったものかもしれないと思い直した。

傍から見ていると、違うんだけど、その時のその人が「こうだ」と思っていたら、それでその人の世界は動いていく。ある時、ハッと気づくかもしれない、夢から醒めるように。「私ってばなんてことを考えていたのだ」と。あるいは、ずっと気づかないかもしれない。
でも、その一瞬一瞬こそが真実だと思っていいと、私は感じている。その瞬間を生き切ることでしか、次のステージも見えてこない。だから、傍から見てどう見えようと、かっこ悪かろうと、真実だって信じて、やり抜けばいい。自分の生に疑いを抱いて進めなくなることこそ、時間、すなわち生命の浪費だ。

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