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不安や悲しみの渦中で次のスタートの合図になるもの、それは手帳の言葉

手帳そのものって目的ではなく、手段なはずなんだけれど、でも、手帳のことを考えたりすること自体とても楽しい。それと、手帳を読み返すのが本当に面白い。自分はかつてこんなことを考えていたのか、と驚かされる。手帳に書くことで出会える自分や、新たな気づきが、自分を次に向かわせてくれる。

私がnoteを始めたきっかけは、人間関係の中で大きな失敗をしたことだった。怒りとか恥ずかしさとか、何より強い怒り、憎しみみたいなものまで生じてしまった。そして、その失敗自体だけではなく過去の記憶も苦しいものとして、何度も思い出されるようになった。それを整理するためにいろいろここで書いたのだった。暗い気持ちの中、noteで書いたことは、自分の心の片隅に光を当てるものになったと思う。
手帳に書いた気づきも然り。手帳にはnoteでは書かないこと(仕事の内容とか個人情報とか、ちょっと具体的すぎることなど)が記されているので、より具体的なことが蘇ってくる。

さて、最近は「振り返りもいいけど、先に進みたい」という気持ちが大きくなっている。だが、これまで振り返りモードの期間があまりに長くて、どこへどう進めばいいかわからない。前回だったか、初めて私は「10年後の自分」を思い浮かべようとして、立ち止まってしまった。田舎住まいの私。近所の同年代の女性と話してて、彼女が「私たち、年取ったらゴミ出しだって不便なところに住んでるんだよ」「今のうちにこの状況改善しないとね」って話したとき、「そうか、私ここで年老いていくのか」と改めて思ったのだった。ゴミ出しの件はもちろん考えていたけど、一緒に年老いていく知人がいるんだって初めて思った。

どうやって年取っていくか。どう助け合うか。いつまでどんなふうに働くか。足腰が丈夫でいられるか。誰かのために動ける自分でいられるか。よく頑張ったって思いながら今の職を辞することができるか。

同じ仕事をしている同年代の人たちは今完全に二極化しつつある。管理職になっていくか、あるいは自分の生活重視モードにぐっと傾くか、の二極化。もちろんその中間もいなくはないけど、中間というのが実に難しい。人手不足の業界だもんで、頑張って働いてたら、すぐに何らかの重たい仕事を打診されちゃうのである。具体的なポジションを。それを避けようとするとき、「頑張って働くのはやめました」というムードを醸し出すという手段をとる場合があるのだ。まわりくどい言い方だけど。打診される仕事を断りまくるのである。それを良心的な人が引き受けて身を削る事態に陥る。で、すごく頑張るか、もう頑張るのをやめるか、みたいになっちゃう。

自分はどうする?
今までもずっと問い続けてきたけど、今改めて考えている。手帳に書き続けている。自分が何をする?どれを中心に据える?

人間関係の失敗で抱いた、様々な感情を濾過してくれた手帳。今は、これからの自分を探すためにここにある。手帳に書いたことは実現しやすい。ならば、本音を手帳に聞いてもらおう。私が大事にしたいのは〇〇だ、と。手帳は私の思いを笑ったりはしない。ただ受け止めてくれる。自分が語れることだから、自分がそのように生きられる。語れるようにしか歩めない。

手帳に書く自分の思いが、自分の言葉が、私にとって号砲となる。
だから、もっと自分の思いを臆さずに書いていきたい。

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