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タスクよりルーティン

 下の子は、自分の父(私のオット)がかつてサラリーマンだったことを知らないらしい。そう知って、私はびっくりした。彼が転職して十年になったのだと、数日前気付いた。

 私が自分の生活リズムが崩れるのを極端に恐れるのを見て、「そんなにルーティンを守りたいのか」と彼は不思議そうに言う。実際は、彼の生活の方が、平日休日関係なしのルーティンの中で動いているのだが。子どもたちが小さいときに楽しめていた遠出だって、コロナ禍になるずいぶん前からしていない。

 私の場合は、ルーティンなんて、あってないような、いやあるけど、そのサイクルの上に、とんでもないアクシデントが襲いかかってきて、ルーティンをこなしながらアクシデントに対応する、みたいな毎日なのだ。だから、ただただルーティンをこなすだけで一日が終わるときは、それは有難い一日である。ルーティンって時に人間の脳を退化させるかもしれないけれど、一方である種の安心をもたらしてくれるものだ。

 さて、話は変わるが、先日ついに、長い間使っていたEvernoteを解約し、データを整理した。それはそれはいろんなデータをため込んでいて、削除するのが大変だった。本当は解約したくなかったのだけれど、なんだかうまく使いこなせなくなってしまったところに価格改定の話を聞き、それを機に一気にデータ整理をしたのだった。タブレットやノートパソコンと向き合って黙々と作業をしていたら、頑張りすぎて気分が悪くなってしまったが、いったん始めたら早く終わらせてしまいたい。「こんなページ保存してたのか」とくだらない内容に苦笑しつつ、なんとか完全にデータ整理を終えた。置いておきたいものはnotionに移行した。

 notionの使い方はまだよくわかっていないが、なかなか面白かった。データ整理の作業自体が自分の頭の整理になって楽しい。仕事で使う資料が、Evernoteではすぐに取り出せなくなっていたのだけれど、notionでは、さっと見ることができて、資料を読み返すのも楽しくなった。

 ただ、こうしてデータ整理とタスク管理をバリバリやって、効率的に家事や仕事をこなす生活ってそんなに楽しくはない、というか人間らしくはない。それよりは循環なりルーティンの中でいたいよなと思うのだった。そういうことを突き詰めているうちに、シンプリストだったりミニマリストになっていくのかもしれない。いや、今の私自身は、仕事が忙しすぎて、「新しいことを取り入れるのが面倒くさくなってきてるのかな」とも思った。

 効率化にがんばっているときによく嫌になるのが、せっかくできた時間の余白が、「別の仕事」で埋まっていることだった。なので、他者にその余白をうっかり埋められないようにするために「忙しいフリ」をしているうちに、本当に自分のしたいことを忘れてしまう。

 ルーティンを大事にすることは、自分のしたいことを後回しにしないために必要なこと。もっと、今の社会はルーティンを大事にしてもいいんではないだろうか。

 最近、時間術とか時間を上手に使う、っていうフレーズはもう見飽きたなあと思うのだった。


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