「教具」か「文房具」か
教員たちの間で、
「GIGAスクール構想の『1人1台端末』は『教具』か、それとも『文房具』か」
ということが話題になることがある。
「教具」であれば、端末を使用する場面や方法については教員が指示をすることになるし、「文房具」ならば鉛筆や消しゴムと同じようにその使い方は子どもに委ねられることが基本になる。
・・・今から10年ほど前までは、
「児童生徒用の端末は、各校に40台程度」
というのが全国的に一般的だった。
その当時ならば、教員が端末を「教具」として管理することにも合理性があっただろう。しかし、今は「1人1台端末」の時代である。児童生徒が「使いたいときに、使いたいように使う」ことのほうが、ずっと理にかなっているといえよう。
なにしろ、現代社会でPCやタブレット、スマホなどの端末なしに生きていくことは極めて困難なのだ。
そうであるならば、学校でも子どもたちが端末を十分に使いこなし、そのなかで利用上のルールやマナーを身につけていくことが大切だといえるだろう。
しかしながら、
「端末を使わなくても授業はできる」
「端末を使うとトラブルが起きる」
と言って憚らない「抵抗勢力」が、数は減りつつあるものの、依然として存在しているようである。
今から50年ほど前、私が小学生だったころには、遠足の前になると、
「バナナは『おやつ』ですか?」
という質問が出ることがあった。
今の若者たちにはわからないだろうが、当時の遠足では、
「おやつは○円以内」
という条件がつけられることが多かったのだ。
一方、お菓子やフルーツの種類は今よりもずっと少なかったから、当時のバナナは各家庭で「おやつの主役」「デザートの定番」として君臨していた。
そのため、遠足の際に親がバナナを持たせることが多かったのだが、そのバナナを「デザート」に含めるか「おやつ」に入れるのかによって、買えるお菓子の数に影響が出てきてしまうのである。
具体的に言えば、バナナを「おやつ」に計上してしまうと、「都こんぶ」か「ベビースターラーメン」のどちらかを諦めなければならなくなる。当時の子どもたちにとっては切実な問題だったのだ。
もっとも、この「バナナは『おやつ』か否か」という論争に正解はなく、担任教師の裁量に任されていたのだろうと思う。
・・・その後、遠足のおやつについては、
「時間内に食べられる量だけ」
という「納得解」が見出され、この不毛な論争に終止符が打たれることになったのだ。
「『1人1台端末』は『教具』か『文房具』か」という問題は、「バナナは『おやつ』か『果物』か」という論争に比べても、はるかに「納得解」を見出しやすいのではないかと思う。
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